三七 巨大な戦と謀の気配
大和国の琥珀里、霊台城に設けられた練兵場。
「きえーっ!」
ミディアムヘアをそよがせ、軽い鎧を鳴らす少女が刀を振り下ろし、空色に輝く剣圧をほとばしらせる。それは眩く、厚く、速く、見守る兵たちを思わず立ち上がらせる。
偃月刀一閃。
剣圧はあっさり両断され、うそぉ、と少女は肩を落とす。
両断した赤い鎧武者がにやつき、赤い陣羽織をなびかせ赤い偃月刀を担ぐ。
「うぃー、才能は素質かける努力だよ」
「挑み続けよう麗亜くん。美しい身どもが美しい陽動をかける。好機と見れば、美しい御身の美しき剣圧を美しく撃ち込んでくれたまえ」
紫の着物を肩肌脱ぎ、重い鎧を見せる偉丈夫が回り、妖艶なる舞踏のごとく偃月刀の残像を描く。それでいて刃鳴りは鋭く重く、一刀、また一刀と斬りかかり、受け流す赤い侍の腕を震わせていく。
「妖美くん美しい……きえーっへっ⁉」
麗亜は撃ち出した剣圧を踏み潰された。
妖美をあしらっていたはずの赤い侍が飛来し、偃月刀で叩っ斬っていた。
「うぃー、タピオカの起源はどこの国にある?」
「はい? って卑怯ですよ!」
麗亜は首筋に偃月刀を突き付けられていた。赤い侍は高笑いしふんぞり返り、斬り込んでくる妖美をかわす。直後、互いに偃月刀を振り下ろし十文字に鍔ぜり合う。
「原料から察するに、美しいワトリキ国ではないかな」
「やるね、熱帯雨林に適応した非接触部族だね、では」
赤い侍は刃へ籠める力を抜き、逆から打ち上げ妖美を押しのけ、斬り上げ突き出し叩き込み、火花を弾かせ前へ前へと畳みかけていく。
「大高原に黄金の仏塔そびえる理想郷があるとかの国は?」
「美しいシャンバラ国さ」
「うぃー、やりおる、されば天地人を司る三足烏を祖とし……」
がっと、尖刃がぶつかり合う。
「どこよりも民族愛の深きは?」
直後、赤い侍はかき消え金属音を轟かせ、寸前で受けた妖美を離れた麗亜のもとまで吹き飛ばす。脚をさばき、死角へ回り打ち込んでいた。麗亜らがざわめいた。
「うぃー、されど反応できるとは美しい」
「もちろんさ。ところで碧くんは稽古をおさぼりするのかい」
「待っとったのだ、座禅して。大将軍《猛虎》空柳義虎と一騎討ちするもん」
にっと、義虎は赤い陣羽織をはためかせる。
ポニーアップの髪をたなびかせ、碧色の合羽をひるがえし、碧は鎖鎌をびゅうびゅう舞わせ鎧を軋ませ立ち上がる。
二人の眼が光り合う。
鎖から繋がる鎌が唸りを上げ、義虎へ飛んでいく。
義虎は思う。碧ら教え子は着実に腕を上げている。
碧は弾かれる前から鎖の逆側、分銅も鋭く奔らす。
鋼城と戦った〈三星台の戦い〉から二ヶ月あまり、琥珀里では国境線を越えてくる数百の敵部隊との小競り合いが絶えず、義虎たちは交代で出陣し転戦していた。その間、義虎は教え子たちの鍛錬へ付き合う以外で覇術を使わないという謎の誓いを立て、徒手空拳のみで戦ってきた。しかし新兵たちは真面目に実戦経験を積んでいる。
碧は義虎が分銅をはたく間に接近し、手もとへ戻す鎌で斬り付ける。
皆がどよめいた。
一閃し、義虎が碧を打ちのけるのは瞬きほどの一瞬であった。その一瞬で、偃月刀には分銅へ連なる鎖が巻き付いていた。武器の拘束。自分の刃を保持しながらこれを成せば、常人相手であれば勝利は目前となる。
だが義虎は足で鎖を引き上げ、斬り込む碧をはね上げた。
「ん、すんごい技で一蹴されたぁ」
「されても動じんね、イケメンだ」
碧は垂直の親指と人差し指を顎へ当て、全力で歪んだドヤ顔をかました。
「なははは、さて今日はお出かけするよ?」
天乱九七年、八月二日。
義虎は碧たちを連れ、琥珀里昴地方を統括する菩提城へ赴いた。
