六 落ち延びる
__また勝てんだ。
義虎はもう、指先一つ動かせない。
(全軍、退き陣)
大将同士の一騎討ちは決した。勝助と念話し、敗戦処理を丸投げする。
(大至急、自陣の兵糧を燃やし連弩はできる限り回収しなね。想定とは違うが予定通り罠を起動せよ。そして殿は防げそうになければ逃げよ、負傷兵は見捨てぬよう……一人でも多く生き残れっ)
静まり返っていた敵味方が、かたや歓喜し、かたや悲嘆し、瞬時に戦場を満たす叫びにまみれ、怒濤のごとく押し寄せてくる。
「初めてだな。おめえに傷付けられたんは」
覇術を解き降り立ってくる悟空を、真っ赤な眼で、伏したままで見上げる。
「……さっきの八卦炉、太上老君の宝を再現したって?」
悟空が枕もとへ来る。頬をかき、あぐらをかいてくる。
「〈道天教〉の開祖だぜ。嫌いか?」
「大嫌い。無為自然を説いとるから」
「対極だもんな、おめえの信念とは」
「すなわち君ら天才そのもの故にね」
「んじゃ、これが最後の情けだ……」
非才の義虎、天才の悟空、二人は約束していた。
十回戦うまで、悟空は義虎を討ち取らない。鍛え直し、練り直し、謀り直し、再び挑む機会を与える。ここに、これは効力を失った。
悟空は黄華軍を統制しに去った。
勝助と両輪を成す腹心・山忠が白龍との戦いを投げ出し、馬に泡を吐かせ駆け付けてくる。真綿にくるむように、だが迅速に鞍上へ抱え上げられ、空気を切って運ばれていく。
「ありがと、されど義虎はいい、兵たち守って」
「いんや! あんたはんが一番狙われるべよ、喋んのも禁ずるべ。生き残って回復して、おいどんたち勝たせて! 報いるんだべよおっ!」
「……おう」
仰向けに睨む空がぼやけゆく。
__うぃー、ざけんじゃねえ、なんで勝てんか゚んよ、これだけ、これだけ、これだけ尽くしてやったねかよ……まだ策は色々とある、とっておきだよ覚悟しとけよ戦はこっからだよ……皆すまぬ、頼む、生き残れ……。
全身を砕かれ草の野を朱黒く汚す痛みなど、どうでもいい。
国土を奪われる自分を待ち受ける厳罰など、どうでもいい。
待ちに待った新兵たちが逃げきれるかなど、どうでもいい。
義虎の視界は意識とともにすり切れ消えた。
__負けた……え……うそでしょ……。
碧は茫然と肩で息をしていた。
「風使いどの急げ、馬へ乗れ!」
雲峰に叫ばれ、弾かれたように振り返り、一目散に走り出す。
__逃げんと!
悟浄らが迫ってくる。碧は覇術を解き、空いた馬へ跳び乗る。悲鳴がして振り向き、嗚咽しかける。
味方が次々と背を貫かれ、斬り倒されている。
「振り向くな、行け! ここは我々が抑える!」
雲峰が騎兵を率いて馳せ戻り、超魂使いである悟浄へ槍一本で挑みかかる。剛腕の唸らす鏟を打ち込まれ、呻きつつ、満身の力を籠め受け止める。止めるや、抜かしていく騎兵が左右から悟浄を挟み込み、突き刺しにいく。
空ぶった。液状化された。実体化され騎兵が斬り伏せられる。
「おのれ……断じてここは通さぬぞおっ!」
雲峰が刺突する。悟浄は胸のみを液状化し穂先を通り抜けさせ、雲峰の伸びた腕をわし掴み、鏟を振り上げる。二騎が飛び込み槍をくり出し、振り込まれる鏟から雲峰を守る。そこを敵兵に貫かれ、落馬していく。
