二六 大和朝廷、唸る
金剛里。
その中部には都があり、その中央には宮中があり、その中心には将軍閣がある。
よく整った畳が敷き詰められるそこには、厳かなる正装、黒い狩衣に赤い羽織を重ねる、高天原派の武士たちが集っていた。
「決した。戦は《猛虎》が取る」
地底より滲み出るように、隻眼の四代目大納言が告げた。
大将軍《閻魔》富陸毅臣である。
念話を用いる連絡は早い。毅臣らはすでに瑪瑙里にいる将軍《八岐大蛇》山蛇陰滑らを介し、義虎が悟空を退去させ三蔵らのみと開戦したことを知っていた。
見上げんばかりの獅子人が笑った。
大将軍《火之迦具土》焔剛獅獣である。
「されば、いかにして虎を狩ろうか」
骸骨を模した白い仮面を装着する乙女が指を開いて滑らせ目を隠した。
将軍《禍津日》嶺森樹呪である。
「鞭打ち、鋸引き、釜茹で。罪深き虎を祝福する天罰は三つござる。悪魔を追い払うのみでは、釜茹で一つを封印するにとどまりまする」
「だがあの虎はしぶてえぞ。兵権もねえまま三つとも相殺できる算段があっから、七日で成すとか自分から時間制限しちまうんだろうさ」
薔薇色に染めたモヒカン刈りを整える大男がサングラスを煌めかせた。
将軍《孔雀明王》彩扇煌丸である。
「さような福音など、旧領回復してすら得られますまい」
樹呪が嗤うも、獅獣は笑みを消した。
「故にその先までやるとみる。仮にもあ奴は」
獅獣は義虎の戦績をもって、その将器を認めていた。
「一人で〈四罪〉四将軍を全て斬り、大将軍《托塔李天王》をも討った漢ぞ」
義虎が挙げた武勲を正しく知る者は少ない。
彼を醜悪なる罪人として公明正大に抹消したい高天原派が、密かに緘口令を敷いてきたからである。八百万派を率いる将軍《九頭龍》天龍義海らに抗議されてからは、自分たちを弾劾する口実を与えぬよう、完全武功制へ照らし義虎を昇進させることだけは妥協してきた。だが手柄の詳細は、民衆はもちろん八百万派へも広まっていない。
すなわち、高天原派こそが義虎の恐ろしさを最も理解している。
「妨害いたしやすか」
煌丸が毅臣へ問えば、閻魔のごとき眼が光った。
「いらぬ。今、新たなる念話を受けた」
義虎、賊徒と通ず。
誰もが耳を疑った。
これまで付け入る隙を見せなかった義虎が、自ら墓穴を掘ってきた。
ずっと黙っていた少女のような武芸者は、うつむく角度を深めずにはいられなかった。
__何やってんの……。
将軍《浄玻璃》武道沙朝であった。
勝助が、接近を隠す幻の情景を広げ、三蔵の天道から標的を断つ。
山忠が、巨大かつ堅牢なる岩亀で攻め立て、賀停の巨戟を嘲笑う。
大牙顎が、装甲を誇るワニの獰猛ぶりで、竜馬の白龍を苦しめる。
鯨小僧が、鋼のピンク機関車で爆走し、八戒のベリルを打ち砕く。
このはが、縦横無尽に木の葉を乱舞させ、悟蘭の蘭を後手へ回す。
戦は終局である。
「先々危険人物となり得る君は、今ここで」
とっと、義虎は偃月刀の柄を肩へかつぐ。
「斬る」
盤毅を見すえる猛虎が燃やす隻眼は、次の瞬間、彼の目と鼻の先へと飛んできた。
泥人形が切られた。
「うぃー、石猿の一党らしく皆して、分身がお達者で」
__いつ分身とすり代わった?
自分が急襲されることを見越し、大将軍の目をかいくぐり、自分は隠れつつ、泥で作った分身を動かし周りに自分だと錯覚させる。その芸当をこなせばこそ、上級武官《泥塑師》を、先ほどの賀停のように見逃してやるわけにはいかない。
「おらん」
だが義虎は苦く笑う。
__隠れるなら……やっぱ泥の中だよね、手が出せんのですが?
作戦書に記させた策は、自分がとっとと盤毅を討ち取るのが前提である。しかし未知なる粘着性の泥中に潜まれては、なんの変哲もない物理攻撃しかできない義虎には、なす術がない。
__うぃー、あんだけ絶大かっこ付けといて討てねばメンツ丸つぶれよ、育成計画もへったくれもないよ、皆にジト目を……発射するを許す道理はないよ?
ばっと、悟蘭を目がけ飛ぶ。
「斬る」
「虎ちゃん⁉」
「くっ、旋風蘭花!」
このはの舞台へ乱入し、高速で斜めに回転しながら悟蘭が必死に盾とする蘭の渦を突っきり、偃月刀を叩き込む。間一髪、矛で受けられる。
押しきる。腕から鈍い音を吐かせ、地面へねじ込み転がして、うんと遠くへ吹き飛ばす。間、髪を入れず追いすがる。飛ばした先は、泥の塊がある方向である。悟蘭が埋もれる。とどめの刃をほとばしらす。
