三一 ケーキ食べよ?
ここに、ケーキの材料は揃った。ケーキ屋さんで育った麗亜、今こそ腕の見せどころである。
「えと、フルーツはカットし終わったから……」
ぬっと、義虎はその果物の山に眉をしかめた。
「うぃー、このむごたらしい汁の残骸は何ぞ?」
ぎしぎし、碧が首だけ明後日の方向へ逃げ、わざわざ回り込む義虎が全力で嘲笑した。
「だって鎖鎌じゃ切りにくいもん」
「止めてあげなよ木村氏」
「えええ、ボクのせい?」
「ん、止められたけど信念のまま毅然として逆らい続け今へ至る」
「偉大なる大和の神々よ、願わくばこれなる稀代のすかぽんたんへ、食さんとするケーキをことごとく奪取され涙目で頬を膨らます未来という神聖にして不可侵なる天罰を下したまえかし」
粛々と義虎は十字を切った。
「ん、大和の神々は異教徒の煩悩なんざ聞き届けんよ」
「うぃー、セコい奴め、されば人力で成し遂げるまで」
かっと、義虎は眼を見開いた。
ばっと、碧がにこにこ顔で手を伸ばす先にある、勝助が今買ってきた色とりどりのマカロンが詰まった袋を、疾風迅雷、無駄に本気で動き没収した。
ぷっと、碧が涙目で頬を膨らませた。
「おぉー、完成だよ!」
パインに苺、みかんにメロン、カシスなどなど山盛りフルーツタルト。
特製メープルシロップをたっぷりかけた、ふわふわ厚切りパンケーキ。
特大バニラアイスから濃厚チョコソースの垂れるチョコレートケーキ。
三種の果物ピューレで飾る、柔らか生地が何層も連なるミルクレープ。
甘酸っぱい半切りストロベリーがいっぱいに並ぶ、苺デコレーション。
五つの大皿で麗亜の自信作が胸を張る。
「ん、お料理シーンは見せぬのね」
「驚いたべ、碧どんと比べれば勝助どんの六歳の嬢ちゃんすら女神」
「うぃー、人とはかくも限りなく醜悪になり得るのだと学んだね?」
「うむ、かき混ぜるのが下手すぎていちいち誰かの顔面へ飛び散らすわ、あげくの果てにはボウルごと砲丸投げをかますわ、誰もが擁護しきれんのだな」
なお、そのボウルは飛べる義虎がいたおかげで助かった。
「お待ち、あれはボウルが丸いから悪いんだ」
と碧。そして総員沈黙。
「それに生地伸ばすんも、がんばったじゃん」
と碧。そして総員愕然。
「しかも絶品の盛り付けセンス披露したんに」
と碧。そして総員絶望。
「世も末だべ」
「のし棒を大上段に振りかぶり、殴打の連撃をもって生地を破壊せしあの暴挙の、どこにがんばりを見出せと?」
「盛り付けも総取っ換えをしたのだな、見るに絶えず」
集団リンチされ碧の目が潤み出す。にっと、義虎が悪魔の笑みを浮かべる。
「ポンコツみどちゃん」
「ぶぁかぁ」
ぷっと、碧が涙目で頬を膨らませた。
「軍師資格、もっとらんくせにぃ」
「おや本当かい、てっきり取得しているものとばかり」
「うぃー、試験受けさせてもらえんでさぁ、身分的に」
義虎は妖美に謝られた。
なお勝助は軍師である。
「吾輩と二人して受験しに行ったのだが、猛虎だけ門前払いされたのだな。その時の猛虎の石像っぷり……試験中に思い出して腹筋が痛んで解答欄を間違いかけたのだな」
義虎は満面の笑みを浮かべ、りんごパイを咀嚼した。
「それ、勝助どんの大好物だべ」
「おぉー、これが大人な対応?」
「ん、子供でしょ子供、子供~」
「うぃー、義虎は碧をいじめると決めた。ひとまず話題を逸らしませう、オカビショ密かになんか作っとたよね?」
「即興だけどね。麗亜くんの美しい技術をまねて、オレンジムースをこしらえてみたよ」
「おぉー、すっごい凄い! 構成も色味も弾力も、もう初めての出来じゃないよ! 美味しそうだね!」
「ありがとう、そして専門家に認められるとは嗚呼、なんと美しい身ども」
この少年に下手なことはないのかと、義虎は心のハンカチを噛みしめた。
「勝さん山くん、君らもなんか手作りのブツは?」
「マカロンとドーナツは、単なる売り物なのだな」
「紅茶のカップケーキも、単なる売り物だべ、が」
ぱっと、義虎は煌めいた。
「サワーチェリーの蜂蜜レモン煮は、おいどん自慢の一品だべよ!」
「心の友よ! どうだオカビショ木村氏、義虎自慢の腹心の技は⁉」
「おぉー、いい香り……」
義虎はふんぞり返った。飛べなければ頭からひっくり返る角度である。
「ではトドメだね? 以上の大小各五皿を交互に並べ円を描くなら、中心に身長のある一皿がおらねば見栄えのしょーもなきこと半端なし、よって丸テーブルへ運び並べきるまでの時間をもって〈缶詰め果実カラフル幽閉ババロア〉を作る」
「ん、義虎が?」
「否、勝さんが」
「うぃー、これがババロアか神々しい」
「知らないのに作らすと断じたんだね」
と苦笑いする妖美に頷きつつ麗亜は思った。
