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十五 麗亜がんばる。

 四月二九日。

 義虎は飛びながら麗亜を案じていた。

 この道中で麗亜の眼が定まってしまった。義虎を守ろうと、いや民が平和で自由な世への想いを護ろうと、想いを虐げる全ての障害へ立ち向かってしまうだろう。力の差もわきまえずに。見ものどころではなくなった。

 八岐大蛇へ楯突けば命はない。後ろに大和朝廷がいる。

 叛逆を成し遂げるため、機が熟してから九頭龍と同盟するため、橋渡し役である麗亜には生き延びてもらわねばならない。

 __正直この子を守る理由はそれぐらい……。

 碧には心許すようになった。

 風神雷神の縁で結ばれるうえ境遇も近い。人懐っこいので話していて楽しくなる。

 妖美には対抗心が先行する。

 だが言動がおもしろい。色々と察してくれて頼もしく、おおらかで好感をもてる。

 麗亜にはいまだ愛着がない。

 __努力しとる子なんに……二人とどう違う?

 考え続けているが答えは見付かっていない。

 __弱かった頃の義虎に一番近いはずなんに……うぃー、無理して愛着もたんでもいいでしょうが、そういうのは相手にも伝わるし……伝われば支持してくれぬぞ。

 馬を走らす新兵たちを振り向いてみた。

 麗亜の眼はいよいよ情熱を炊いている。

 __から回って傷心するとも知らずに。

 ええい、ままよ、ともかく守ってやらねばと、義虎は加速する。

 そうして瑪瑙里の領主が住まう壮大なる陰山(かげやま)城、その大手門へと辿り着いた。

「うぃー、やっと着いたね?」

「ばてばて、なんですけどぉ」

「奇遇だね麗亜くん、何を隠そうこの身どももだ。まったく大将軍ときたら、馬でとはいえ昼夜を問わず全力疾走させ続けるなど……しばし、この美しい城でも眺めてくつろぐしかないね」

 満々と水をたたえる幅八〇メートルもの堀に、見上げんばかりに大岩を積む高さ三〇メートルもの石垣。曲輪(くるわ)も複数、複雑に入り組み迷路を築き、遠く奥に霞がかる天守閣には、金箔の鱗の大蛇像が牙を掲げる。

「ん、義虎のと格違いすぎ」

 琥玉(こぎょく)城は天守も曲輪も堀もなく、七メートルの石垣があるだけだった。

「うぃー、皆して上官いじめよって。だいたい二晩とも野宿させてあげたよね?」

「ん、でも見張り押し付けてきた」

「四人で代わりばんこしたよね?」

「自分の番の時、わーと麗亜の寝顔ガン見してニヤケとったぁ」

「顔面爆砕するよ変態?」

 碧と義虎の距離感がおかしいと、麗亜が妖美と笑い合う。

「ってえ、ボクの寝顔見てたんですか⁉」

「いいえ。人を疑うことを覚えなさいよ」

「大将軍が言うと重みが違うね、美しい」

「ん、美しいか?」

 やがて四人は城内へ踏み込んだ。

 ふっと、義虎は赤い陣羽織を脱ぎ、麗亜へ預けていた風呂敷へ包み、交代しなと碧へ預け、黒一色の傷んだ直垂(ひたたれ)姿で乾いた空へ苦く笑った。



 ずっと、義虎は振り向くことなく何も言わない。

 曲がりくねり、両脇へそびえる石垣の道を行き、人々のおとなしい街を抜け、街と本丸を隔てる堀の橋を渡り、視線のぎらつく石段と回廊を進み、四人は行き止まりの部屋へ出た。

 空は見えず、色も音も冷えきる狭い石室。

 奥でこちらを向く椅子と四人の他は、がらんどう。

 何も起こらず、ただ立ったまま時間が過ぎる。

 ぐっと、麗亜は鉄の唾を飲み込む。

 ずっと、義虎は振り向くことなく何も言わない。

 その時、唯一ここを照らす篝火(かがりび)が揺れ、踊り込む大男二人がやにわに義虎へ掴みかかり、頑強な鎖でがんじがらめに縛り上げた。膝の裏を蹴り付け、ひざまずかせ、後ろから頭を殴り付け、土下座をさせた。

