百二五 《大武神》対《毘沙門天》・《二郎真君》
碧は青ざめ、歯ぎしりしながら悟った。
逃げねばならぬと。
__トラ……依存してもいい? いいんなら……助けて。
__みど……助けに行きたい! 小さいんに甘えん坊なんに、凛として独り立ちして厳しい戦を……ごめんね、こんな立ち回りしかできんくて、背負わせて……苦しめて……それでも頼む、どうか耐え抜いて。じきに必ず助けに行くから。
遠く離れた涼しい洞穴で一人、義虎は祈願する。
__次に行ったらもう離れんから。
かっと、眼を見開いた。
碧とみなみが取っ組み合うより少し前、あちらこちらで激突する戦士たちの中でも抜きん出て熱き闘気をはたき付け合い、戦の趨勢を決する決闘が白熱していた。
大将軍《大武神》姜以式。
高句麗軍を束ねる大長老にして齢八一、身長一八三、体重八四。
昔日に託されし高句麗再建へ涙燃え、全て将兵の拠り所となる民族的英雄である。
将軍《毘沙門天》李哪吒。
黄華軍の誇る屈指の新鋭にして齢十八、身長一四九、体重三八。
愛する姉を目の前で姜以式に討たれ、戦場へ出た肉親をことごとく喪い憤慨する。
将軍《二郎真君》楊戩。
黄華軍の誇る屈指の新鋭にして齢二九、身長一九四、体重八九。
敬愛する姜子牙の信頼へ報いるため、高句麗界最強たる漢を降さんと冷厳と化す。
「返せ! ちゃい!」
「黙れ! 侵略者が」
哪吒が火尖槍を突き出し、姜以式が偃月刀を叩き込み、楊戩が二郎刀を打ち付け、三つの長物は辺りの耳をつんざき火花をまき散らす。哪吒は岩さえ砕けんばかりの衝撃に骨肉を傷めながらも、連続して刺突していく。
「黙るか! 姉上を返せ! 返してよおっ!」
「返さぬ! 返してほしくば先にそなたらが返せ、わしの妻子も、戦友も、主君も無理やりに奪っておいて、それでも飽き足らず土地も歴史も尊厳までをも奪おうというか、ふざけるでないわ奪わせるとでも思うてか!」
ことごとく打ち払い一閃し、姜以式は哪吒を転げ飛ばす。
「うっさい、ボクは奪ってないだろ」
「奪った奴らと同じことをやっとる」
そして疾駆し大上段に振りかぶり、体勢の整わぬ哪吒へ必殺の刃を振り下ろす。
「おっしゃる通りだ、しかし」
柄を横倒しに掲げ上げて踏ん張り、楊戩が受けきった。
「我々がやっているのは戦争だ。殺し合いなのだ。やめぬ限り犠牲と憎悪は生まれ続ける、生まれ続けるが故にやめたくともやめられぬ……それでも止める手段はある」
「天下統一か」
姜以式は即答した。嘲弄した。
「頷く阿呆がおると思うてか!」
姜以式が柄を逆に回し、下から楊戩の柄を跳ね上げ、守りを空けるや斬り付ける。火尖槍がほとばしり、刃を突いて軌道を逸らす。逸らすや哪吒は肉薄し、敵を追尾して頭を砕く鋼の輪、乾坤圏を投げ付ける。
姜以式が掴んで止める。
掴むため偃月刀から片手を離している。楊戩が二郎刀を両手で握り突き出す。
姜以式は乾坤圏を打ち込み二郎刀を弾き、偃月刀を打ち込み哪吒を弾き出す。
「おわっ、二郎真くんの怪力を片腕で⁉」
「よう見い、神威を纏い腕力を高めとる」
「ところで天下統一だ、頷かぬは何故か」
姜以式は笑った。
「古くより黄華にくすぶる思想じゃのう。戦争をなくすための最終戦争。なくして後もなくし続けるための法も練り込まれてきたと聞く。伝統も信仰も異なれど、迫害せず強要せず協調させるにようにとのう。形式的には黄華が頂点におれど、実質的には各地に自治権がある……確かに聞こえはよい、じゃが」
笑いやんだ。
