八 ホームレス大将軍
「ん、覇玉の移植とか異色」
「……混乱してしまうよね」
「どぉーやって否定しろと」
ぷっと、碧はほっぺたを膨らませる。
ぶっと、ベタに反応すると笑われる。
ふっと、碧はまつ毛で瞳を陰らせる。
風神雷神の真相を聴く心の準備など、できるはずがない。
誰もが知る謀殺された英雄であり、碧はその孫だという。
__心、鋼鉄になったって自負しとるんに……恐ろしい。
聴いてしまえば、鳥居碧という存在は根底から崩落し、全く別の個体へ変貌してしまう気がする。重たい、得体の知れぬ妖怪が胃の中を這いずり回り、喉へ触手を詰め込んでくる。
__吐きたい……。
おかしいとは思っていた。
故郷の村が兵団に襲われたこと。後にその理由が公表され、一揆を企てたがためとされたこと。襲撃される直前に、母が仕事と告げ消えたこと。自分を逃がし斬られた父の、村を出るという判断のあまりに迅速だったこと。
だが幼く、か弱く、行く宛てもなく、食べる物もなく、独りぼっちの少女には、それを調べる術も余裕もありはしなかった。盗み、騙し、殺すなかで心はすさび、いつしか過去の悲劇など忘れていた。
「一人で吐くな?」
はっと、碧はまつ毛を上げる。
「風神は雷神とセットだから」
じっと、碧は大将軍を見詰め、語られる。
かつてこの地には〈民が平和で自由な世〉を築かんと志す三国が手を取り合い、それぞれが誇る英雄〈三大神〉が中心となりうち立てた〈三神同盟〉が存在した。
大和国大将軍《海神》仙嶽雲海。
瑞穂国大将軍《雷神》雷島片信。
倍達国大将軍《風神》皇甫崇徳。
三大神が揃った時代、三国には活気が満ちていた。
だが大和国では、民が平和で自由な世など夢物語にすぎぬと拒む大将軍《閻魔》富陸毅臣の率いる一派が力を増していた。毅臣らは雲海を失脚させ、崇徳を謀殺し、片信を討ち取り瑞穂国を滅ぼして、三神同盟の切り崩しを謀った。
崇徳の娘、将軍《烏巫堂》皇甫碧珠は名を変えて大和国へ潜入し、雲海の教えを信奉する将軍《九頭龍》天龍義海らと接触しつつ、同盟を維持せんと務めた。
しかし六年前、翡翠里の農村にいるのを暴かれた。毅臣により、村に暮らす夫と娘の命が惜しくば自首せよと脅され、碧珠は泣く泣く従った。
毅臣は約束を反故にした。
三神同盟の遺志を根絶するため、碧珠は処刑され、村人も一人残らず葬られた、そう思われていた。
ぎっと、碧は拳を握りしめていた。
「その娘って……」
「一揆とか捏造もはなはだしい。生まれた村に、そこが消された年と訳に、あの覇術に、君が風神の実の孫であることはもう疑いない。その君が雷神ゆかりの義虎の隊へきた……かつて風神雷神を嵌め滅ぼした大和朝廷が、風神の血も雷神の縁もお見通しだとしたら……海神が存命たる今、わざわざ我々を合流させたその手腕には崇敬の念を抱かざるを得んけど、いずれにせよ、今生の風神雷神が揃った時点で」
ぐっと、碧は続く言葉を待ち受ける。
「面白くなるよ」
にっと、義虎が高揚する。
げっと、碧は身震いする。
ぱっと、義虎が破顔する。
「とは言え君は君であって風神にはあらず、遺志やら因縁やらなぞ無視って好きにやって無問題ね? 文句言う奴おったら義虎がぶった斬るし、三神同盟を継ぐ者たちに担ぎ上げられても無理して乗らんで無問題かな? 朝廷に狙われても義虎がおるから無問題だよ?」
「……ん」
「されど」
すっと、猛虎の瞳が薄まり縮まっていく。
「もしぶっ殺してやりたくなったら、とことん付き合うよ」
碧は撃たれた。何に。熱である。だが冷たい。動けない。
__まさか……謀反するつもり⁉
猛虎の声が低まる。