 麗亜は目を疑った。

 声も体も、頭も、動けなかった。

 妖美も同じだった。碧も歯を噛みしめていた。

 ずっと、義虎は振り向くことなく何も言わない。

 男の一人が義虎の頭を踏み付け、床にえぐり込むように押さえ付ける。もう一人が三人を振り向き、篝火を縮ませ怒鳴り付ける。

「貴様らもひれ伏せ。我らが主・八岐大蛇(やまたのおろち)将軍のおなりだ」

 わなわなと麗亜は震えてきた。碧、妖美へ倣い膝を折りつつ、精一杯、物言わぬ床を睨み付けていた。

 ぞっと、にわかに身が凍り付く。

 来た。足音はない。だがすぐに分かった。麗亜は思い出す。

 初めて義虎を見た時、桁違いの覇力の重さに息が詰まった。今も心臓をわし掴まれるように胸が苦しい。後ろより来る怪人の、得体の知れぬ何かへ対して。

 何へ。

 重さか。寒さか。恐さか。

 違う。気もち悪さだと麗亜は気付く。

 頭を下げた視界の隅に、溝鼠(どぶねずみ)色の長袴(ながはかま)が映り込む。無音で、長袴を引きずり、その怪人は横切っていく。こちらを向き、椅子へ座したのが分かる。

「皆、(おもて)を上げよ」

 うっと、麗亜は身震いした。蛇が這いずり回る声だった。

 蛇だった。

 ぎしぎしと顔を上げ目にした怪人は、迷彩柄の着物に溝鼠色の肩衣(かたぎぬ)を重ねる、蛇の頭の獣人であった。その、ぎょろぎょろと動く黄色い目に、ちろちろと出し入れする二股の舌に、麗亜は体温を奪われていく。

 将軍《八岐大蛇》山蛇陰滑やまくちなわかげなめり

「ほう猛虎よ。この八岐大蛇に逆らうか」

 なっと、麗亜は叫びかけた。大男に頭を踏み付けられる義虎は、顔を上げることができない。だからこそ陰滑(かげなめり)は、皆、面を上げよと命じた。義虎を命令へ逆らわせるために。

 陰滑が目配せした。怒鳴った方の大男が、義虎の顔を蹴り上げた。鈍い音とともに、血が飛び散った。

「何をしておる猛虎。穢れた血で床が汚れたぞ」

 義虎は手を伸ばし、血を拭い始めた。だが大男に頭を踏み付けられ、離れた所まで拭きにいけない。

「いつまで待たせるか」

 陰滑が目配せした。大男が義虎の顔を蹴り上げた。血が飛び散った。

「何をしておる。早く拭か……」

「やめて下さい!」

 麗亜は叫んでいた。



 蛇睨みである。

 ゆっくりと首をもたげ、舐めるように、自分を向いたところで動きを止める陰滑に、少女は硬直を余儀なくされる。大男たちのような怒気ではない。圧倒的な重圧でもない。少女を絡めるのは、八岐大蛇より這い出て、滑り込んでまとわり付く、底知れぬ不気味さという無数の蛇である。

 __寒い。

 か細く小さな少女は、不覚にも身を震わせてしまう。

「小娘よ。歯向かいながら震えるなど、みっともないぞ」

 悔しい。だが震えを止められない。

 陰滑が嗤う。肝の凍る、冷たい鱗が少女の肌にへばり付き、這いずり回る。

 __うぅ。気もち悪いよ……。

 逃げ出したい。

 吐き出したい。

 泣き出したい。

 なぜ、こんな思いをしなければならないのか。父や母の待つ温かな家へ駆け込みたい。今すぐに。何もかも投げ出して。

 __だめ!

 きっと、少女は首を振る。敬愛する、偉大な戦人の燃ゆる眼差しが瞼の裏へ浮かぶ。

『そちは予の誇りじゃ』

 将軍《九頭龍》天龍義海(あまたつよしうみ)