「わしは骨の髄まで見て知った。夢想じゃと」
眉をしかめる楊戩を見据え、刃を光らす。
「かつて黄華は開京と組み高句麗を征服した後、遺民が反乱せぬようその思想をうち出し統治したのじゃ。国号も開京ではなく倍達とする念の入れようでのう。じゃが結果はどうなった。法にさえ触れねばよいのじゃ、あらゆる場面で如実に態度へ出てくるものじゃ、忌み嫌い見下し憎む心は……互いにのう。わしらはこう疑った。開京はそうして高句麗をいじめ耐えがたくして、反乱させてのう、公明正大に根絶やしにしたいのじゃと」
「疑いすぎでは、いや……疑ってしまうということか」
「いかにも。問うぞ、皆が皆そんなして生活できるか」
楊戩が歯噛みし、姜以式は断じる。
「高句麗は高句麗じゃ」
ごっと、青藍に輝く神威が噴き上がる。
「家族も自由も尊厳も己で闘って護らねばならぬ。法が守ってくれるやら甘ったれたことなど言うておれるか、非情なる人類普遍の真理じゃろうが。よいか、憎悪のやまぬを分かっておいて誰が好き好んで戦うか、脅かされるが故に仕方なくじゃ。そうして噴き上がる闘魂のいかに強きか、たかが野望のため戦うだけのそなたらの比ではないわ!」
神威の固まる剣圧がほとばしる。
「土遁、変われ」
土へ変化する楊戩を穿ち飛び散らせ、剣圧は突き進む。
「野望じゃないもん責務だもん、ちゃい!」
哪吒は爆発する煉瓦、金磚を投げ付け爆砕しにいく。
相殺できない。剣圧は突き進む。
「髄醒顕現『焱蓮華宝貝仙』!」
「髄醒顕現『七二皆遁術仙』」
哪吒が三面六臂と化し、元素攻撃を消滅させる刀、砍妖刀を構えて踏ん張り、受け止める。押し込まれていく。
「風遁、変われ」
風圧と化す楊戩が哪吒を支え踏みとどまらせ、剣圧は消えていく。
偃月刀一閃、神威が炸裂し砍妖刀が砕け散り、哪吒は吹き飛んだ。
姜以式が走り込んでいた。
「責務じゃと申したな、征服するがそれか」
神威という衝撃波を逆巻かせ、鋭く重く斬り付けていく。
「身も蓋もなく言えば、そだよ。帝国の武威をしょって立つ家門に生まれたの」
哪吒は六つある手全てに砍妖刀を召喚し、一本ずつ砕かれながら防いでいく。
轟烈な風圧が姜以式を抑え込む。
すかさず哪吒は跳びすさり、炎を噴く輪、火輪を投げ火尖槍も振り、巨大な業火を唸らせ叩き込み、それより巨大な神威に唸られ消し飛ばされ、残る砍妖刀をまとめて投げ付け、進撃してくる余波を消失させる。
させるや疾駆し突きかかる。
「あるでしょ。いいか悪いか関係なく、やんなきゃなこと」
「あるさのう。例えば命を奪ってでも、高句麗を護ること」
神威が爆ぜ風圧を蹴散らす。
姜以式は突き込まれる穂先を刃鳴りも鋭く斬り下げ、地面へ打ち落とし埋め込むや、返す刀で柄を削りながら斬り上げる。柄を握る指が斬られる寸前で哪吒は手を離し、しゃがんで刃をかわしつつ柄を持ち直し、火尖槍の炎を起動させる。
ごっと、青藍と蜜柑の二色がぶつかり合う。
姜以式も神威を噴き上げていた。練りに練り込んだ戦闘経験で反応していた。
だが風と化す楊戩が炎へ触れ、勝負をかける大技を発動する。
「熔遁、変われ」
マグマの濁流である。
姜以式を呑み込んだ。
神威に蹴散らされた。
敵も味方もこぞって釘付けにさせ、天をも掻き回す竜巻のごとく、青藍に光り輝き轟々と咆哮し逆巻き立ち昇り、祖国へあだなす一切を無に帰さんと膨張する。そして祖国を守護する霊鳥へと姿を定める。
「わしが生ける護国神《大武神》じゃ。高句麗火烏!」