__くそっ、加勢するしかない、鎧仗ならまだ使える!
「来るな!」
逆手に脇差を抜き払い、悟浄の手をかすめ拘束を逃れ、雲峰が怒喝する。
「そなたら超魂使いに代えはおらぬ、逃げきってもらわねばならぬ! 我らの犠牲を無駄にするな!」
「……おう!」
後続する敵が突っ込んでくる。精兵たちが突き崩されていく。懸命に抗い、無慈悲にねじ伏せられ、微動だにしなくなるまで串刺しにされ続ける。
背に感じながら碧は駆ける。
「偉大なる猛虎大将軍を、大和を、頼んだぞおっ……」
雲峰の遺志が聴こえる。砕かんばかりに歯を噛みしめる。
無数の穂先に貫かれつつも武器を離さず、忠臣は鏟に両断されるまで戦い抜いた。
「いい加減にしろ、我らを全滅させたいか!」
「お前は超魂を切らしておる、何もできぬ!」
「早うせい、敵がすぐそこまで来ておろう!」
猫三郎から離れず泣きじゃくり、麗亜は必死になって首を横へ振っていた。
「どうして見捨てるんですか、皆さんのために戦ったんですよ! 一人運ぶくらい、皆さんが手伝ってくれれば十分に速く逃げられるのに!」
「逃げられぬ」
静かに、光有が言い放つ。身をよじって麗亜は見上げる。
「頭を冷やすのだ。孫悟空が指揮する追い討ちを甘く見てはならぬ。気もちはよう分かるが、彼を担ぐため密集し手を塞いでいては、とても逃げきれはせぬ。それに……戦友を置き去りにしながら涙する暇すら許されぬは皆同じ。愛しき人を残す者もおろう、親兄弟を捨てる者とておる、全ては、生きて想いを紡ぐためなのだ。さあ」
光有に立たせられる。くしゃくしゃに唇を噛みしめる。
切迫するなか、兵士たちに絶句される。
「まだ分からぬか!」
「時がありませぬ兵長、こ奴も捨てましょう」
「勝助武官が敵を喰い止めておられますが、全ては防げませぬ」
きっと、光有が馬を踊らせ薙刀を唸らせ、敵をほふってくる。
「ならぬ。是が非でも彼女は逃がせ、我らは限界まで敵を討つ」
「何故ですか!」
「この娘には武士としての覚悟がありませぬ!」
「兵長も我らも、かような輩を守って死ぬと⁉」
「大和の未来のためだ!」
はっと、麗亜は固まる。
「そして猛虎大将軍のためだ。ずっと足らぬ戦力に苦心してこられた。誰よりも我ら一兵卒へ寄り添い、誰よりも無力と極貧と隷属の辛苦を知るが故、誰よりも我らの大和を託すべきお方が、このままでは潰れてしまう……我慢ならぬとは思わぬか」
一部の兵士が雄叫びを上げ、兵長へ倣い迎撃しにいく。
麗亜は光有に抱え上げられ、馬へ乗せられ走らされる。
「大将軍こそが希望。お支えし、未来を切り拓いてくれ」
「はい!」
万丈の気を吐き、光有は突撃する。
もう、彼へ続かぬ兵士はいない。心を合わせ槍衾をおし立て、敵を押し返していく。
だが無数にほとばしる矢が降り注ぎ、勇壮を蹂躙する。そして絶え間なく敵が来る。
槍を止められ横から貫き倒され、歯を喰いしばり起き上がる胸を刺し穿たれていく。
「退きながら戦え、剣圧使いどのを守れ!」
声を張り上げる光有の肩にも、鋭く、深く、矢が突き立つ。
複数の槍に突き込まれ、薙刀を失い地面へ叩き落とされる。
「……まだだ……皆の者おっ、猛虎軍の意地を見せよおっ!」
「「うぉおおおーっ‼」」
灰荒野の全域で、猛追してくる三蔵、八戒、悟浄、竜馬らを討ち払い一人でも多く仲間を逃がし、また逃げきらねばならぬと気張りに気張り、勝助、山忠、妖美らも奮闘している。
麗亜は真っ赤に痛む視界に勇者たちを刻みつつ、懸命に走り続ける。
固く、朱い光有と頷き合った。
「やったね兄貴、大勝利だ!」
台地を見下ろす大岩の上であぐらをかく悟空のもとへ、八戒たちが戻ってきた。
「おうよ今のうちにド派手に喜んどけ、偉大なる兄貴が許可してやるぜ。なんせ」
ぐっと、悟空は眼を細める。
「先読みの鬼才《猛虎》が相手なんだからよ」
悟空は義虎の積み上げた戦績を知っている。
将軍を三人倒せば将軍となり得る世にあって、義虎がこれまで討ち取った将軍は十一人、そのうち一人は大将軍である。三分の二は、十重二十重に練り込んだ策略により成し遂げた戦果である。
「猛虎は大師兄を討滅する策が七つあると申したが」
弟弟子、師弟の悟浄に訊かれた。
「今日でいくつ使われたと思う」
「蹴落虎はノーカンとしてだ。新兵ども悪用して幻術かけたろ、連弩お披露目したろ……多く見積もっても三分の一いかねえ。心臓ぶっ潰しても死なねえ仕掛けは入れねえぞ、あいつぁ攻め要素のねえ策は策と認めねえからな。お師匠さまはどうよ?」
女法師の軍師・三蔵へ訊いた。
「七つという数が偽りである可能性もあります。その場合、実際には」
「もっとある、って考えるべきだな。骨虎の野郎よく成長したもんだ」
ぺっと、悟空は舌を出した。
「海内一帯に比類なき俺さまを立ち往生させてくれるたぁよ! こっから進みゃあいつの庭だ。暗中模索しながら進まねえと、いきなり槍とか毒とか炎とか降ってきたりすんぞ、んでそんな程度も七つにゃ含まれてねえ……偵察隊だ! あらゆる道にばら撒きまくれ! きききっ、面白くなってきやがったぜ」
「なんで大将軍は」
夜陰に沈む山道を、どうにか黄華軍をまいた大和軍が這いずっていた。
「覇術、使わんだんですか」
碧は見にくい足もとを見やり馬を進めつつ、勝助へ尋ねた。
義虎は全てを投げ打ち戦いながら、終始なんの変哲もない武器一本という一兵卒と同じ攻撃手段しか使わなかった。
「……実は使っておったのだな。終始全力で」
「この人の覇術、少し速くなるだけなんだべ」
碧は耳を疑った。
こと切れたようにしか見えない義虎を大切に抱える山忠が、声を潤ませ吐き捨てた。
「そんなもんで、どんだけ、がんばっても……勝てねえもんは勝てねんだべよおっ!」
「石猿が真骨頂を見せるは一桁代の変化を使ってからなのだが」
勝助もため息をついた。
「今日はほとんど出しとらんのだな」
新兵にすぎない碧も風を撃つ。勝助は幻を多様に応用し、山忠が操る岩亀は山そのもの、麗亜が剣圧を飛ばせば破壊力はすさまじい。これが将軍級の魅せる覇術となれば、一つ一つが天変地異、そして事象の理をも支配する神の所業となる。
そんな中にあって、義虎には極限まで接近し斬り付ける以外に何もない。
致命的である。
__呪ったろうね、自分の非才を……。
碧たちは聞いた。
同世代の同じ大将軍でも、義虎と悟空ではくぐった修羅場の数が違う。それこそ桁が違う。
義虎が多い。
放心状態の麗亜を支えながら、妖美が呟いた。
「義虎大将軍は勝率が低かったんだね」
「んだ、近年は負ける方が珍しいべが」
碧は歯を噛みしめずにはいられなかった。全身の包帯をぐっしょりと濡らす義虎を見た。暗闇で分からないが濡らす色は朱いのだろうと、知らずに目を伏せていた。
__初陣が負け戦……ごめん。
やがて一行は琥珀里にただ一つ残る城、琥玉城へ入った。
__次からは役に立ってやる。




