三六 かわいい教え子
__勝ったね、みど……。
全身へこべりつかせた血と汗の厚い粘膜を全てはぎ取るマッハの勢い。瀕死の身でそんな勢いで突っ込んで、はね返ってくる骨をへし折る反動に焼けただれる義虎に、もはや意識を保つ余力などあろうはずもない。
駆け寄ってくる、誇らしき少女の潤んだ瞳を瞼に焼き付け、大将軍は覇術もろとも視界を消した。
「トラ!」
ざっと、碧は熱く胸を焼きながら、伏した義虎のもとへ倒れ込む。
思わず目を逸らしたくなる。手の施しようは果たしてあるか。
目の前で力尽きるか細い体が、残酷なまでに弱々しく映る。
__守らなきゃ。
何年も前に知った時から、周りの誰もが非難しようと流されず、己に重ね敬慕していた。出逢い、苛烈なほどに洗練されしその戦技と眼力、執念をびりびりと肌に感じ、ますますもって惚れ込んだ。そして何より、冗談を言い合い、じゃれ合うばかりに仲良くなった。
兄と想うようになった。
幼い頃に、帰る場所も食べる余裕も、守ってくれる家族も失った。誰かに頼りたかった。護ってほしかった。ずっと切に欲してきた。
今は護ってくれる人がいる。決して喪いたくない。
__わーが必ずトラを守る。
「猛虎を討てい!」
きっと、碧は声の主を振り返る。駆け付けた鋼城である。
「兵糧はもうだめだ、つまり戦はできて明日まで。しかれども大将軍たる猛虎さえ討ち取ればそれで勝ちぞ、そして彼奴が戦えぬ今こそ、その首級を挙げるスペシャル千載一遇の好機であるぞ! 小美、小熊、畳みかけるぞお!」
「「御意‼」」
「させるかよ」
ばっと、背へ義虎をかばい仁王立ち、碧はたぎる覇力を光る碧色に吹き荒らす。
無謀なのは分かっている。相手はあの義虎を戦闘不能へと追い込んだ、圧倒的な物量と質量を誇る鋼の自然種を使う、将軍《蚩尤》袴連鋼城。押しのけるだけで一苦労だった趙美美、盛熊雄も健在である。
__しかも麗亜は頼りにできん……。
麗亜は硬直していた。無惨に崩れた義虎が、彼女を守って落命した猫三郎に酷似しているからである。
__それでも守る。絶対守る。命に代えても守る!
鋼城が鋼の巨兵の武装を掲げる。美美が流星錘を、熊雄が拳を構える。
ごっと、碧は滝の汗とともに風速を上げる。そこへ藤色の霞がかかる。
硬く重い鋼が炸裂、風を踏み潰し地面を砕く。だが場所が逸れている。
「エアポケットで運ぶのだな」
はっと、碧は頭を冷やす。義虎を抱える勝助である。
勝助が碧の吹かせた風を利用し、自分の霞を高所にいる鋼城まで巻き上げ、幻を見せ距離を錯覚させていた。
ぐっと、碧は頷いた。
麗亜と勝助、そして義虎を風で包み、大急ぎで逃げ去った。妖美や山忠と合流し、最寄りの砦へ入り、軍医に義虎の手当てを任せ、ぐったりと眠った。
五月二八日。鋼城は今日中に砦を落とせば食料にあり付けると謳い士気を奮わせ、全軍をもって出陣してきた。
義虎は目を覚まさない。
「ど、どうするの⁉ 止めようがないよ!」
砦の櫓から見下ろし、麗亜が泣き叫んだ。
「敵はあんなものすごい鋼の将軍なんだよ、大将軍がいなきゃ相手にならないよ! 武官だっているし、しかもあんな数、たった五人でどうしろって……」
「落ち着け、わめいとる場合じゃない」
ぴしゃりと碧は言い放つ。だがどうすればいいかは、まるで分からない。
「おいおい忘れたべか」
ばっと、碧も麗亜も振り返る。山忠が笑っている。
