十九 初めての隠密作戦
碧たちが暴れる機会はその日のうちにやってきた。
「ん、腹減った」
「こらこら碧くん、せっかくの美しい顔が台なしじゃないか、もう少し美しい言葉遣いを心がけたまえ。そう、この美しい身どものように……」
「ん、義虎の悪徳統治のせいで食料皆無なんだった」
「君だけ飯抜き決定」
「ごめんなさい碧を許して」
「うぃー、琥玉城へ頂戴しに行くので働いてね?」
「……美しいほど華麗に無視しないでくれたまえ」
兵糧がないのは、兵権を失い自陣をもたない義虎も同じである。この不毛な地で食料を得るには、敵から盗み出すしかなくなった。
「そんなの良くないよ!」
大真面目に、麗亜が詰め寄った。
沈黙のなかで、碧は義虎を見た。
ぎっと、義虎の陰る瞳が光った。
「嫌なら付いてこんでもいいよ。義虎は今日まで、食物でも書物でも人物でも躊躇せず容赦せず後悔せず騙して害して奪って命を繋いできとる身だ、非人道的とか悠長なこと言っとれん環境もあると知ってね。これを罪だとは言わせぬ」
抑揚なく、義虎は言い捨てた。
「人肉なら」
はっと、麗亜も、妖美も身を固めた。
「灰荒野とかに腐乱する前のがたっぷり転がっとるから無問題でしょ、ただし……かすかにでも他に食う宛があるなら食うべきではないよ本当に。はい来る人、おいで?」
歩き出す義虎へ、碧はすぐに従った。
__さすがに食べたことないけど……衝撃的な発言ではない。
一応、振り向いて二人を手招きしておく。妖美に励まされ、無理やり笑いながら危なっかしい足取りで付いてくる麗亜には、あきれと同情を混ぜ合わせずにはいられない。
__二日かけてやっと落ち着かせたんにぃ。
むっと、義虎を睨む。人間社会を知らない心を鍛えんとする愛の鞭なのか、それとも目障りだと突き放しているだけなのか。
平和と高潔に浸かってきた麗亜。
戦争と卑劣に浸かってきた義虎。
__分かり合えってのが無理な話かな……。
闇のなかを音もなく速足で進んでいく義虎の背を追いながら、碧はともかく空気を変えたくなった。
「さっき、なぜに鎧仗しか使わんだん」
にっと、義虎がこちらを向いて後ろ歩きになった。
「だって超魂使ったら、四人とも斬ってしまうから」
「ん、それのどこに不都合が」
「だって三人残さんと……歓喜せよ若人たち、次の戦は各々、友の仇討ちに燃ゆる敵との一騎討ちだよ? って言えんじゃん?」
これを言うために、四人いるから一人削る、などと意味不明なことをほざいたのかと、碧は義虎へジト目を発射した。妖美も掌を上げて苦笑し、麗亜はぶるりと身を震わせた。
「うぃー、それでは本番に備え体を温めませう」
やがて四人は、敵が籠る琥玉城の目前までやってきた。
__決めたんだ。ここで、闘うって。
ぐっと、麗亜は義虎の背を見詰めた。
__間違ってる。
移動しながら考えていた。否、陰山城を出てからずっと考えていた。
__平気で盗んだり、差別されるままでいたり、命を粗末にしたりして。じ、人肉だなんて……ううん、やっぱり間違ってるのは、そうしないと生きられない民を生み出す国なんだ、大和朝廷なんだ! ここまで酷いなんて……絶対に変えてみせる。まずはこの隊でしっかり生きてかなきゃ。強くならなきゃ変えられない!
麗亜は煌々と眼光を燃やした。
義虎が振り向き、城を指した。
鎧は動けば音が出るため、鎧仗覇術は使えない。超魂覇術も使えない。発動するのに、敵に感知されるだけの覇力量を必要とするからである。
つまり潜入は素でこなさねばならない。
「うぃー、まず城壁を登る。次いで兵糧庫を探す。それから衛兵を斬る。そして運搬すると調理するの楽そうな食材を拝借する。最後にずらかる。以上を極力敵と接触するを避けつつ寂静かつ速疾に断行するよ、細かいことは適宜言うからして我に続け」
「「え」」
夜闇へまぎれ、四人は石垣のふもとへ滑り込む。
__これ登れって……。
先まで見えない石垣を見上げ、麗亜は唾を飲み込んだ。
城としては低いらしいが、高いものは高い。手もとすら見にくいなか、音を立てないよう、しかも速やかに、覇術学校でもほとんど演習しなかった崖の這い上がりを一発本番でやらねばならない。そのうえ、登れたとしてもそこは敵の渦中である。
__もう、逃げ出したい。
「大丈夫だよ」
そっと、妖美に肩をさすられた。
「身どもがエスコートしよう。危ない時は抱えてあげるから、自分の速さで行きたまえ」
「……ありがと!」
ほっと、鼓動が静まっていくのを感じた。妖美は優しい。
__でも男の子に抱かれるって……妖美くんになら……。
ここへ来て辛いことばかりだが、妖美だけはいつも励まし、いたわってくれる。頼もしく、かっこよく、ありがたい。もし彼がいなかったら、とうに逃げ出していたかもしれない。
