三二 鉄と鋼
「うぃー、この義虎がついにあの石猿を降しし第三次〈猿虎合戦〉が終わった今、気分も新たに」
ドヤ顔でチョークを取り出し、講師は生徒たちを振り向いた。
「大和国の歴史を学ぶしかないね?」
椅子の上で足をぱたぱたさせながら、碧が手を突き出した。
「はい、トラ先生」
「はい、みどさん」
「唐突すぎると思います」
「お黙りあそばせ、では問題です。現在、大和国には二つの派閥が存在しますが、朝廷と軍部を掌握するのはどちらでしょう、オカビショくん」
美しく前髪を払いながら妖美は答えた。
「高天原派だね」
国と誇りを尊び〈民が強固で厳粛な世〉を志す、帝国主義者たちである。
「いかにも。では源流が古いのはどちらでしょう、木村さん」
重たく視線を伏せながら麗亜は答えた。
「八百万派です」
民と喜びを尊び〈民が平和で自由な世〉を志す、民主主義者たちである。
「いかにも。すなわち八百万派は、下剋上され政を明け渡した」
義虎が板書していく。
かつて世界の年号は〈群将〉であった。世界全土に数千という部族がひしめき合う混迷の時代であったが、三〇〇年あまりの時を経て国々は統一の気運を高め、大小七七の国家へまとまった。そして九七年前、二七人の王が一堂に会し、新たな年号を制定した。
今へと続く〈天乱〉時代の幕開けである。
大和国こそ、この歴史の奔流を先達した立役者である。
一〇二年の昔、民が平和で自由な世を志し建国された。
その宰相を〈大納言〉といい、皇帝を〈天皇〉という。
立国するにあたり、まずは統合された数十の部族の摩擦をなだめんと、百官を束ねる大納言が生まれた。これには統合を主導した天龍卑弥呼が選ばれた。やがて部族間に平安が訪れた時、天下へ覇を唱える帝国として、改めて帝位の威光が叫ばれた。天皇が生まれた。
「うぃー、よって大納言とは」
天皇一人へ権力が集中せぬよう、民主的に朝廷を運営しつつ、国威の顕現として軍を率い外敵を討ち払う、民の希望にして臣下の鑑たる文武百官の最高位である。これに就くのは、大将軍たり得る戦力と実績を有する者に限られる。
初代大納言《天照》天龍卑弥呼。
魂の世界種を使い、群将時代の大乱を鎮め天乱時代の魁となり、大和国を建国しのちに初代天皇へ即位した。
二代目大納言《天神》仙嶽真雲。
雲の自然種を使い、卑弥呼の夫としてその偉業へ最も貢献し、里政を樹立し法を整え大和国の地盤を築いた。
三代目大納言《海神》仙嶽雲海。
海の自然種を使い、真雲の甥として歴代最強たる力で領土を広げ、大和国を世界第二位の国へと押し上げた。
だがこの漢は多くを異とする。
四代目大納言《閻魔》富陸毅臣。
黄泉の召喚種を使い、雲海ら政敵を陥れ、天皇や文官を傀儡とし、自らの率いる高天原派で朝廷を席巻、三代にわたる民が平和で自由な世を滅し、民が強固で厳粛な世をもって大和国の威信を護らんとする。
__そしてその謀を知る義虎の命を狙う。
「さて、三代目閣下やその教えを受けし皇叔《九頭龍》天龍義海殿下は、かつての同志を八百万派として結集させ、民が平和で自由な世を返り咲かせんと身を焦がしておいでなれど……」
にっと、義虎は笑った。
「群将から天乱へ移り、戦の規模はえげつないほどに膨れ上がった。そして大和の大勢には、世界史をも変える武力がある。うぃー、この先どうなることでしょう」
__八百万派は戦力を欲しとる、そう、この義虎を!
ふっと、義虎はほくそ笑んだ。
「うぃー、次の授業は新たなる琥珀里をいかに防衛するかです」
義虎には兵権がない。
よって、長大な国境線の防衛網における全ての戦闘は、義虎、勝助、山忠、碧、妖美、麗亜の六人のみで回さなければならない。
朝廷としても正規兵たちの稼ぎとなる職務を停止することはできず、先日義虎が手配した、各城に住まうもと義虎兵を含めた各駐屯所の見張りと伝令、物資運搬などの割り当ては容認した。その条件として兵たちの参戦を禁じ、官吏にこれを監視させている。
「はい、トラ先生」
「はい、みどさん。句読点を合わせ二〇字以上、三〇字以内でどうぞ」
「なぜ武官の勝助さんと山忠さんにも兵隊がいないのですか。二七字」
「二人は数日前、八丸丹毒斎らと小競り合ったからです。先生二五字」
「ん、負ーけーたー」
義虎がホームレス大将軍となった折、勝助と山忠も彼から引き離された。そこで丹毒斎を怒らせて自分たちを襲わせ、逃げ出すかたちで義虎と合流を果たしたわけだが、これで二人も兵権を失った。
「負けとかある?」
「ないだろうれど、台詞の字数が揃う美しい情景には惚れ惚れとしてしまうね」
「木村さん。オカビショくんに語らせないで下さいチョーク命中させますよ?」
「そんな理不尽な……」
義虎は六人を三班へ分けた。
当分は勝助と碧、山忠と麗亜、そして義虎と妖美で三つの駐屯所へ別れ、新兵への戦闘訓練と戦場講義を重ねながら、敵状を分析し警戒する任へ当たる。