「防衛網この里に張ったんは誰だべ? んだ、前代未聞まくる戦略眼を誇る猛虎大将軍だべな。安心するべ、ありとあらゆる道にえげつない罠が仕込まれとるべ」
「ここのは、岩雪崩なのだな」
勝助が悠然と言った数分後。
砦へ至る両側を崖に挟まれた狭い道は、碧たちが堰を切って落とした岩の群れに潰された、黄華兵の死傷者であふれ返っていた。
鋼城や美美らは超魂覇術で自身や周りの兵を守った。だが軍全体が受けた被害、そして一人一人へ深々と染み渡った大将軍《猛虎》への恐怖心により、これ以上の侵攻は不可能となった。
ここに、鋼城は唇を噛みしめ撤兵した。
「うぃー、どぉだ教え子たちよ、己が意識不明にもかかわらず、戦わずして人の兵を屈するこの義虎の妙手ぶりは? これぞ伏せる猛虎、奮う蚩尤を走らすだよ?」
五月二九日。意識を取り戻すなり義虎は戦況を訊き、にやけまくった。
「ん、寝たきりミイラのくせに」
「みどミゴトだよ大手柄だよ誇らしいよ?」
ぽっと、碧は頬を赤らめた。
「もちろん木村氏もだよ、諦めずにやり抜いて偉い、やればできる子じゃん見たかったよ? そしてオカビショ、完璧に務めを果たしてくれた、もし君がチンゲン菜を足止めできんだら、木村みどは危うく追い払われとった、まっこと陰の功労者だよ?」
麗亜がぎこちなく笑った。
妖美が前髪を払い笑った。
「陳玄祭さんをチンゲン菜と言ったね」
「うぃー、なぜに音だけで分かったし」
「ん、トラもね、あと、木村みどって」
ふっと、義虎は碧を見詰めた。
「ほんとに君がおらねば勝てなんだ。遥かに格上の武官を相手にして木村氏を鼓舞しつつ的確かつ粘り強く立ち回る。初陣して間もない身でこれだけ貢献するとか、断じて誰でもできることじゃないよ? 技術的にも、そして精神的にもだ、激しく嫉妬せざるを得んではないか、うぃー、かゆい」
「やったー大将軍に嫉妬させた。しかしだ」
碧が背中をかいてくれた。
「かいとる暇あったら、もっと色々教えて」
義虎はたまらなくなった。
純粋に、この子を護っていきたいと強く想った。
戦力となるから、風神雷神の縁があるから、そんなことは関係ない。
懐いてくれる。
頼ってくれる。
信じてくれる。
それがたまらなく嬉しいのだと確信できる。人の心を捨てて久しい自分に、こんな人らしい心を抱かせる存在が、ただかわいい。
そんな教え子と大事を成す。積年の宿願へ取りかかる。血沸き肉躍らぬわけがなかった。
「ではまず、これを教えんとだね? 勝ち戦のあとは宴と相場が決まっとる、いざケーキを持ってこい!」
「「え」」
皆にケーキの準備をしてもらう間に、義虎は妖美を連れしょんへ誘った。
「うぃー、君にも嫉妬しまくる」
「いや身どもなど、まだまだ修羅場を知らない未熟者だよ」
「あら謙虚だね? ますます妬ける、精神も堅固なようで」
義虎は頬をかいた。
__うぃー、天才には修羅場を重ねてほしくないけど……君は重ねまくるよね。
「ところで、どうして御身はそんなに強くなったんだい」
えっと、左を見上げれば、妖美は真剣な眼をしていた。
「強いと思う?」
「そう思うよ、本心からね……雷はいったん置いておいて、失礼ながら御身の覇術は、髄醒使いたちと戦うとなれば不利がすぎる。確かに、中がどうなっているのか気になるほどの頭脳をおもちだし、密会するのが趣味かと疑うほどにお顔も広い。しかしながら、それらだけで不利を挽回できるほど、この戦国は甘くはないはず」