__ステキ。
はっと、ぶんぶん首を振った。
その時ようやく義虎がいないことに気付いた。気付いたとたん縄が振ってきた。
「先行した大将軍が垂らしたんだよ。これを伝って登りたまえ」
「うん!」
妖美と頷き合い、縄を握りしめる。碧が横入りして、ひょいひょい上がっていく。麗亜も腕に力をこめ、石垣の隙間へつま先をかけ、体を引き上げ、上へと縄を掴みかえ、これをくり返し登っていく。
登りきった。
妖美に支えられ、城郭へ跳び移る。そこには、石垣の頭へくくり付けられた縄をほどく碧と、気絶させた見張りたちを黒い布で隠す義虎がいた。
「うぃー、では宝探しだよ?」
絵に描いたように純粋な麗亜が、女慣れもはなはだしい妖美の術中にどっぷりと嵌まり込み、得も言われぬ好意に頬を染めてしまった。としか義虎の目には映らない。
__うぃー、妬ましい。
実は義虎は自覚している。戦と謀を除けばポンコツであると。
女性にモテないことなど最たる例である。
__うぃー、ガキんちょのくせしてラブラブしよって。
数分前。
石垣のふもとで地面に怒り印を書いた。
__うぃー、同年代の異性との出逢いがあるだけで妬ましいってのに寝食と苦楽をともにできるとか妬ましいったらありゃせんわ、うぃー⁉ 暗いから見えぬが全然上手く書けとらんじゃろこれ羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経……。
爪に入った土も除去しきれない。そもそも、いつもなら指でなど書かなかった。
知っている。義虎を落ち着かせるには戦か謀をさせればいい。
音も風も出さぬよう城郭へ飛来した。
__うぃー、どぉにか引き離せんものか。
その場しのぎの手ならある。この隊の全権は義虎にあるのだから、二人が別所で戦うよう命じてしまえばいい。だが終わったとたん、互いを心配する二人が磁石のようにくっ付くのは必至。
__うぃー、他に義虎をなだめ得る手は……。
見張りの配置と人数、視線を確認する。物陰をぬい、死角から見張りの一人へ迫る。首を打ち、卒倒し崩れる体を掴み止める。静かに寝かせ、次なる標的へと移動する。同様にして辺りを制圧する。持参した縄を下へ投げる。三〇秒とかかっていない。
自信を再認し覚醒した。
__うぃー、オカビショ! 君をパクればいい。
麗亜を案じてやる。励ましてやる。褒めてやる。
そうしていれば、愛着も生じ得るかもしれない。
妖美と麗亜を引き離せないなら、引き離さずともよくなればいい。すなわち義虎も麗亜と親しくなればいい。義虎と妖美はすでに親しいので、残るはそれだけである。
ふっと、麗亜の悲痛な顔を思い出す。
__うぃー、愛着もてんだ由縁も分かってきたよ、ものを知らぬ良民のボンボンめって、うざったく思えとったんだわ。故にさっきも、突き放す感じで畳みかけたりしたけどだ……それでも健気に付いてこうって努力し直しとるじゃんね?
ここに、義虎は決意した。
これより妖美との優しさ合戦へ臨む。
碧に続き麗亜と妖美も上がってきた。
「うぃー、では宝探しだよ? 義虎が先達するから、木村氏、鳥居氏、オカビショの順に付いてきな?」
暗闇を活かし、物陰や裏道、屋根の上を駆け抜けていく。
「うぃー、みんな上手い、この調子で追従しなね?」
義虎は初陣してより十七年間、さんざん潜入任務をこなしてきた。
さんざん敵の情報を集めてきた。
さんざん偽の情報を流してきた。
さんざん兵糧を探し焼いてきた。
さんざん内通者と密会してきた。
さんざん実力者を暗殺してきた。
文字通りに血だるまと化しながら、さんざん失敗し、改良し、熟達してきた。
「義虎を真似とけば無問題だぜ」
古今東西の名だたる将軍のなかでも、隠密行動の技術で自分の右へ出る者は皆無であると確信している。将軍やそこを目指す者は表舞台の光輝の存在、このような人知れぬ裏方の経験など希薄である。
そう考えると、軍才がないばかりに、どんな仕事だろうが片っ端から手を出し己の錬磨に猛り狂ってきた地獄の日々も、大将軍《猛虎》の宝であると断じられる。
「うぃー、お宝発見」
「ん、来れた、すご」
さっと、親指を立てつつ状況を確認する。
兵糧庫は三棟の長屋が列をなす構造をしている。見張りの数と配置は、長屋それぞれの両側面に沿って一〇人ずつ、外側を四角く囲って一辺二〇人となっている。
新兵の足のすくみは、ない。
「うぃー、狙うは右の列の手前。木村氏、義虎と奥から斬り込んで見張り引き付けるよ、鳥居氏、他の列から増援来れんように、奥側にだけでも、輜重車とかひっくり返して妨害壁を設置し防衛しよう、オカビショ、袋かなんか盗んで兵糧ひたすら詰め込みな? ちなみに異議は募集しておりません」
にっと、義虎は襲撃地点へ麗亜を連れ出した。