『我らが夢、民が平和で自由な世を、必ずやともに成し遂げようぞ。気高き我が友《天之尾羽張(あめのおはばり)紅家(べにや)麗亜よ』

「大将軍への暴行をやめて下さい。酷すぎます。絶対に間違っています」

 麗亜は言いきった。凛とした声だった。

 碧が目を見開き、妖美が釘付けになる。

 大男たちも、ぽかんとして怒鳴れない。

「大将軍とな」

 だが陰滑は、さらに嗤った。

「知らぬなら教えてやろう。猛虎は武士などではない、人民ですらない」

 ぐっと、麗亜は唾を飲み込む。陰滑の嗤いが消える。

「奴隷じゃ」

 奴隷。

 __ふざけないで……。

 奴隷。心の中で、麗亜はその言葉をくり返す。意味は義海から教わった。

 そこにあるのは、過酷な、有無を言わさぬ強制労働ただ一つ。臭く汚いごみ捨て場をあさり、腐ったわずかな食物を奪い合う日々。

 おそるおそる、義虎を見る。

 ずっと、義虎は振り向くことなく何も言わない。

 陰滑が目を怒らせる。

「奴隷とは鞭打たねばならぬ国の汚物。加えてそ奴は、分をわきまえず大将軍の位をむさぼりながら、職責を怠り蛮族へ国土を侵せしめ、偉大なる大和国を冒涜せし大逆罪人。断じて許すわけにはいかぬ」

 __ふざけるな。

「これに飽き足らず、朝廷ならびに目付け役たるこの八岐大蛇に一切の報告もなく許可も得ず、国家の怨敵たる《雷神(いかづちのかみ)》の覇術を会得し、先日に至るまで長く隠蔽した。さらには、部下がこの八岐大蛇という将軍へ対し前代未聞の非礼をはたらくを見逃す監督不ゆき届き。以上をもって、本来の刑である一〇〇回の鞭打ちへ加え、一〇〇分の(のこぎり)引き、および一〇〇度の釜茹でに処するものとする」

 __ふざけるなあっ!

 ばっと、麗亜は飛び出す。大男を突き飛ばす。義虎を解放する。背へかばい手を広げる。陰滑を真っ向から睨み付ける。

「させない」

 碧が、信じられないという目を見張る。

 妖美が、麗亜の無事を案じうろたえる。

 八岐大蛇が、ぎらつく目を冷やしいく。

 蛇睨みである。

「義虎大将軍は奴隷なんかじゃない」

 もう、麗亜の灯の眼は揺らがない。

「雷の覇術には大変な事情があるのでしょう。私も当然のことをやっているだけ。どれもこれも、法律に正しく照らせば何の問題もありません、むしろ違法に酷いことをしているのは……」

 陰滑が眉間をしかめていく。

 かっと、麗亜は眼を見開く。

「あなたたちの方です!」

「慎まれよ。畏れ多くも将軍閣下の御前にござる」

 なっと、麗亜は凝結した。

 妖美や男たちも耳目を疑う。陰滑がほくそ笑む。ふっと、碧がため息をつく。

 __ど、どう、して……。

 ぎしぎしと麗亜が振り返る先には、陰滑とは異なる冷たさを漂わす、空洞の闇が占める声の主がいる。

 義虎だった。

「万死に値する罪業、この義虎謹んで受刑いたしまする。されど誠に不遜ながら、七日、受刑の日取りをお伸ばしいただきたく存じまする」

「……理由次第」

 陰滑が見下ろす先で、麗亜が震える前で、義虎は言った。

「七日後に斉天大聖の軍を敗走させる策がござりますれば」

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