百二一 沙朝は見た
碧は言った。風神雷神の遺志など知ったことかと。
すなわち民が平和で自由な世など知ったことかと。
苦しむ民を救いに命を捧ぐ志など知ったことかと。
「なんじゃと」
大鎌を握る樹呪の手に筋が隆起するのが見える。
「麗亜には悪いけど、わーは志とか学んどる余裕なかったから」
麗亜は何も言わない。
碧は覇力を落ち着ける。
「底辺に生きた一般人として言うