十三 黄金色の猛虎は金色の神猿を噛む
黄金色に輝く猛虎の額の内にあって義虎は猛る。
碧も、麗亜も、まるで動けない。
くり広げ続けられる光景が、突き放ち続けられる衝撃が、噴き上げ続けられる熱量が、同じ人間の成す業とは信じられない。
全身が高圧電流で固まる、黄金色の巨大な猛虎。
全身が威光と装甲に満ちる、金色の巨大な神猿。
そのぶつかり合いはもはや、地図を描き変えることへの異論をことごとく払う、大災厄そのものである。
「石猿うっ!」
「骨虎あっ!」
喰い付く猛虎を、神猿は蹴り飛ばす。
宙へ浮く猛虎は、着地と同時にまた飛びかかる。
猛虎と組み合う瞬間に、神猿の身を強烈な電撃が走り抜ける。
「十九番、変われ!」
神猿の猛火・三昧真火が猛虎を呑み込む。巨大化して放つ分、先ほどよりも数十倍は大きく、眩く、そして熱く、地獄を疑う火焔は文字通りに誰しもの視界を埋め尽くす。
麗亜は肝が抜け落ちたように立ち尽くし、碧はこの世の終わりを眼前とする思いにいたぶられる。
「空雷牙あっ!」
「な、があっ!」
はっと、碧は目を見開き、麗亜の肩を揺さぶった。
大地を焼き尽くす業火を掻いくぐり、雷轟を纏い猛虎は突っ込んだ。
悟空の頭へ喰らい付き、牙をえぐり込み、肩へ万力たる腕を叩き付け、爪をねじり込み、細胞を灼き焦がす苛烈なる雷撃を流し込み、そのまま地面をかち割り押し倒し、遮二無二、荒々しく痛め付け続けていく。
と、その時。
(碧、妖美、麗亜、聞こえるかね⁉)
城にいた勝助からの念話が響いた。
(猛虎を止めるのだな! このままやらせれば……)
緊迫し鬼気迫る声に、碧たちは鉛の唾を飲み込む。
(死ぬのだな)
勝助は言った。
黄金色に輝く巨大なる雷の猛虎。それは天下を沸かせた《雷神》の髄醒状態、その現身。髄醒覇術を発動する段取りの、最後の仕上げとして現れる。
(髄醒を使わせてはならんのだな)
〈覇術適応値〉というものがある。
生まれもつ覇術の素質である。どんな規模の覇術を、どの段階まで使えるかに関わってくる。
義虎の適応値は一〇。
脆弱なる速力の固有覇術には、超魂状態で一〇、髄醒状態で三〇が必要である。
精強なる雷霆の譲渡覇術には、超魂状態で六〇、髄醒状態で九〇が必要である。
(本来なら固有の超魂しか使えんのだな)
本来なら。
(ドーピングして……)
義虎には人脈がある。
その一人、ダイオウイカの狂科学者《鵺》へと、科学施術の実験台として幾度も自らを差し出している。
(無理やり適応値を三〇まで上げておるのだな……酷な代償と引き換えに)
ある人体実験を経て、義虎は鵺の覇能〈亜空間袋〉を使えるようになった。小規模だが、念じれば空間が裂け、その中へ物を出し入れできる。
多量の劇薬を入れている。
一時的に適応値を一〇だけ上げる、適騙錠。一時的に痛みや疲れの感覚を麻痺させる、体騙錠。負傷や適応値不足反応により失った血を即効で増やす、造血錠。これらの副作用で暴走する心拍数を黙らせる、凝心錠。凝心錠の副作用で暴走する全身のかゆみを黙らせる、尿皮錠。尿皮錠の副作用で暴走する発汗と喉の渇きをなだめる、盗んだ水。
(適騙錠なぞ、命をむしばむ猛毒)
雷の髄醒覇術を使うには、この猛毒を六つまとめて摂らねばならない。副作用として、凝心錠でも太刀打ちできない猛烈な過呼吸発作が起こる。今、義虎はぼろぼろの体で、初めてそれをなさんとしている。
命を危うくしても。
(頼む、止めるのだな! 吾輩と山忠は、お主らが城を出てすぐ城主らに襲われ、今ようやく切り抜けたところ、とても間に合わんのだな! 猛虎の命は、お主らへ託す他ないのだな!)