フルーツケーキ、パンケーキ、チョコケーキ、クレープケーキ、イチゴケーキ、ムースケーキ、カップケーキ、それからマカロン、ドーナツ、チェリーの蜂蜜煮、缶詰め果実カラフル幽閉ババロア。
どれもこれも、兵糧と残飯の他はほとんど食べたことがないと喩えられる義虎にとっては、まさに天国の食卓たる逸品なのだろう。だからと言って、こうも下品によだれを溢れ返して飢えた猛獣の顔をされたのでは、大将軍の威厳も何もあったものではない。
__かわいそうな子、かな。
と思った矢先、猛虎が暴走し始めてしまった。
手掴みで、ミルクレープを己が顔ほどもむしり取り、八重歯でくわえ口の筋肉でむさぼりつつ、どこからせしめてきたのか串を構え、鋭く、マカロンを二つ貫き自分の獲物だぞアピールをかます、だけにとどまらず、碧が狙ったカップケーキを電光石火で先取りする。
ぷっと、碧が涙目で頬を膨らませた。
__うわぁ。しつけが必要だ。
エプロンと三角巾を外すのも忘れ、麗亜は狙っていたドーナツを確保しにいく。
苺をかじったまま停止して、山忠もあきれている。
勝助は放置を決め込み、エレガントに紅茶を楽しんでいる。
それに倣うと決め込み、妖美も同じ所作で紅茶を満喫して尋ねる。
「今回の電撃戦、逆に美しいほどに上手く運びすぎてはいないかい」
「うぃー、敵に援軍が来なんだ点ね?」
はっと、麗亜は義虎を注視する。
不気味な笑みを浮かべている。
カップケーキを持つ手を右へ上へ動かし、半泣きで追う碧をもてあそびつつ、ミルクレープの裁断器と化したまま器用に喋ってくる。
「だって黄華朝廷は援軍送りたくとも送れんからね、ここ昴が史上最強たる謀反の容疑者《斉天大聖》の本拠地なので、すなわち、侵略されとると見せかけ、黄華の援軍を呼び込みぎったんぎったんに蹂躙するという、石猿と義虎の共謀がはびこる罠の地かもしれんので」
ぼっと、麗亜は立ち尽くす。
がっと、碧が義虎の袖を破かんばかりに腕を抑え込む。
にっと、義虎は身長差と腕力差を見せ付けながら腕を掲げ続け、カップケーキを渡さない。
__おぉー、鬼才なのに大人げない……。
ぐっと、碧がほとんどぶら下がるようにし義虎の腕へ体重をかける。
ぱっと、義虎はカップケーキを放して落とし、空いている逆の手へ納める。
びっと、そのとたん華麗に足をさばき碧をかわし置き去っていき、しかし固まった。
「うぃー、山くん粗相!」
「いんや。どんだけ自分の獲物だぞアピールしとこうが、だらだら兄妹げんかしながら放置しときゃあ、マカロン盗み食いされんのは人間社会のお約束だべよ」
__大人げないうえにダサい……。
どっと、今だと碧がカップケーキへ突撃する。
すっと、瞳を光らせ直し、義虎は振り返りもせず必要最小限の動きでかわす。
こっと、ついでに碧の足を引っかけ、憐れな少女をすってんころりんさせる。
「ふにゃ。ぶぁかぁ」
「みど今日まじポンコツ」
__そしてひどい……。
はっと、ここで麗亜は大事なことを思い出した。
「そろそろケーキ食べよっか⁉」
五月六日。
義虎たちはケーキの材料をかき集めた霊台城を根城と定めていた。朝日を浴び、義虎は皆を城主の執務室へ呼び集めた。
「ん、場面変えちゃうのか」
「お黙りあそばせ。誰かさんのポンコツぶりだけで一話終わる道理はないよ?」
ぷっと、碧が涙目で頬を膨らませた。
義虎はおもむろに八岐大蛇から届いた書簡を広げた。
「うぃー、こたびの武功で罪過は差し引きゼロだとさ」
ほっと、勝助も山忠も、麗亜も、胸をなで下ろした。
__木村氏の眼……。
義虎は見抜いている。
荒灰原の戦いを終え口論した際、麗亜は最後に答えなかった。あれは気圧され、論破するに足る言葉を探せなかっただけだろう。
反論はもっている。
義虎がどう生きるかという自由を侵しはしない。
人を殺す人である以上、生温いことも言わない。
それでも己を大切にしろ。
__あなたを想う人のためにも。
麗亜はそう訴えたいだろう。それこそ理屈ではない。
__くつがえすは難しいし面倒くさいし材料がない。
いつかは言ってくる。
自信をもって言いきれるだけの実績や覚悟を蓄えた時、必ず闘いを挑まれる。
そうなれば、この切り札を切るしかなくなる。
__奴隷たる己を人間の道義へ当てはめるな。
遠く義虎は想う。
__君らがこれを一蹴できるなら……時代は変わるやもしれぬ。
「うぃー、暑くなるね?」
麗亜は笑っている。
妖美も笑いながら窓を開け、南海を見晴らした。
「次は後任の琥珀ご領主が赴任されるまで、この美しい戦略的要地を守り抜く戦へ奔走せねばならくなるね」
「いかにも。この地はこたびの異文化っぷりの尋常じゃなさを可能とせし、万里の海上交易が要だもんね?」
__うぃー、来たるべき叛逆へ向け鍛えねばだね。
にっと、義虎は武者震いに燃え胸をかいた。




