二三 碧アドリブ・山颪の舞
「がんばった。えらい、えらい」
そっと、麗亜は顔を上げる。助かった。なぜ。
赤く、大きく雄々しい翼。悠然とたゆたう尾。無駄のない獣の脚。そして、みすぼらしいまでに骨張る体のあらゆる皮膚を蹂躙する、むごたらしい古傷たち。斬り裂かれ、腐り落ちた左目の穴へ代わりに埋め込む赤い覇玉の、闘争本能、剥き出しのぎらつき。
大将軍《猛虎》空柳義虎。
悲壮なほどに心強い狂戦士が、巨戟を踏み倒してそこにいた。
「……あ……え、あ……」
助かった。恐かった。来てくれた。悔しい。恥ずかしい。頼もしい。怒られる。帰りたい。ありがと。負けた。動けない。優しくして。
頭はごちゃごちゃであり、声は言葉を作れない。
「無問題」
はっと、麗亜は義虎を見詰める。微笑んでいる。
じっと、義虎は麗亜を見詰める。泣きじゃくっている。
__かわいい。
保護者となったかのようにそう感じる。なぜ。
__認めたから。弱かった義虎に似とるしね。
少女の気もちを完璧に理解できる。
ただのカワイイ女の子なら、味方をも戦慄させるほどに闘気と邪佞と隷属のみに憑り付かれし戦の囚人を、こんな気もちにさせるには値しない。
ここに、狂戦士は悟った。
__かわいい教え子たちは義虎が護る。育ててやる、立派な戦人へと。この手を離れるその時まで、断じて壊させてなるものか。そう、これが……。
《雷神》雷島片信。
《火神》炎火臆母。
自分を護り育てた、今は亡き偉大な戦人たちが言っていた。
これがあれば真に強くなれる。
__これが、護りたいものか。
「三秒で選びな?」
にっと、義虎は悪魔の笑みを賀停へ注ぐ。一〇〇メートルは離れている。
「武人の誉れを貫き一騎討ちを挑みて秒殺され儚く虚しく愚かしく散るか」
尻尾で向こうを指す。
「尻尾を巻いて恐いよぉ助けてぇと仲間のもとへ逃げ込み汚物臭の香る赤っ恥を広く世間へ見せびらかし永久なる誹謗中傷の虜へ堕ちるか」
ばっと、赤く大きな翼を一扇ぎし、自分を追い賀停を助けに迫りくる、三蔵の霧を吹き飛ばす。
賀停が、わなわなと肩を震わせ睨んでいる。
麗亜が、そこまで挑発するかと焦っている。
「壱」
賀停が、巨戟を浮かび上がらせる。
麗亜が、あっと叫んで刀を構える。
「弐」
賀停が、雄叫びもろとも巨戟を振りかぶる。
麗亜が、雄叫びもろとも神剣を振りかぶる。
「参」
賀停が、硬直する。
麗亜が、驚愕する。
義虎が、賀停の喉もとへ偃月刀を突き付けていた。
一〇〇メートル離れていた。一秒前、否、一瞬前まで、一〇〇メートルも離れたところで悠然と数えていた義虎は今、ただの一息で賀停の首を落とせる近くにあって、泰然と笑っている。
「瞬間移動か……化物めっ」
「うぃー、舐めんな三下が」
義虎は笑みを消し去った。
指さしてやる。自分の足もと、超加速して突っ込み急停止して、えぐった地面を。目の前で弾ける突風に突かれ、ようやく下りてくる賀停のマントを。
「さて三秒経った」
前者と後者いずれにするかと淡泊に迫り、後者だと、顔を歪ませ走り去らせた。
麗亜のもとへ飛び、妖美へ念話を繋がせた。勝てそうだから続けるか、負けそうだから逃げたいか、停滞していて正直やめてもいいか。どれかと尋ね、三つ目と答えられた。
(されば鳥居氏の勝負が付き次第、木村氏んとこ集合してね?)
義虎は碧の一騎討ちへ目をやった。
碧は考えていた。カッコいい技名を。
技名を唱えて初めて、技は安定する。
__上から下にぼかーんな風は……。
義虎の推測が正しければ、悟蘭は地面の穴に潜んでいる。引き摺り出すには掘り起こすか、穴を周りごと押し潰せばいいが、地中をいじくるような技はない。
ならば、この場で発明してみせると決心した。
既存の技での工夫はした。
巻き上げる暴風、旋風の舞で辺り一帯の地表を洗い、地面へ偽装する蘭が飛ばされ丸見えとなった穴を見付けるや、一点集中の風圧、疾風の舞を撃ち込んだ。
反応はなかった。
逆に、自身を守る旋風の大半を広げ無防備となった。
旋風の内側を飛び交っていた、蘭の手裏剣に攻め立てられた。
ただでさえ、超魂状態では使ったことのない鎖鎌を出して振り回し、風の守りのない下からの攻撃を防ぐのに手一杯の状況で、急いで旋風を呼び戻しつつ、一から計算し直すのは大変だった。
__ん、気チガイ猛虎め。
先ほど、同じようなことを平然と片腕でやっていた義虎の気が知れない。
ともかく、風力を凝縮した塊を地面へ叩き付けるという方針は固まった。
塊を作る算段も整った。
旋風が戻ったので下からくる蘭は減り、鎖鎌も旋風へ巻いて自動旋回させておける。
穴が無人だったのは義虎の推測が外れたからではなく、悟蘭が疾風に撃たれるのを警戒し、穴を広げて移動していたからであること、そして今も正確かつ効率的に碧を攻撃してくる以上、覗き穴ほどの隙間を開け、まだ風の塊で穿てる範囲に留まっていることも、検討は付いている。
