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百二二 カン・イシクの信念

 義虎は生きている。姜以式(カン・イシク)はそう思っている。

 骨羅道(ゴルラド)が義虎を討つはずがないからである。義虎より、骨羅道と組んだという極秘情報を知らされている。だが生きているならいるで、義虎に踊らされているようで滑稽に思う。

 姜以式は策謀が苦手である。

 だから宰相である大模達(テモダル)から高句麗軍の総大将まで、頭を唸らせねばならぬ座はいちいち乙支文徳(ウルチ・ムンドク)へ譲っている。正攻法で暴れてねじ伏せるだけで終わりたい。

 従って今は気分がいい。

「むははは、止められるかのう、好き放題に暴れるこの《大武神》を」

「武神と言えど血の通った人間、精神を支配すれば人形と変わり……」

 がっと、偃月刀を炸裂させる。

 打ち合うは若き女将軍《恵岸(えがん)護法》李木吒(り・もくた)である。

 覇術を使う暇など与えぬと、斬り付け、突きのけ、叩き込み、李木吒の振るう左右の宝刀へひびを奔らせていく。武術では圧倒している。

 右の宝刀を砕き割る。李木吒が落馬する。

 本能的に察する。落馬したのは芝居だと。

 馬腹の陰から左の宝刀を突き上げてくる。

 (あぶみ)を踏むまま蹴り砕く。李木吒が跳んで離れていく。離れる暇など与えぬと、馬腹を蹴り追いすがり斬りかかる。

大将軍(テジャングン)、危ない!」

「超魂顕現『天孫武魂(チョンソンムホン)』!」

 恍魅(ファン・メ)に叫ばれ、振り向きざま神威を湧き上げ、撃ち込まれた金磚(きんせん)を切り落とす。爆発してくる。神威で相殺し馬上へ踏みとどまる。哪吒(なた)が姉を救わんと投げてきた煉瓦(レンガ)である。李木吒に体勢を整えられる。

「超魂顕現『恵岸信仰』」

 柑子(こうじ)色の霧に呑まれ、李木吒を崇拝させられる。

「喝!」

 偃月刀一閃、李木吒へ神威を叩き込む。驚かれる。

 宝刀へ覇力甲を纏わせ盾とし、踏ん張って受け流してくる。体勢を立て直す暇など与えぬと、馬腹を蹴り懐へ踏み入り叩っ斬る。唸り上げる神威ごと炸裂させ、一撃にして二刀まとめて砕き割り、頬から肩まで傷付け跳びすさらせる。尋ねてくる。

「何をそれほど深く信仰しておる」

「なるほど信心深き者は操りきれぬか。で、決まっとろうが」

 かっと、姜以式は眼を見開く。

高句麗(コグリョ)じゃ」

 牟頭婁(モドゥ・ル)や恍魅、そして談徳(タムドク)ら後進たちが聴いている。

「なんとしても再建するのじゃ。分かるか、あのお優しき偉大なる高元(コ・ウォン)大王陛下( テワンペェハ)がのう、こんな取るに足らぬわしなんぞへ託されたのじゃよ、高句麗を頼むとのう……どうして諦められようか! その一点のみを追い求めて苦節を持して生き永らえてきたのじゃ、他に心囚われることなど断じてない」

「……得心がいった。ならば使うしかあるまい」

「おわっ、姉上やるのね、これ勝っちゃったよ」

 そこまで強力な覇術なのか、断ち切れるかと、談徳らが見詰めてくる。

「姉上ね何回も、将軍ごと軍隊みぃんな支配して降伏させてるんだから」

「これまでは、じゃな」

 姜以式は笑う。振り向いて刃を掲げ、頷かれ向き直る。

「髄醒顕現『恵岸護法信仰』」

 どっと、柑子色の霧が高濃度に渦巻き津波のごとく押し寄せる。しかし神威で防ぎにいかない。精神力のみで髄醒覇術をうち破る。その偉業を成し遂げる自信がある。八〇年を越す生涯をかけ最も多く唱えてきた言葉を想い、重ねて唱えくり返す。高句麗と。