「うぃー、出くわした敵に武官が三人以上おればもう一班へ、将軍がおれば二班全てへ念話しながら刺激せず捕捉しつつ後退し泣いて窮状を訴えるべし、では出陣」
「「え」」
五月二七日。
「他の班へ泣いて窮状を訴えるかい」
「断じて窮状ではないが招きませう」
新たな国境線となった丘陵地帯、三星台の野がものものしい敵の軍勢に埋められていた。
軍旗に書かれる字は、鋼である。
にっと、義虎は武者震いに燃えたぎる。
__うぃー、この一騎討ち、圧倒的な力へ不退転の覚悟をたぎらせ無心に挑む己が勇姿を、かわいい教え子へ見せびらかす。特に駐屯してから三週間、いやというほど天賦の英気を突き付けてきたオカビショよ、とくと見とりなさい。
敵の大将はかつての部下である。
__黄華国将軍《蚩尤》袴連鋼城。
卑劣をいとわぬ義虎を嫌い、義虎を倒して敵へ奔った、因縁の天才である。思い出す。鋼城を逃がした咎と恥で、どれだけ辛酸を舐めたことかと。
どっと、突貫する。
「鎧仗顕現『鉄刃』」
「鎧仗顕現『鉄鈀』!」
がっと、轟音と火花と衝撃が爆ぜる。
__うぃー、この最大出力噴速突貫に反応するとは。されどなんつう膂力……。
ばっと、怪力に押しきられる前に足をさばき、後ろへ回り斬り込む。
防がれる。後ろへ突き出す柄で防いだ敵が、防いでから目を動かす。
刹那、睨み合い、同時に離れる。
「昔ぴーぴー泣かして以来だね、刺青星人?」
「今日が命日となる輩が戯言を、骸骨星人!」
緋色の覇玉。烈火を模した顔の刺青、九股になびく髭、身の丈二一三を固める鋼の筋肉。世界一位の軍事大国たる黄華国において、齢二六の異国の出にして、戦と鋼の神、蚩尤を異名に勝ち得しこの漢こそ、鋼城である。
「全軍、手出し無用ぞ!」
鋼城が巨体を躍らせ、熊手状の武器、鈀を大上段から叩き込んでくる。
__うぃー、並みの兵なら卒倒する迫力だね?
まっこうから打ち合うと見せかけ、接触すると同時に鈀の軌道を左へずらす。間、髪を入れず、空いた右へ斬り上げる。鈀を振り抜き殴り飛ばされ、直後にほとばしらす偃月刀も、腕力の差をもって受けきられる。
「おのれ骸骨星人、わてお気に入りの緋色のマント、小指一本分も裂きおって……スペシャル怒ったぞ!」
「マントより鎧の心配しなよ精神年齢三歳児?」
などと戯れつつ、鋼城が一瞥する先に妖美がいるのを見落とさない。
義虎の後ろには妖美しかいない。
鋼城が義虎を抑えつつ軍勢を突撃させれば、新兵一人と精兵大軍の戦いとなる。単純に考えれば、戦ったと感じる間もなく黄華軍が勝つだろう。
__策ありと警戒しとる、んだよね?
狙いどおり、鋼城は合戦を始めない。
妖美を見る。座禅を組んでいる。
黒い髪が、片肌脱いだ着物が、涼やかにそよいでいる。背筋は伸ばすが張りつめず、吐息は静かに悠然と流し、穏やかに注ぐ眼差しは春の陽気を楽しんでいる。
鋼城を見て楽しんでいる。
__うぃー、生意気な天才め、先生を見て楽しみな?
「超魂顕現『鉄刃戦紅』」
「超魂顕現『鉄芸玉鋼』!」
義虎の赤色の陣羽織が、猛虎を描く。鎧は赤糸縅を、兜の房は柳葉を魅せる。
鋼城の緋色のマントが、兜の縁取りが、九股に尖る。肩当てを飾る金具が、鎧へ浮き出る烈火の紋様が、鋭く尖る。
次の瞬間。
がっと、義虎は後ろの地面から突き出た緋色の太い鉄の針を切り落とす。
「さすがの反射神経だな骸骨星人。だが鉄が鉄で鉄を切るとは皮肉な……」
「鉄が、のとこ訂正しな刺青星人。鋼の格下たる鉄の名は、とうに超えた」
烈風を巻いて斬りかかる。
歯車の群れが生み出され、高速回転しながら降り注ぐ。
電光一閃、偃月刀を振り、一つをはね返し他を巻き込みくぐり抜ける。突っ込んでくる鉄筋を、かわす宙返りから踏み付け地面へねじ込む。そこへ九本、円周上より鉄針が現れ、中点にいる義虎を同時に突き刺しにくる。
すでに義虎は上へ抜けている。
九本、鎖に繋がる鉤爪が変幻自在に襲いくる。
「斬る」
電光石火、高速で斜めに回転しながらことごとく打ち払い、突貫する。
「スペシャル機動九腕仗!」
がっと、鋼城の懐まで斬り込んだ義虎が、遠く妖美のもとまで突き飛ばされる。
九つある、円周上の各地点から出現し、九つある、巨大な鉄の武器を伸ばして握り、九つある、巨大な鉄のアームが鎌首をもたげ陽光を遮る。さながら象の群れが一匹の蟻へ鼻を振り上げるがごとく、鋼城自慢の妙技が空を裂いて腕を広げる。
「美しい覇術だ……」
「うぃー、呑気に感動してくれちゃって」
同じ超魂覇術でも、義虎にあるのは何の変哲もない偃月刀、一本のみである。
__あまりにも覇術の素質が違いすぎる。これだから天才爆発しろなんだよ?
「されど でも けれども ところが ですが だが しかし⁉」
__これだから非才の恐ろしさを披露してやる価値も沸騰するんだよ、とくと見とれや天才ども⁉
「オカビショ、敵兵が動いたら闇お願いね?」
「任せたまえ。大将軍は」
「もちろん蚩尤を討滅す」
言うが早いか猛虎は飛び出した。