がっと、金属音が響く。
「これ以上、仲間は死なせぬぞよ」
泥の中より盤毅が現れ、泥を纏い強化した腕力で鎌槍を掲げ、偃月刀を受け止めていた。
ぐっと、義虎の手が盤毅の首を捕らえた。
「引っかかったね?」
__ん、怖カッコイイ! なんつう経験値!
碧は感嘆した。
義虎は今、物理的に引きずり出せない盤毅が自発的に出てくるよう、瞬時に策を組み立てた。獲物を悟蘭へ変えたと見せかけ、彼女を泥のある場所まで追いやり、泥中の盤毅へ見せ付けた。
__昨日の戦、利用したんだ。
昨日、盤毅は義虎により大辛という仲間を喪った。その際の様子から、義虎は彼が仲間想いであることを見抜いた。故に、今まさに目の前で再び仲間を喪うという時、自分だけがそれを止められるという状況で、彼は飛び出さずにはいられない。
義虎はその心理を利用した。
__しかも心理を読み外しても無問題じゃん!
もし、盤毅が悟蘭を見捨てれば。
単純に盤毅が間に合わなければ。
そもそも、悟蘭を飛ばした先にあった泥の塊は、盤毅が義虎から隠れるために潜った泥の沼とは、まったく別の場所にある。彼が塊の方から出てくる保証などなかった。
かまわない。
あのまま悟蘭を斬っても、それは戦果であって失敗ではない。
六つの一騎討ちが同時並行している以上、手の空いたこのはが他へ加勢すれば、そこから一対一の均衡は崩れ戦局は義虎たちの優位へ傾く。盤毅が依然として隠れながら戦おうとも、その攻撃を掻いくぐり他を斬って回ればいい。
さらに義虎は言っていた。
《八岐大蛇》山蛇陰滑は、覇術で影の中へ潜る。入る影と出る影の間には、接続の有無など関係ない。盤毅も泥の中へ潜行するなら、同じ仕組みかもしれないと。
よって試した。同じだった。
__瞬時に、これだけ組み立てるとか……。
「どんだけ戦闘慣れしとるん、よっ」
大将軍《猛虎》空柳義虎。
かっこいい、これのどこが卑怯で貧弱で凡庸か、超絶に期待以上ではないかと、碧は目を煌めかせる。もっと見たい、本物の戦上手が魅せる戦の極みを。そしてその極みへ全身で浸かり、自分もこの漢のようになりたいと。
戦人の本能だった。
じっと、碧は注視する。今まさに盤毅を斬らんとする義虎を。
にわかに霧で見えなくなった。悟蘭が叫んだ。
「今です、盤毅どの!」
「させないよ!」
「くっ、全軍退くぞよ!」
あっという間であった。碧も、麗亜も妖美も、何もできなかった。
遠く城にいた公孫驁広が現れた。離れた二つの空間を置換できる敵武官である。三蔵から念話を受け仲間たちの劣勢を知り、駆け付けてきた。
そして義虎のいる空間へ、三蔵と彼女の霧を転移させた。
霧という覇術領域へ入った義虎へ、三蔵は天眼通をかけた。
動けない義虎から逃れた盤毅が、逆に義虎を刺しにかかった。
このはが木の葉を群らがらせ、盤毅を妨げ、義虎を押し流した。
霧を出た義虎が天眼通から脱したことで、盤毅は決断させられた。
勝ち目はないと。
「なははは、敵が逃げるぞ追い討ちじゃあっ! 猛虎が兄弟たちよ我らが勝ちぞ、いざ負け犬の尻を突き崩せい、完膚なきまでに蹂躙せよおっ!」
「「うぉおおおーっ‼」」
ここぞとばかりに声を張り上げる義虎と、狂わしいばかりに応える味方の雄叫びに気圧されながら、碧たちはただ、怒濤のように決した戦の趨勢を眺めていた。
将軍・武道沙朝。
大将軍・空柳義虎がまだ奴隷兵・鉄であった十四年前から、四年間、彼と死地をともにした。歳は一つ上だが、戦歴では三年後輩であった。しかし才覚では遥かに勝った。妬まれ、逆上されつつも、幾度となく彼の命を救った。
そして、そんな少年に恋い慕われた少女であった。
__今は違う。
沙朝は宮殿の門をまたぐ。路地へ出てから、潤む瞳を琥珀里の空へ向けてやる。
__君は変わったね。戦人としてはよくなった、けど……。
十八歳で沙朝は将軍へと上がり、鉄のいる軍を巣立った。一年後に彼は移籍し、空柳義虎となった。
__男の子としては悪くなった。
はっと、沙朝は頬へこぼした熱い雫をぬぐい取る。
富陸毅臣への孝心。
空柳義虎への友情。
__板挟みは疲れたってば……もうどうしたら……。
どっと、沙朝は崩れ込んだ。
__父上から君を護れる?
毅臣は将軍閣での軍議を解散したのち、竹馬の友である獅獣、そして沙朝のみを残しこう告げた。
山賊と組んでいた件や七日宣言で義虎が咎められることはないだろう。義虎ともあろう策士は、英雄《雷神》の後継者は、そんな稚拙なしくじり方はしない。故にこそ決断する。
性急に義虎を葬る。計画を練り変えると。
列強諸国を巻き込む大戦が脈動していた。