「腕まえで負けるは恥ずかしくない、気もちで負けるは恥ずかしすぎる。だから戦え、そして闘え」
碧はただ、眼を逸らせなかった。
と、義虎の瞳が戻り声が高まる。
「という選択肢もあるってだけね? とりま義虎の旗下へ入ったからには戦のイロハを叩き込んでしんぜよう。何選んでも何もせんでも、色々と経験して経験して経験しまくっとけば大抵なんとかなるから無問題だよ?」
__これが空柳義虎……こんなにも、妄想しとった器を超えちゃう……。
碧は顔が緩むのを止められない。
「めぇが言うなら、無問題ってことにしたげる」
「めぇって君の二人称?」
「ん。で一人称が、わー」
空気がやわらげられたと気付く。こうして心理を操るのも義虎が磨き上げた技だろう。
檄一つで何千人の士気を底辺から頂点まで変容させるというのは並大抵の技ではない。
__ずるい! 美男じゃないけど。いずれ並んで越えたげる、ために今は乗ってやる。
「覇玉の移植とか異色の話して!」
覇玉はビー玉ほどの大きさであり、ふつう〈覇玉瓶〉という専用の容器へしまい、首へ掛けるなどして携帯する。それを剝き出しのまま体へ埋め込み、しかも二つ所持している義虎は、人類史の異端者である。その由縁を気にしない者にいられては、この世界は破綻する。
所持者の他は、誰もその覇玉の力を使えない。
この性質から、所持者が亡くなると消滅する。
遺伝もあるが、同じ覇術は同時に存在しない。
「うぃー、覇玉瓶じゃまだったが故に、左目を負傷した際に奴隷であるが故に治療を受けられず腐り落ちて場所が空いたが故に、押し込んで〈高純度ゲシュタルト交感類タンパク質的デオドラント蝋性クリーム〉とやらで固めといた」
「どぉーやって理解しろと」
「高純度・以下略クリームとは……最高機密。ところで陰山城へ至る近道とか知らん?」
碧がいた瑪瑙里は琥珀里へ隣接する内地であり、その中心地へそびえる陰山城に巣くうのが、城主にして里全体の領主である将軍《八岐大蛇》である。
閻魔を信奉する冷血漢として知られる。
__すごい不気味な蛇だった……。
碧は瑪瑙里にある嵐山城をうろついていた折、城主の姫を見付けて頼み込み、その館で女中となった。嵐山城主を含めた瑪瑙里にある各城の城主たちは、八岐大蛇へ仕える武官である。そんな城主や姫へ同行し、陰山城へ入ったことがある。
「うぃー、近日中に行くことになると思うよ?」
二六日。新兵たちには疑問があった。
壱、なぜこの里の領主である義虎が狭い納屋へ閉じこもるのか。
弐、なぜ戦のさなかにも関わらず大将を務める義虎が去るのか。
参、なぜいまだ悟空たち黄華軍はこの城まで追ってこないのか。
壱と弐の答えはここの城主にあった。
「ん、あれ八岐大蛇の側近だ」
「どういうこと⁉ 瑪瑙の領主の側近が、琥珀で城主してるの⁉」
麗亜が驚き、碧が頷き、妖美が加える。
「今の琥珀に城はここ一つ、その城主が領主である大将軍ではない。美しくないね」
夜、城の中庭は暗い。
碧たちは隅から覗く。
先ほど、義虎が城主の執務室を見上げるここへ呼び出された。
傷付き、常人ならばとうに息絶えている体を無理やり引きずり、義虎は中庭の中央まで歩いていき、城主の下座へ正座した。長い道程だった。汗だくだった。断固として空中浮遊は使わなかった。
「猛虎どの。その傷で正座するは辛かろう」
城主の上級武官・八丸丹毒斎は冷笑した。
「額ずかれよ」
なっと、麗亜が思わず声を張りかけ、妖美に口を塞がれ、碧は唸る。
大将軍が格下へひれ伏す。そして義虎が当たり前のように実践する。