 うっと、ぐらついた。

「もう戦わずともよい」

 先ほどの比ではない。

 何ものにも勝る安寧を与え心を満たし、どれだけ戦っても闘っても果ての見えぬ苦悩より救い上げんとする愛を感じさせ、心酔させてくる。そうして身を引くに引けず老体へ鞭打つ責務や悲壮より解き放ち、戦意を取り払おうとしてくる。

 神々しい、荘厳にたゆたう霧が左右へ開ける。

 女神がいる。

 後光を背にし、蝶の羽のように結って流す髪をたなびかせ、太極図を縫う透き通った羽衣をたなびかせ、下半身を鶴とし柔らかな尾羽をたなびかせ、悠然と翼を広げ浮いている。

「さあ、この手を取りなさい」

 慈しみ労わってくれる声音に、そっと差し出される掌に、心が洗われていく。あの手を取れば救われる、ようやく楽になれる、今まで何をやってきたのかと。

 辛かった。

 走馬燈を回すように懐古する。

 高元を喪い、祖国を喪い、尊厳を喪い、それでも愛する主君の遺志を絶やすものかと歯を喰いしばり、祖国の誇りを語り継いで同志を集め、過酷な戦場へ駆り出されながら尊厳を踏みにじる政敵へも立ち向かい、粉骨砕身して誰からも後ろ指を指されぬほどに強くなった。そのためだけに生きた。戦で妻子を喪い、謀で戦友を喪い、身も心もぼろぼろにしてなお再建を目指し続けた。

 いまだに報われない。

「しょせんは虚しき夢想に過ぎなんだのじゃ……高句麗など」

 はっと、唱えた言葉で立ち止まる。女神へ歩み寄っていた。

「高句麗」

 唱え直す。女神が驚愕する。そして聞こえてくる。

「大将軍っ! 高句麗を諦めないで!」

 高元の子孫、高談徳(コ・タムドク)の振りしぼる声である。

 談徳へ高句麗国の誇りを教え込み、太子として育て上げたのは姜以式である。

 ぐっと、使いに使い込んだ偃月刀を握りしめ、高句麗民族の鎧を打ち鳴らす。

「高句麗じゃ。諦めるな、高句麗おーっ!」

 ごっと、消えかけていた神威を再燃させる。青藍に輝かせ巻き起こし、轟々と立ち昇らせ一気に拡散させる。連綿と大地へ刻まれし、高句麗民族の魂を結集させ具現化する御業である。