妖美が天を見上げていく。
「何に支えられているんだい、何を求めて闘うんだい」
「……大層なものを抱える器はないよ? ご尊父の遺志を継ぐ君とは違う」
義虎は地を見渡していく。
「その気もちは君へ、世界をも動かす強さを授けるかもね」
様々な戦人を見てきた。不思議と分かる。妖美は化ける。
弟子に抜かされる師匠になど、なってたまるかと燃える。
__怖ろしいけど楽しみだよ?
妖美は固まっていた。ぽんぽんと肩を叩き、戻ろうとして気が付いた。
「ごめん手、洗っとらんかった」
「なんということだ、美しくないじゃないか」
「君がエス・ケー・ワイなせいでもあるでしょ、花摘みながらする話じゃなかった」
「スーパー・空気・読めない、だったかな。ならばこの称号、もらったついでだ、身どもも洗っていない手で触らせてもらうよ」
「うぃー、美しさを捨てるでないわ」
「やってけそう?」
「きゃっ⁉ ちょ、いつからいたんですか!」
義虎は忍び寄り、ケーキ作りへ熱中していた麗亜をびびらせてみた。
「だからって小麦粉ほん投げんでよ?」
わりと本気で飛び付いて袋の口を抑え込み、麗亜から離して置いた。
「うぃー、何回か議論したけど毎回あやふや化しとったので」
固まられ、微笑みかけ、息をついた。
「君と義虎は聖と邪、両極端におるけど」
背をかいた。
「実は義虎は両方とも知っとるんだよね」
「えっ……じゃ、じゃあ、その、なんで」
びびるほど分かりやすい子だと思った。言う覚悟を定めようとしている。麗亜にとり義虎は、密偵として気を張り詰めながら探る相手であるに加え、反発すれば何をされるとも知れぬ上官であり、武も智もまだまだ遠く及ばぬ異次元の傑物であり、そして怒らせるたび恐ろしいことを言ってくる魔物である。戦場へ立つに等しい勇気がいるだろう。
待つつもりで来た。
面倒くさい子だが、密偵だが、教え子である。
教え子とは真正面から向き合いたい。理屈ではない。本能でそう想う。
手がかからず考え方も近い碧や、競いたくさせる妖美とは大きく違う。追い出したいと思ったことさえある。手がかかるうえに考え方は真逆にして、いつの日か情熱をもって立ち向かってこられるのが厄介であり、さらに背後には八百万派がいる。
大和朝廷を撲滅したい義虎は、義挙へ踏み切るその時まで、朝廷を席巻する高天原派にこれ以上睨まれてはならない。しかしその仇敵である八百万派の一員を抱えていれば、政治的に危うくなりかねない。そうなれば碧や腹心たちをも危険へさらす。
__されど、仕事は完遂する主義なんだよね。
麗亜はがんばっている。そこを見てやりたい。
弱かった頃の自分と重なる。見捨てられない。
__がんばれ。
きっと、真正面から見詰められた。
「なんで、自分を大切にしないんですか。大将軍にとって聖な人たちだって、大切にしてほしいって思ってるはずです」
「大切にしとるつもりだよ……自由意志を」
微笑みかけ、ケーキをつまみ食いする。
「身も心も朽ち果てとった時期はある。その名残で、己をいじめとるように君には映るかもしれんけど、安心しな、義虎はただの奴隷では終わらん」
かっと、戦人は眼を見開く。
「奴隷を解放する奴隷となる」
__うぃー、言っちまった。
麗亜はひっくり返る天地を眼前とするかのごとくに固まっている。
この発言をどう判断し、どう処理すればいいか分からないだろう。
__さあがんばれ改革の志士、君を同志と断じさせてくれなさい。
にっと、義虎は進み出た。
「うぃー、つまみ食いし放題」
「えっ、ちょ、どさくさに紛れて! めっ!」
「ん、ずるいトラばっか」
「碧ちゃん⁉ それ胡椒」
義虎は爆笑した。やっていけそうだと確信せざるを得なかった。
__なんと言っても、この子たちは義虎が護ると決めたもんね?