(ま、待って!)
麗亜は混乱していた。
(死んじゃう? 義虎大将軍が? この神さまみたい戦い、やってる人が? ドーピング? 発作? え噓でしょ、死ぬって、ほんとに死んじゃうの……だめ、だよ、そんなの絶対……え分かんないよおっ!)
ぎっと、碧は唇を噛む。
__麗亜は当てにできん。
碧は、自殺行為をいとわぬ義虎を理解できる。彼に似た境遇を生き、その卑怯で執拗で無様な戦を観聴きし、そして話した。
どれだけ己の非才を呪ったか。
どれだけ己の境遇を呪ったか。
どれだけ己の敗北を呪ったか。
どれだけ哭き、どれだけ掻きむしったかを慮ることができる。
だからこそなのだと分かる。鞭打ち一〇〇回、すなわち死刑を受けに遠方へ重体を引きずらされる今、悟空という、努力と経験では圧倒的に勝りながら、どうやっても勝てないできた怨敵を、初めて苦戦させている。もうここで、このまま、この人生最高の戦いへ、力を燃やし尽くしたい。その想いが痛いほどに分かる。
故に悩むのは、現実的な別の問題である。
__どうやって止めろと……。
閃光がぎらつき、爆音が轟き、烈風が張り裂ける。秒ごとに、地形が砕かれ変わり続ける。猛虎と神猿、一〇〇メートル級たる巨獣が無我夢中になって格闘している。
__どうやって止めろと……。
こんな一騎討ちへ割り込んでも、碧の風圧では蚊が刺すようなものだろう。麗亜の剣圧ならば、あるいは義虎へ届くかもしれない。だが彼女には心理的に余裕がない。
それ以前に二人とも覇力が回復していない。
そもそも一騎討ちとは、武士にとって断固として侵すべからざる神事である。そして義虎にとっては、血反吐を吐いて積み重ね続けた全てを出し尽くすべき一戦である。
邪魔しようものなら、どうなるか。
__どうやって止めろと……。
猛虎は噛み付き放電する。悟空が払わんと殴撃すれば、猛虎は絶途啊雷喩の稲妻を放り込み撃ちのめす。悟空が土の盾で自身を覆えば、猛虎は雷剛・天無絶雷を連打し力任せに突き破る。悟空が天をも貫く如意棒を伸ばせば、猛虎は突き飛ばされながらも神剣・布都御魂剣を振り込み叩き折る。悟空が花果山を落とし潰さんとすれば、猛虎はその巨体へ堕嗚呼羅煮の高周波加速をかける。