__あとは名付けだけ!
覇力はほとんど残っていない。この大技を一度放てば、最後の疾風一発以外、もう何もできはしない。これで決めねばならない。思い付いた瞬間に仕掛ける。
来た。
「三つ目・山颪の舞」
ごっと、荒々しく、台風さながら旋風が集う。上空へ、球形へ、質量へ、碧色の濃度を増し轟音を唸らせ、秩序を投げ捨て烈風かき混ぜ、滅茶苦茶に猛り狂わせ放り落とす。
がっと、碧色が爆発する。
ぶっと、壁も分身も手裏剣も、全ての蘭が蹴散らされる。
どっと、掘られて緩んだ地盤が耐えれず、穴の周囲が崩落する。
ばっと、崩落の中に見える凹んだ蘭のかまくらへ、満身をもって疾風を撃つ。
ずっと、がらんどうの蘭が潰れた。
「げ……」
またしても、外れだった。
この一騎討ちは、敗れた。
__くそっ! ふざけんな! どんな小細工だよおっ!
風がやんでいく。巫女の姿が消えていく。浮力が薄れ落ちていく。鈍い音をくぐもらせ、鎖鎌が地面へ転がる。その横へ、がくりと、膝に続け手を付いて、視界も霞む汗の雨で土を湿らせ、碧は敵の姿を探す。
「覇力が切れたか。惜しかったな」
潰した蘭のかまくらからほんの数メートルだけ離れた場所で、崩落した残骸の一部が別のかまくらへ変わっていく。それが開き、悟蘭が立ち上がる。
碧は地面へ怒り印を書いて潰した。
「地中かよ! また偽装させとった」
「いかにも。お前が山颪を用意した時、私は自分があぶり出されることを察した。そこでこの結界蘭花を二つ急造し、色を変えぬ方を囮としたのだ」
悟蘭が手を掲げる。無数の蘭が旋回する。
「相性のよさもあったが、少女の身で私を相手によく健闘した。敬意を表し、この技で終わらせよう……旋風蘭花!」
「ん、ども。だども」
悟蘭が蘭の旋風を止めた。
碧の前に、髄醒状態の義虎が立っていた。
碧は義虎を見上げた。彼がいるだけで悟蘭が冷や汗を流し後ずさる。憎たらしいほど頼もしい、と眺めていると、不意討ちで笑いかけられた。
「うぃー、お疲れさま」
「ん、大至急で慰めて」
「うぃー、今はすごい悔しいけど他の人よりずっと努力してきた力がこの先の戦いで圧倒的な武器になってくんは絶対に間違いないからここで投げ出さず努力が実るように一緒にがんばってこうね?」
「ん、いい台詞なんに棒読みで残念」
「うぃー、今はすごい悔しいけどぉ」
「ん、おやめ三文芝居、それよかだ」
碧は三蔵の霧を指す。
三蔵はあちこち動き回る義虎に翻弄されていたが、麗亜へ続き碧も戦闘不能となった今、二人を守る義虎の動きは制限される。いよいよ追い付いてくるだろう。霧に呑まれ覇術を封じられれば、義虎は後手に回る。
指をかじりながら訊いてみた。
「義虎って強いん? 弱いん?」
「……強い」
「ん、大将軍のくせして一介の武官に苦戦するんに?」
「うぃー、言い訳させてよぉ、相性はバカにできんと」
されど勝つ。そう呟かれた気がした。
「一手だけ試してみるけどだ、だめなら逃げ惑うよ?」
「うわー」
と、尻尾に締め上げられた。と思えば持ち上げられ、空を飛んでいた。麗亜のもとへ降ろされ、妖美もやって来た。義虎が言った。
「退けって叫んだら、オカビショは闇を広げ煙幕代わりにしなね? そして三人揃ってさっさと、とっとと、ちゃっちゃと、まっすぐ惑わず紛うことなく東へ走ること」
ぐっと、碧は唾を飲み込んだ。
びっと、義虎が赤い彗星のごとく飛び出し、霧へ突っ込む。
大きく強靭な翼で、力いっぱい連続で羽ばたき、大風を起こす。
厚い霧が、徐々に押しのけられていく。
狙いを察した三蔵が、義虎を妨害するよう指示を出す。
竜馬が、白龍を突進させる。
義虎は受け流し、蹴り付けて追い払い、羽ばたき続ける。
盤毅が、粘着性をもつ泥の砲弾を連射する。
義虎は俊敏にかわしつつ、羽ばたき続ける。
悟蘭が、蘭の旋風で捕らえにかかる。
義虎は滑空して巻きながら、羽ばたき続ける。
賀停が、巨戟のドリルを準備する。
龍が、泥が、蘭が、義虎を戟の射線へ追い込んでいく。
なお、義虎は羽ばたき続ける。
その時、ついに霧が晴れ、八戒に守られる三蔵が剥き出しとなる。
その時、追い込みが完成し、逃げ場なき龍と泥と蘭の壁に義虎は幽閉される。
「斬る」
どっと、巨戟が発射される。
びっと、義虎は閃光と化す。
がっと、レッドベリルの八戒がかち割れ、その後ろの三蔵の首を、猛進する巨戟を掻いくぐり目にも止まらぬ速さで斜めに回転しながら突っきる猛虎の偃月刀が、一閃する。
「退けえっ!」
碧はしかし、義虎の叫びを聞いた。