 霧は吹き飛ばした。そのまま神威の竜巻を進撃させる。

「あり得ぬ、私の、髄醒だぞ」

「姉上、危ない! ちゃい!」

 女神にあらず侵略者なりと、李木吒を狙い撃つ。背後から哪吒が炎を噴き付けてくる。楊戩(よう・せん)も風へ化け炎を煽り暴れさせ、強大な業火となしてくる。

「三つ目・山颪(やまおろし)の舞」

 どっと、業火が踏み潰される。碧がみなみと戦いながら援けてくれた。

 馬腹を蹴る。討ち取る。そう偃月刀を振りかぶる。

 李木吒は空中へ逃れつつ霧を再来させ、竜巻を囲い込んでくる。

「その神威、故人たちの魂がもとであったな。つまりは成仏しきらず残る想念、であれば信仰を強いることはできる」

 竜巻が揺れる。本当に神威を支配しようとしている。

「喝!」

 偃月刀一閃、神威の剣圧を撃って回避させる。

「なるほど速いものを操る余裕はないようじゃ」

 喋り終える頃には馬上を跳んで着地し踏ん張り、獲物を直上に捉えている。

「髄醒顕現『天孫聖朝武魂チョンソン・ソンジョムホン』!」

 刹那、足裏から覇力噴を撃って跳び出し肉薄し、山をも切り裂く神威の刃を横薙ぎに、宝刀ごと青藍を奔り抜けさせた。

 李木吒、討ち死に。

「うそ……やだ……姉上えーっ!」

 落ちていく、小さくなった肉親へ駆け付け抱き止め、哪吒が睨み付けてくる。

 火力を暴発させ火尖槍を突き込んでくる。真っ向から神威を轟かせ叩き込み、敵陣の奥まで吹き飛ばす。

「くそぉ、許さない、仇取ってやるっ!」

「よせ。そなたまで喪うわけにはいかぬ」

 戦場が沈黙する。

 大将軍《太公望》姜子牙(きょう・しが)が進み出てくる。

 大将軍《大武神》姜以式は進み出ていく。

「返してもらおうか。その者は気高き高句麗の戦士、すなわち我が子なのじゃ」

「返してもよいが条件を呑んでもらうぞ」

 姜子牙へ仕える武官たちに縛り上げられ、哪吒に敗れ捕らわれた《牛頭(ごず)牟頭勇(モドゥ・ユン)が引きずり出されていた。その弟、鄂崇禹(がく・すうう)と戦っていた《馬頭(めず)牟頭婁(モドゥ・ル)が真っ青になって駆けてくる。

「聴こう」

 姜以式はかすかに牟頭婁と頷き合った。



 姜子牙は言った。

 牟頭勇(モドゥ・ユン)を返す代わりに、遼東(ヨドン)城を無血開城せよと。

「「なっ⁉」」

「これでも譲歩しておるのじゃぞ。取られれば取り返せばよい城一つと、国の棟木たる替えの効かぬ髄醒使いの首が釣り合うなど、本来ならば起こり得ぬこと。はてさて、迷う意味が分からぬのう」

 ぎっと、姜以式(カン・イシク)はうつむき歯を噛み鳴らす。

「……うむ、迷うことではないのう」

 眼を上げる。

「城は渡さぬ」

「「なっ⁉」」

「お待ちください、我が子を見捨てると仰せか!」

 牟頭婁(モドゥ・ル)が正面へ回り込んでくる。火を噴くようである。

「諦めるなど大将軍らしくありませぬ! 戦略上、遼東城がいかに重要かはよく心得ております、しかし平城へ戻った今、城の隅々まで知り尽くす我らが奪い返すは難しくありませぬ! 牛頭とて、己が命の代わりに失ったとあらば命を賭すでしょう、いえ我ら《牛頭》と《馬頭》が揃えば必ずや成し遂げまする、成し遂げるしかない!」

「それが将軍の言うことか!」

 火を噴くように場を震わす。

「彼我の戦力差を考えよ、そのうえで遼東城を失えば戦況がいかに動くかを考えよ、奪い返すどころではないのじゃ。押し寄せる三四万の大軍と十五人の将軍を止め得るだけの城塞など、一つもありはせぬ」

安市(アンシ)城がござります、遼東城ほどではないにせよ……」

「もはや遼東城ですら平城のままでは防ぎきれぬのじゃ」

「し、しかし牛頭は欠かせぬ……」

「牟頭婁! よもや血を分けた兄だからと、私情を挟んでなどはおるまいな⁉ 分かっておらぬとは言わせぬぞ、この戦が、無惨に散っていった先人たちの無念を晴らす最後の機会であると! 虐げられ嘗め続けし辛酸を打破せんがため断じてしくじれぬ決戦であると! 高句麗を、再建する、成るか消えるかの懸かった民族皆の悲願であるとおっ!」

「分かっております! それでも高句麗のため戦ってきた志士を見殺しになど……」

「もうよい弟よ」

 ばっと、牟頭婁が振り返る。じっと、談徳(タムドク)や碧、哪吒(なた)や樹呪らも硬直する。ぐっと、姜以式も見詰める。

 牟頭勇が微笑んでいる。

「私は大高句麗(テェコグリョ)の将軍《牛頭》牟頭勇だ!」

 牟頭婁が泣き崩れていく。

兄上(ヒョンニー)! なりませぬうっ!」

「弟よ、ありがとう。だが私もお前も誇り高き高句麗の志士。高句麗へあだなすくらいなら、舌を噛み切らずにはおられぬはずだ……大将軍(テジャングン)太子殿下(テジャヂョナ)、高句麗の戦士たち……将軍《馬頭》牟頭婁……どうか高句麗を建てられよ!」

 ぎっと、姜以式は深く頷いた。

 どっと、牟頭勇が自決をはかった。

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