弐 宇宙を灼き討つ競演は虹色
少女・碧は孤独であった。
母が真っ青になりながら召し出され、官軍が押し寄せ、優しかった村人たちが惨たらしく突き倒され、自分を逃がすため木の枝を握り立ち向かった父を斬り崩され、嗚咽を漏らすことさえ許されずに隠れ続けた日、碧は八歳であった。
放浪した。
寂しかった。寒かった。恐かった。
空腹であった。ごみを漁った。盗んで食べた。
見付かれば追われ、捕まれば殴られ奪われた。
痛かった。
だが何が痛いのか分からなかった。
母と父を呼び泣き叫んだ。喉が潰れても呼び続けた。
来てくれなかった。
甘えたかった。
そんなある時、かつて奴隷兵であった将軍・義虎という存在を知った。才なき卑劣な狂戦士とのことだった。
憧れた。そして誓った。彼のように強くなる。
それから紆余曲折あって彼の旗下へ入隊した。
妄想していた器を遥かに凌ぐ大人物であった。
義虎は碧の宿命を看破してきた。吐きたくなった。だが微笑まれた。
『一人で吐くな?』
伝説に名高き《雷神》の業を継ぐ義虎。
伝説に名高き《風神》の血を継ぐ碧。
『今生の風神雷神が揃った』
大軍師たる大将軍は静かに燃えたぎっていた。滅された神々はかつて〈民が平和で自由な世〉を志した。今ここに、国も時も超えた陰謀と因縁の跋扈する人間社会をぶっ壊す、魂の叫ぶ革命が胎動すると。
断じられた。
『腕まえで負けるは恥ずかしくない、気もちで負けるは恥ずかしすぎる。だから戦え、そして闘え』
誓い直した。彼へ並び立って闘う。
__トラになら甘えれる。
はっと、碧は息を止める。
応龍はマッハで突っ込む義虎の進路へブラックホールを生み出した。他を隔絶する重力に己の勢いまでもが加わり、義虎はなす術なく吸い込まれた、かに見えた。
はっと、碧は息を噴く。
応龍が鍔ぜり合っている。相手は猛虎である。
__すごい、すごい、すごい!
猛虎の尾が応龍の尾を縛り上げ、ブラックホールは消失している。
__吸い込まれる万事休すって時に、焦るどころか逆用したのね。
むやみに回避せず音速を超え加速し、猛虎は強烈な推進力を得た。
__なんつう戦闘慣れ!
その力と翼でブラックホールへ抗った。しかし一瞬である。しかし一瞬あればこと足りる。抗う猛虎は応龍とブラックホールの間へ頭から突っ込んだ。故に頭から横手へ引き込まれ、何もせずとも応龍の側へ尾が届く。
いかなる覇術も使用者には効かない。
だが尾で尾を掴まれ、巻き添えで引き込まれるとなれば、応龍もブラックホールを消さざるを得ない。消えるやいなや猛虎は斬り付けていた。
__ん、でも憔悴しきっとる。
体躯でも膂力でも上回る応龍に押しきられ、義虎は飛びすさる。
動きも音もなく時が過ぎる。碧は唾を飲み込む。
突如として義虎の一閃が飛ぶ。応龍が烈火のごとく打ち落とし、続けて蛇体をはたき込む。獣脚で受け流しつつ踏み台にし、義虎は相手の懐を侵す。火花が爆ぜ、二本の偃月刀が弾き合い、二本の尾が殴り合う。
だが碧は唇を噛む。
応龍が小惑星を呼び込み叩き付け、義虎は硬い翼で受け流すも痛め付けられ、わずかに隙を生じて斬り込まれる。
碧は義虎を旋風で巻き上げ、応龍から引き離す。
打てば響くように義虎は碧のもとへと馳せ戻る。
応龍が碧を目がけ、超新星を集中砲火していた。
碧はここまでの激闘で消耗し力を出しきれない。義虎を守るため風を分けた今、自身の守りは手薄そのものである。
応龍が苦笑する。
「恐いね、こちらの狙いを看破しながら迷わず飛び込んでいくとは」
「巧いね、看破しようが飛び込まざるを得んよう仕込んでくるとは」
義虎も苦笑する。
碧は見た。義虎は自分を助けに星雲の檻へ戻らされた。そして数知れぬ超新星がことごとく反転し、轟々と膨張し咆哮し炎上ながら義虎へと押し寄せた。
「ん、えっち」
「お黙りあそばせ許されよ、もう戦闘不能」
碧は飛んでいた。
義虎に捕獲されていた。
限界をかなぐり捨てる大将軍は音速をはたき出し、超新星爆発のかすかな隙間を突き抜け体を焼けただれさせながら、紅色彗星の残像を残す。碧は尊師の腕の中から最後の竜巻を撃ち出し、星雲の檻をこじ開ける。その風穴より飛び出し、応龍の視界から逃れきるまで距離を稼いだところで、二人はもとの着物姿へ戻り崩れ込む。
天の川が追い付いてくる。
「うぃー、隠れながら逃げ回ろっか、で同士討ちするよう誘導しよ?」
「ん、無問題」
感知ができる碧は、大の字に寝っ転がってみせた。
絶対零度の気圧が噴き上げ、天の川が凍て付いた。
「我こそは! 最後の希望たる猛虎大将軍が義兄弟、大和国将軍《摩訶鉢特摩》夷傑銀露なり!」
銀白に輝き、氷河が雄叫びを轟かす。
銀白に輝き、銀糸縅の大鎧を着込み十文字槍を引っさげ、下半身を白馬とする若武者が銀髪をなびかせ、絶景を進撃させながら義虎たちのもとへ駆け付ける。
「うぃー、ぎんぎんイケメン」
義虎は白馬の尻尾を掴みいじくり回す。
「されど中二病仮面と戦っとったよね?」