翼開長、実に一〇〇〇メートル、尽きるを知らず青藍に光り輝く民族の象徴、神威の三足烏が翼を広げる。高句麗軍ことごとく奮い立ち、黄華軍ことごとく凍り付く。
「ボクが偉大な戦闘神《毘沙門天》だ。ちゃい!」
しかし少女は挫けない。
「仲間が凍り付くなら毘沙門天が溶かしてあげる。だから、みんな、挫けるな!」
哪吒の持てる最強の宝貝、九竜神火罩が出る。三足烏へ向ける椀から火龍たちが飛び出し、九方向へうごめきながら業火を噴き続ける。その火力、火尖槍や火輪の比ではない。
「火遁、変われ」
さらに楊戩までもが加わる。広大なる蒼穹が業火に染められ焼け焦げている。
姜以式は察する。逃げ場などない。水分が奪われ、喉が張り付き、目が痛む。
「それでも足らぬ。喝!」
ごっと、大武神は青藍に光り輝く三足烏をまっすぐ進撃させ、天を灼き地を震わせ闇を余さず照らし出し、世界を揺るがせ蒼穹を取り戻してみせた。
業火は滅びた。三足烏は羽ばたく。
誰もが戦いをやめ動けないでいた。
雷帝だけは違った。
「髄醒顕現『黄華尊雷獣帝』」
黄華軍総大将《雷帝》聞仲が動いた。本陣にいるまま大きな雷獣を飛翔させ、静かに三足烏へと向かわせる。
「雷霆よ、興れ」
雷雲が残らず黄色く光り輝く。拍動を断たれんばかりの轟音が響き渡る。
雷獣が煌々と黄色く光り輝く。姜以式は悟る。雷霆がことごとく雷獣へと集約されていく。雷電のほとばしる轟音にやむ気配はまるでない。
「じゃが忘れたか、それは前に相殺しておる」
かっと、姜以式は紅真虹覇力眼を始動せんとする。
だが気付いた。雷獣が狙う三足烏は、姜以式のそれではない。
「烏巫堂、逃げよおーっ!」
わずかに遅かった。
姜以式が三足烏を出してほどなく、碧珠も樹呪を倒すべく髄醒覇術を唱え、大きな三足烏と化していた。つまり見付かりやすくなっていた。
黄華軍にとり、遼東城が平城へと戻った今、これまでは山城から平城へ戻させるため生かしておくべきであった碧珠は、むしろ再び山城へ造り変えられぬため、まっ先に討ち取るべき対象へと変じている。
びっと、雷獣が三足烏へ突っ込み地面をかち割りえぐり込む。
誰もが目を眩ます雷電が爆ぜて轟音が撒き散らされ、必死に運気を上げて感電を逸らそうとする碧珠を嘲笑うかのごとく、五龍神将の雷は暴虐を尽くす。
吼える姜以式が三足烏を雷獣へ突進させる。
「山遁、変われ」
だが突如として出現した火山に激突し阻まれる。楊戩が聞仲の狙いを察し呼応していた。一瞥もやらず、姜以式は三足烏を迂回させる。
「熔遁、変われ」
山ごと噴火する熔岩に三足烏は突き上げられる。姜以式は迂回させる。
「石遁、変われ」
熔岩の変じる水晶の巨人に三足烏は組み伏せられる。姜以式は迂回させられない。
碧珠は朦朧としつつも超魂覇術を唱え、運気を上げたまま人型へ戻り逃亡を図る。
雷獣、樹呪、さらに哪吒が追撃し、紅紫蒼ら高句麗将らが命懸けで妨害していく。
これを見て碧は青ざめ、歯ぎしりしながら悟った。
逃げねばならぬと。
その隙を突かれ、みなみに後頭部を打ち抜かれる。
「おっかあ、逃げ……」
山忠が駆け付け殴り込み、みなみを追い払い、失神した碧を抱き止める。妖美が同じく失神した麗亜を抱えて追い付き、ため息を吐く。
「きつい撤退戦となるね」
「だべな、しのぐべよ!」
姜以式が退却せよと号令をかけ、紙の白舞夢が甲虫軍へ伝えに飛ぶ。
談徳は砕かんばかりに歯を噛みしめ、姜子牙を討てずに馬首を返す。
ここに、遼東原の戦いは高句麗軍の敗北で決した。