「うぃー、月の王子」
自分の後任として到着した琥珀里の新たな領主へ笑いかける。
将軍《月詠》月宮晴清。
波打つ茶髪を首横へまとめ、袖口やくるぶしを紐でくくる古風な衣を纏う、鼻の高い中性的な若者である。少年の日々には、義虎や女将軍《浄玻璃》武道沙朝とともに、熟練の将軍《鳳凰》棘帯鷲朧の旗下で死線をくぐった。
「お久しぶりです。かの《斉天大聖》や《蚩尤》からの大殊勲、誠におめでとうございます」
「かたじけなっ、うぃー!」
「あらやだわ。どうして逃げるの、トラ義ちゃあん」
義虎は見なくても分かる。碧たちがドン引きしている。
上級武官《一言主》い一一。
羽扇をあおぎマフラーをなびかす、まではいい。いったいぜんたい、なぜ着流しの色にショッキング・ピンクを選び、くるくる巻き毛にセットした頭にお姫さま用カチューシャをいただき、もみあげを目立たせ、割れた顎へ至る髭を剃り残し、口紅と付け睫毛で厚化粧しなければ気が済まないのか。そしてなぜ、抱きつく以外を挨拶の手段に採用してくれないのか。
「おかま軍師!」
「なあに、求婚かしら?」
「義虎は確信しとる、変態に羞恥心はないと。つまり頭お花畑ですか?」
「いやねえ、それじゃ狭いわ。お花畑は、あたしたちの周り全てよおっ」
がっと、一一が義虎の手を捕まえ、揉みしだいた。
さっと、義虎の眼は一一の眼と鋭利な光を交えた。
ぱっと、義虎は回し蹴りをくらわせ一一を捨てた。
「さて月の王子、君も異国駐屯お疲れさまでした、いい時に任期満了なって帰ってこれたね。そちら方面へ散らした間者から聞く限り、いよいよ南北問題が一触即発らしいでしょ……倍達では」
後ろにいる碧が身震いしたのが分かる。
「はい、黄華がこの機へ乗じ大々的に攻め入ろうと狙っています」
倍達国。
大和国の北に広大な領土を有するこの軍事大国には、かつて、大和国の《海神》仙嶽雲海、そして瑞穂国の《雷神》雷島片信との三神同盟を大切にした、英雄《風神》皇甫崇徳がいた。
碧の祖父である。
大和朝廷に粛清されたという碧の母、皇甫碧珠の父である。
「実は朝廷より鉄先輩へ、新たな客将として倍達へ出陣するようお達しが」
__来たあーっ!
はっと、碧が目を見開いたのが分かる。一一が妖美に一目惚れし追い回しているが、どうでもいい。戦国の歴史、そして風神雷神の運命がうねる予感に、がりがり胸をかかずにはいられない。
__おかま軍師より密書をもらい月の王子が呼び戻されると知った時点でこうなると見抜いとったよ従って備えとるよおっ羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経。
「かしこまった。山くん新兵、帰って準備しな?」
義虎は勝助、晴清、一一を伴い軍議へ向かった。
八月三日。六人は馬を駆り、霊台城を出立した。
義虎は手綱を放置して経典を開き、般若心経を完全詠唱してから語った。
「高句麗が動く」
「危険運転だ、警軍に売り飛ばすよ、ごめんなさい睨まないで下さい碧を許して」
大和国では八百万派と高天原派が争っている。
倍達国でも二つの勢力がしのぎを削っている。
北西部に興った高句麗界。
南東部で隆盛する開京界。
これらは大和国にみる思想を違えた派閥としてではなく、民族、文化を異とし対立していた。この日、たび重なる迫害にしびれを切らした高句麗界がついに蜂起し、高句麗界へ接する黄華国は、開京界を支援する名目で出征する支度へ入った。
「対して我々は高句麗を守り独立させるべく援軍へ向かう」
碧たちが苦労して唾を飲み込むのが分かる。