「ああ、どうにか封じ込めてきた……兄者よ、よくぞ来てくれた。汝がいるだけで我が軍の士気は噴火する、ここは我へ任せて休め。そして策を進めてくれ」
「おう。それよかアピール大チャンスだよ? 絶賛片想い中のみど武官に」
「兄者あーっ!」
応龍が来る。銀露は疾走していく。
星雲の巨大手裏剣を、氷河に敷き押しのける。
プロミネンスの鞭を、つららで撃ち平らげる。
超新星の広域爆発を、ことごとく氷結させる。
義虎がさんざん苦戦した応龍のエネルギー攻めをものともせず、氷と宇宙、雄大なる神々の一騎討ちを披露する。銀露はこの才気をもって、初陣するやいなや昇進していった。義虎は戦歴八年目まで一兵卒のままだった。
__その口で、この義虎を最後の希望と呼ぶか……。
バカ生真面目なかわいい弟子だと、義虎はニヤつく。
だが銀露もすでに疲労困憊、少しずつ押され始める。
応龍が畳みかける。
「なぜ押されるか分かるかい。一族すべからく護国へ殉ずる責務を骨肉へ刻むべし……いまだにそんな理由で闘おうとするからさ」
「確かに我は責務にばかり固執してきた。されど必死になればなるほど、狂気や愛憎、そして我欲で戦う皆に劣りかけ……だがっ」
__うぃー、義虎に出番がきた。
みんな面倒くさい教え子だった。
「誇らしき弟よ。責務に生きるが君の我欲なんでしょう、ためらわず張りきりな? ガン見しとるよ、君が絶賛片想い中のみど武官も」
「兄者あーっ!」
というところへ、隕石のような業火が突っ込んできた。
「我こそは! 合法ロリったみんなのアイドル、究極にマジ天使な愛くるキラちゃこと、大和国将軍《火の鳥》炎火きららなり!」
短いツインテールを跳ね回らせ、両腕を炎の翼とし、セーラー服を決める少女である。
黄色い業火は、氷河の盾へひびを奔らせる巨大な超新星の横腹へ直撃する。宇宙を震わす閃光と轟音と衝撃をまき散らし、応龍の狙う、超新星のブラックホールへの進化を焼却する。
「助かったぞ、だが向こうはどうした」
「おにづーとタッグでバトってたけど。キラがね、究極な一撃ギャオらせちったから! おにづーに相手マル投げして、ぎんぎん援護りにサンジョってやったのさキラっ」
バトるは戦う、ギャオるは喰らう、サンジョるは参上する。
きららの造語の意味を忘れた碧へ、義虎は解説しておいた。
「やあ、裏切り者」
きっと、きららは応龍を振り返る。
「素朴な疑問なのだがね、仲間たちをあそこまで苦しめておいて、どうやって赦してもらえたのかな」
「やめてよ……キラだって、ほんとは……」
__うぃー、義虎に出番がきた。
みんな面倒くさい教え子だった。
義虎に名を与え、戦人として最初に讃えたのは、きららの父である。
謀殺される彼を救えず、しかし一人娘を託されたのは、義虎である。
その父と師を無邪気に慕い、追いかけた天才少女が、きららである。
それを悪用された。
「誇らしきキラよ。連れ戻した時、義虎は讃えたよね、みんなも泣いて喜んだ、忘れた?」
ばっと、きららは義虎を振り返る。ぶんぶん首を横へ振る。
火力を破裂させ、宇宙を黄に照らす炎のオーロラを広げる。
迎撃せんと、応龍が辺りの星雲を正面へ集わせた、その時。
「ぶ、ひいいいん!」
背後より、巨人の金剛力が炸裂した。
「我こそは! 天下無敵の大力無双になる漢、大和国将軍《金剛夜叉》大力豚鬼爪さまなり! お、ちゃんと言えたぜ!」
「「言えたあっ⁉」」
身の丈、三六五メートル。三つの顔に六つの腕、正面の顔に五つの目。はち切れんばかりに筋骨隆々、大斧へ橙色の気をこめるブタの獣人である。
__この子だけは楽な教え子だった。
大力無双になる。それ一筋の夢追い人である。
きららに丸投げされた相手をもう抜いてきた鬼爪の漢っぷりに、そして碧の言葉に、義虎は苦笑した。
「ん、斧、遅くなっとる」
「うぃー、あれがダークマターだね?」
不可視の質量、ダークマターこと暗黒物質。誰にも観測できない広大なる物質を束ね動かせば、敵を押さえ付け、突き飛ばし、今のように盾とすることができる。
義虎はかねてより応龍がこの奥の手を隠していると踏んでいた。
「構わん、むしろ引きずり出したよ」
鬼爪は勢いを削がれただけ、つまりダークマターが力負けしている。
「ぎんぎん、キラ、おにづー、いざ猛り狂え!」
「「おう‼」」
銀が爆ぜる。巨大な氷が超新星を踏みにじる。
黄が爆ぜる。巨大な炎が星雲を焼き平らげる。
橙が爆ぜる。巨大な斧が暗黒物質をかち割る。
「超魂顕現『鉄刃戦紅』」
「超魂顕現『碧巫飆舞』」
「……これだから猛虎は恐ろしい」
右から銀露、前からきらら、後ろから鬼爪に攻めたてられ、さしもの応龍も左へ逃げざるを得なくなった。そこで目と鼻の先に見た。巫女姿の碧が撃ち出す、碧色に唸る疾風へ乗り加速し、猛る虎を描く赤い陣羽織をはためかせ、赤糸縅の鎧兜に柳の羽根飾りをひるがえす武士が叩き込む、紅い気に燃ゆる偃月刀を。
大将軍《猛虎》が斬り込んでいた。