__きもい。異常すぎる。
「あのキモい水銀おやじも八岐大蛇も、石猿たちに迫られとるんに、なんも働かんべ」
「石猿軍が鈍足となっておるは、猛虎軍が鋭利に退いたからなのだな、猛虎が施した保険の通りに。例えば、あらゆる道へあらかじめ作っておいた土砂の堰、ことごとく切って道を塞いできたのだな。道中にある水場には、あらかじめ運んでおいた大量の硫黄を投入してきたのだな……灰荒野では想定を遥かに上回り惨敗したのだが、もとより琥珀奥地へ誘引して勝つ戦略なのだな」
声を怒らす勝助と山忠は義虎から離れ、碧たちのそばへとどまっている。
ぎっと、碧は小さな義虎を見守る。
傷付き、一人で、ひれ伏している。
__くそ……死刑囚にしか見えん。
丹毒斎が文書を広げる。
「八岐大蛇将軍よりご下知が届き申した故、代読いたす。恐れ多くも大将軍の名を語りながら、蛮族ごときに完膚なきまでに敗れ去り、神聖なる大和が地を差し出し国威を貶めし猛虎が罪、まことに計りがたし。本日天乱九七年四月二六日、たび重なる罪業をもって罪人・空柳義虎を厳正なる国法へ照らし……」
ぞっと、麗亜が身を震わす。
きっと、勝助が顔を背ける。
ごっと、山忠が歯を鳴らす。
すっと、妖美が眼を細める。
ふっと、碧は息を吐き出す。
「兵権ならびに所領の一切が剥奪のうえ、鞭打ち一〇〇回を言い渡す」
「ストロベリークォーツ……ロードナイト……サンストーン……タイガーズアイ……エメラルド……ソーダライト……クンツァイト……問題です。これらの総称は何でしょう」
二七日。義虎は朝食を済ませるや新兵を呼んで教官ぶった。
「ん、おねむ」
「赤ちゃん化しても鬼教官は許してくれんよ? いざ猛虎へ続け詠わん」
分かっている。昨晩の自分を見せられて、ろくに寝られるはずがない。これより瑪瑙里へ赴き受刑し、それから琥珀里へ戻り新兵のみを率い悟空を討伐せよと命ぜられた。それでも今はこれを言わねばならない。
「宝石」
「「宝石」」
ジト目を注いで数秒むだにした。
「今回はエメラルドが属する緑柱石という鉱物に詳しくならねば教室から出られません。オカビショくん、何故じゃ?」
「美しいベリルと言えば八戒さん、つまり敵軍が来てしまったからだね。身どもが城壁へ寄って見てきた時点で、すでに美しい陣形を展開し始めていたよ。ところで、この納屋は教室だったのかい」
ギロ目で訴えて数秒むだにした。
それから粛々と十字を切り、鉛筆を取り出し、床板に敵の陣容を書き記していく。
「ん、鉛筆?」
「うぃー、知っとるん? これ西洋で戦った時にせしめてきた」
書き終えた。黄華軍は東西南北に二〇〇〇ずつ陣取っている。
「さて瑪瑙へ向かわねばなので、四人して東へ討って出るよ?」
「「え」」
「え?」
「……どこからツッコめば美しいかな」
敵軍へ突っ込むことに関しては全員が超魂使いなので阿呆な話にはあらずと、線を引き進路を示しつつ解説する。突破せんと猛威を振るえば増援が来るだろう。だが丘に隔てられた南、城に塞がれた西からでは時を擁する。つまり立ちはだかる敵は、東と北を合わせ四〇〇〇いる。うち東を率いるのは沙悟浄であり、北を率いるのが猪八戒である。
「黒豚は、新兵だけで、撃退してみよう」
麗亜が凍て付いた。義虎は声を励ます。
「もたつけばお釈迦なので最初に襲ってくる怪僧は義虎が斬る。次に襲ってくる黒豚に追い付かれるより早く、ここ、荒山道まで走るよ。敵が数を活かせぬ隘路だから……ではいかに迎え討つか。とりまベリルは、いろんな色見たいよね?」
そして授業を終えてから、義虎は包帯を取った。