「空雷牙あーっ!」
前進してかわし突貫し爆発させ吹っ飛ばす。
「どうやって……」
「身どもに任せたまえ」
ふっと、微笑む妖美を碧は見た。
「柳の硝子細工は観音開き 東へ障子戸 西へ格子戸 吊るし門は北へと解け 埋門は南へ落つる 見よ 甘露の櫓門はがれ 金 銀 銅 鉄 ことほぐ厨子にことほがん」
覇能を使うには対応する〈覇能詞〉を唱える。
本来ならばそれだけでいい。使い慣れれば省くことすらできる。
__うぃー、遅い遅い遅い遅い遅い。
だがどうしても、義虎は自らの非才から逃れられない。
義虎の亜空間袋は、三〇秒待たねば開かない。移植した他人の覇能だからと言えばそれまでだが、世界中の亜空間袋をもつ者は、幼児でも、念じた瞬間に開けてみせる。
猛虎建御雷へ血を捧げながら暴れるなか、義虎は亜空間袋へしまう禁じ手、劇薬を投与せんと狙っている。
されど、とほくそ笑む。
__石猿ざまあ、謎が解けんやろ?
視認していない間に、満身創痍の義虎が急に元気になり反撃してくる。灰荒野の戦いでも、義虎は幾度かこの奇怪な現象で悟空を驚かせた。
からくりは単純である。体騙錠で体を騙し、造血錠で血を補っただけである。この一騎討ちでも、直前と最中の二度、これらに加え適騙錠を使っている。
__使われたって気付いてもおらんやろ……っしゃ来た!
亜空間袋が開く。
殴りかかる悟空の顔へ懺悔之肖像の網をかけ、目を眩ませる。
その隙に亜空間を覗き手を突っ込み、体騙錠、造血錠、凝心錠、そして六つの適騙錠を掴み取る。
__手掛かりすら見せぬぞ。
かっと、義虎は眼を見開く。
__天才なればこそ片鱗すら見えんこの謎を、一生涯かけても解くことかなわぬ怨敵として抱え込むがいい石猿よ!
ばっと、黄金色の猛虎は大音声に咆哮を轟かせ、雷霆眩耀の牙をむき。
ぼっと、漆黒の闇に呑まれた。
__はあっ⁉
同時に猛虎も神猿も、何か、得体の知れぬ質量に抑え込まれた。
わなわなと、義虎は肩を震わせ歯を噛み鳴らす。
悟空ではない、妖美の覇術だとすぐに察した。この至上たる一騎討ちへ水を差すなど、いったいどういう了見か。だが怒る由縁は別にある。
__新兵のくせになんて芸当を……。
素質の絶壁を突き付けられるのは、もうたくさん。
__どいつもこいつも……義虎が文字通り死ぬ想いで、幾星霜と尽くし続けて、気の遠くなる場数を戦い抜いて、ようやく、ようやく、ようやく摺り込んだ戦技を……それでも手の届かん大規模攻撃を……当たり前のように一瞬でこなしやがってえっ!
ばっと、劇薬の錠剤を喰らいにいく。
__死ぬ気かと? 黙れ。
死ねば、大和朝廷を滅ぼせなくなるではないか。
何より、己が死んでも生かしてくれた、母を裏切ることとなる。
たった一人の母だった。唯一無二の安らぎだった。そんな母は、目の前で、一方的に、自分を守るため、力任せに殴り殺された。どれだけ痛かったか。どれだけ無念であったか。どれだけ愛してくれていたか。
そんな母の想いを裏切るなど断じてあり得ない。
母だけではない。
こんな道半ばでくたばれば、散っていった仲間たちの想いはどうなる。
光有や雲峰、猫三郎や兵士たち。
救ってくれた《火神》将軍。
自分を信じ、耐え忍び待ってくれている仲間たちとの約束はどうなる。
革命を成そうと認めてくれた英雄たち。
危険を冒し朝廷を探っている密偵たち。
願いを同じくし兄弟となった賊徒たち。
同じ苦しみにあって国は違えど未来は同じと誓った賤民たち。
あなた様が窮すれば立場を放り出し駆け付けると誓った王。
そして、父代わりだった御仏も、死ぬなと言った。
その言葉へ絶対服従するまま、これまで全てを費やしてきた戦人という生き方を貫く。
愛する御仏、偉大なる英雄《雷神》大将軍が誇りし陰ることなき珠玉の雄姿、神々競演せし驚天動地たる乱世をも戦慄させた究極の髄醒覇術へこの身を燃やし、石猿との因縁の一騎討ちも、新兵ごときの拘束も、何もかも徹底的に滅し尽くして狂戦士《猛虎》大将軍という奴隷の生き様を大地と歴史へ刻み込んでやる。
__気合いで死なぬわ。
かっと、義虎は目を見開いた。