二〇 夜陰に空色ほとばしり
息を詰め、麗亜は義虎を追う。重たい汗がしたたる。足音を立てぬよう、細心の注意を払い続ける。突撃地点まで回り込みに走る裏路地のわずかな距離が、わずかな時間が、いまだかつてなく長く感じられる。
見えた。着いてしまった。
「準備いい?」
「あひゃい!」
変な声が出た。穴があったら入りたい。
__う……また見下されちゃう……。
無問題、と義虎は笑いかけてきた。
ほっとした。精神的な問題では厳しいが、技術的な指導では優しいのだろうか。
「ここから覇術解禁するよ、でも派手な剣圧ぶっ放さんでね? 長屋ぶっ壊れたら敵さん雪崩れ込んでくるから」
「は、はい!」
「されば突貫」
ばっと、義虎が飛び出す。拳で一人、蹴りで一人飛ばし、一人ずつを巻き込む。
__速っ⁉ だめ、ボクも戦わなきゃ……。
衛兵が敵襲を叫び、銅鑼が鳴らされる。騒ぎへ紛れて碧が現れ、長屋の角へと走り去る。こちらへ衛兵が群がるや、向こうで妖美が長屋へ侵入する。その間、義虎はさらに六人を倒している。
きっと、覚悟を決める。
__ボクも、やるんだ!
「超魂顕現『空色彗星』!」
どっと、踏みきり駆け出し大上段、神剣・天之尾羽張を振りかぶる。
「きえーっ!」
裂帛の猿叫と一閃、空色の霊気を逆巻かせ、まばゆく剣圧をほとばしらせ、一〇人以上を消し飛ばし。
「鎧仗顕現『鉄刃』」
義虎に弾かれた。
「……なん、で」
「こらこら言ったでしょ長屋壊すなって?」
はっと、硬直する。
やってしまった。義虎にも碧にも、そして妖美にも、完全に幻滅されただろう。
「あいつだ、今のでかい攻撃は!」
「小娘の分際で、舐めた真似を!」
「殺せ! 仲間たちの仇だあっ!」
はっと、刀を構え直す。だが怒り狂った敵の闘気を真っ向から打ち当てられ、すくみ上がり刀を取り落す。己の命を八つ裂きにする、敵の刃が眼前に迫る。刀を拾う余裕はない。逃げようにも、足が言うことをきかない。
ぎっと、目を閉じた。
「「ぐああっ‼」」
はっと、目を開ける。義虎が敵を斬り伏せていた。
さらに鬼の形相、妖美も駆け付け獅子奮迅、敵という敵を薙ぎ払い、小さな麗亜を大きな背へ庇い立ち塞がった。
「恐かったろう、もう大丈夫だよ」
「うぃー、どこが大丈夫なんかな」
義虎が苦笑している。察して妖美の手もとを見る。彼が集めていた食料は、ない。一刻も早く自分を助けるため、兵糧庫へ置き去りにして飛び出してきたのだろう。そして、それに気付いた他の衛兵が兵糧庫の前へ集結し、再び侵入するのは不可能となった。
__ボクのせいだ……。
義虎が言っていた。もしこうなれば、もう正々堂々強行突破するしかない。だがそれは絶え間なく敵の増援を呼び寄せることと同義であり、そこには三蔵や八戒ら新兵だけでは太刀打ちできない難敵も含まれる。
完全なる潜入の失敗であった。
「うぃー、えらい! だてに苦労人やっとらんね?」
「ん、すごいでしょ」
__え、碧ちゃん?
遠くにいるはずの碧を探し、目の前に見付けて驚いた。食料が詰め込まれた皮袋を担いでいる。妖美も目を丸くしていた。それは彼が投げ捨ててきた袋であった。
「うし、トンズラこくよ」
白刃一閃、義虎が襲いくる敵を一掃する間に、妖美に促され、碧を追い、麗亜はその場を後にした。
「うぃー、この奇天烈な硫黄の塊は何ぞ?」
「ん、許して料理は赤ちゃんレベルだもん」
城の外、とある岩場にひっそりと空いた洞穴の中に、実は転がせる巨石を扉とし、義虎自慢の〈猛虎の秘密基地〉が設けられている。四人はいそいそと入室し、さっそく食事にありついていた。 しかし麗亜は妖美と沈んでいた。
脱出するのは容易だった。
いたる所から追手が押し寄せた。だが碧が妖美に袋を押し付け、旗ざお、たる、調理台と、なんでもかんでも転がし足止めし、道を斬り開く義虎に先達され、巧くまいた。近場の階段から城壁を駆け上り、鎧仗覇術で高めた脚力で外へ跳び下り、逃げきった。
そして悠々と調理し談笑せんと、隠れ家の入口を岩と苔で塞ぎ、義虎から一言あって今に至る。
仲間を信じようね、と。
「ごめん! ボクのせいで」
「いや、身どもの失態だよ。すでに麗亜くんは大将軍に守られていたというのに、身どもまで……結果的に、身どもは四人全員の命綱とも言える任務を投げ出してしまった。碧くんが機転を利かせなければ、事態は最悪だった……」
「ううん、全部、全部、ボクがだらしないから!」
「そこまでね?」
ゆっくりと、麗亜は真っ赤に歪んだ顔を上げる。
奇天烈な硫黄の塊。義虎が碧の焦がした卵焼きの皿を差し出してきた。
「不慣れなくせに失敗せん子はほぼおらんよ?」
笑って言われた。
「改善点が分かったなら次へ活かすことにする、それで十分。くよくよしとる暇があんなら生還せし歓喜を謳歌せんかい、青二才が自責なんてイカす真似しとんじゃねえよ? なははは」
言葉はきついが声はゆるすぎる、と思った。