両界はそれぞれ宰相〈大模達〉を輩出し、彼らを含め大将軍も三人ずつ抱える。これに横槍を入れる黄華軍を率いる大将軍も三人いる。あまたの髄醒覇術がぶつかり合い、大地は火の海と化すだろう。
「うぃー、お楽しみが七つもあるよ?」
「ところで。なんでトラ騎馬しとる?」
いつもなら、義虎は自分だけ搭乗せず皆の前を飛んで移動する。荷も少ない。
「ん、わー秀才すぎて悟ってしまった。その歳でおんまさん好きなったからだ」
「偽装工作だよ? 義虎の愛馬は別におるしね」
「……いちいち何か企んで動くよね」
碧にジト目を発射された。払い落とし手招きし声を潜め、昨日の軍議の模様を伝えた。
軍議の間へ向かう途中、義虎は厠へ行くと言い一人になった。一一から新たに受け取った密書を開き、薄く笑った。手を握られたふりをして、互いに掌へ隠していた情報と代金を交換していた。
それから軍議の間へ入ったが、そのとたん武者震いに全身が焼けた。
__仙人がおる。
長く、色を捨てた髪と髭を垂らし、深く、連ねた皺の中に座す薄墨色の眼には、静かに熱を焚いている。着物は濡羽色で暗がりに溶け込みながら、百戦錬磨の義虎をも呑み込まんばかりの存在をのしかけてくる。
待っていたのは、晴清が朝廷にすら極秘に連れてきた賓客、高句麗界〈三火烏〉の一柱であった。
「大高句麗 大将軍《早衣仙》淵太祚です」
「大大和国 大将軍《猛虎》空柳義虎にござる」
義虎は毅然として言っていた。不思議と自分の存在も確かなものに思えてきた。
__うぃー、しかし援軍を請いにいらしたんでしょうが〈民族古語〉のみで挨拶されるとか、みごとに威厳と決意をお示しなさる。
晴清が義虎を上座へ着かせ、淵太祚も床几へ腰かけた。
「高句麗は独立を目指し申す」
淵太祚の瞳が義虎を捉えた。
「貴殿にとって、これへ参陣なさるは後々のため利ありて損なしと心得るが、いかに」
表情一つ変えないが、義虎は驚いていた。
__よもや見抜かれたか。
ここには晴清もいる。信用できるが、彼が属するのは高天原派である。
__義虎には戦う理由がある。抑えようにも抑えきれぬ……我欲だよ。
大和朝廷を滅ぼしたい。
愛する母や《雷神》片信は『死ぬな』と言った。
__絶対服従する。それでも抑えぬ。何をされてきたと思っておる。
成し遂げるためには味方がいる。
故に一一という密偵と繋がり、私兵となる大顎山賊団や自由海賊団と親しくし、そして流刑地にいる〈三大神〉の一柱《海神》雲海と接触してきた。
これを暴かれては困る。
「うぃー、利とは」
「かつて貴殿は黄華国大将軍《托塔李天王》李靖を討ち取られた」
建前で話進めてくれるか、と叫びかけた。
__では魅せていただこう熟達の舌鋒を。
「こたび黄華軍を率いるは、李天王とは無二の戦友であった大将軍《雷帝》聞仲。その旗下には李天王の忘れ形見たる将軍《毘沙門天》李哪吒らがいる。また開京軍を率いるは、今なお貴国の《閻魔》大将軍と同盟し、かつては貴殿がお慕いなさる《雷神》大将軍、そして我らが友《風神》大将軍を討ち取りし、大将軍《雨師》劉炉祟。この戦、己が命を狙う猛者たちをよく知り、よく備える好機となりましょう。さらには」
淵太祚が瞳を加熱した。
「よき友を増やし、よき師に学ぶ機会でもある」
ぐっと、義虎は生涯の戦友となる名を聴いた。
高談徳。
「高句麗王室の末裔であらせられる」
「その名をもって士気と民心を固め、こと成った暁には大王へ即位なさるか」
「いかにも。歳若くも、その意気と信念は天を貫き地を覆わんばかり、御自ら軍の先頭を駆け敵をほふる武力と胆力をも兼ね備えておいでだ。世代の近き猛虎大将軍とこれからの大和には、味方としたき御仁かと」
にっと、義虎は頷いた。