突き出された焦げ卵を受け取り、一口食べる。意外と美味しい。
「……ありがと」
責務を放棄してまで守ってくれた妖美にも、すぐさま機転を利かせ代わりに食料を盗って成功させてくれた碧にも、立て続けにしくじろうと励ましてくれた義虎にも、麗亜は涙ぐまされた。
__絶対みんなに報いてみせる。
麗亜は誓い直す。
義虎隊へ来た目的を果たし、信念を貫くために、強くなる。
「ん、我ながら上出来」
「ああ、美しい味だね」
「うぃー、あと見た目」
思い思いに足を投げ出し、焦げ卵の食卓を囲む。
「ぐすん、義虎がいじめる」
「おやめ三文芝居、だいたい醬油と砂糖を絶妙に配分し魅惑のハーモニーを顕現してやったのはこの義虎なんだからね?」
「おや、大将軍は料理の心得がおありかい」
「いかにも、直感的な黄金比率を探求した」
「ん、人肉むさぼる飢えっぷりなんに」
「悪意まる出しに言うね、うぃー、あれは今を遡ること八年前、マハラーマ国にて密偵をこなす間の生計を立てんと煮卵売りに扮していた時のこと……」
ぷっと、麗亜は笑みをこぼした。やっていけそうだ、と元気が出てきた。
__うぃー、おかしな子……。
麗亜を眺める義虎は、顔がほころぶのを止められない。
優しくするのは手懐けるため、有事の際に味方として使える駒を確保するため。今までずっとそうしてきた。勝つために、生き残るために、そうでなければならなかった。
だが麗亜たちと一緒にいると、摩訶不思議な気持ちになる。
あらゆる暴力と妄言と謀略を見てきた。
あらゆる戦争と飢餓と迫害を見てきた。
あらゆる怨嗟と悲哀と狂気を見てきた。
長く生きているわけではないが、およそ人の営みという代物はほとんど知り尽くしたつもりでいた。
謀る、盗む、殺す、全ては呼吸と同じ不随意運動、物心付くより前から人とはそういうものだと摺り込まれてきた。絶望も、嫉妬も、憤怒も、感じすぎて痛すぎて狂いすぎて、己を護るため心を殴り付け封じ込め偽り続け、堕ちるところまで堕ちきっていた時期もある。あさましく、おぞましく、みすぼらしく、勝利のみを渇望して生きていた。
心を取り戻してからは、叛逆という生きる目的を見出すことができた。すなわち、やりたいことが見付かった。やってやるために錬磨し続け、仲間をかき集めている。
__されど、かような感情は知らん。
庇護欲。教育熱。愛着心。知っている言葉を並べ、この類かと憶測する。
__うぃー、この義虎がそれを抱きつつあるとでも?
まじまじと碧や麗亜を見詰めてみる。
__何者?
碧とは風神雷神の縁がある。戦で守るのが楽しい。大和朝廷から護るともなれば、長年かけて暗躍し仕込んできた叛逆計画がいよいよ過熱し、この上もなく楽しそうである。
そして麗亜も、井の中の蛙であるにせよ、怪しげな目的や信念を隠しているのは間違いなく、それを暴いて暗躍し返し天下を動かすともなれば、この上もなく楽しそうである。
しかし、それ以上に何か惹かれる。
はっと、停止する。
__もしやこれが、雷さまと天狗さまが言っとった……。
にっと、静かに炎上していく。
すでに成熟して見える妖美にも、ふんぞり返って教えてやりたいことがある。単純に張り合いたくなる。ともにいれば血沸き肉躍るだろう。
__うぃー、育てるっておもしろい!
「さて敵さんの補給到来、すなわち君たちの一騎討ち本番はもう明日か明後日あたりだよ? まずは誰が誰を担当するか決めよっか」
麗亜に妖美、そして碧が頷いた。付け足した。
「危なくなったら義虎が守るから、無問題ね?」
義虎はいつも用を足してから就寝する。
基地を出て洞穴内の便所地点へ陣取り、右だけ袴をたくし上げ、いざすっきりしようと勇んだその時、人の気配を感じて切なくなった。
「ん、すばらしい時に来てしまった」
ジト目を作りながら振り向けば、碧の眼は何かを決意していた。暗がりでも分かった。
「わー選んだよ」
琥玉城の納屋で話した、風神雷神の縁の件だと直感した。
碧が近付いてくる。音を立てず、だが堂々として、一切合切ぶれずに来る。
かっと、戦人は眼を見開く。真正面から見詰め合い、少女の宣誓が始まる。
「ぶっ殺したい」
「大和朝廷を?」
「うん。でも、ただ仇だからってだけじゃないと思う」
ぐっと、少女に肉薄される。
「碧は義虎に付いてくって決まったの! だから教えて、なんで猛虎は闘うか」
「……この腐りきった」
戦人も決意した。少女へ応えねばならぬ。
「権力やら財力やら武力やらをもぎ取った輩ばかりが、心優しき弱者をいたぶり搾取し嵌め倒し欲望と快楽を独占する、腐りに腐って腐り尽くしたこの人間社会をぶっ壊したくて、ぶっ壊したくて、ぶっ壊したくてたまらんから」
「……わーも同じかな」
大将軍はうち奮えた。
「朝廷を攻め滅ぼすには強くならねばならぬ。強くなるには自力と他力の双方を盤石にせねばならぬ。他力の方は任せな。自力の方へ専念しな」
「うん。明日から化けてくぞ!」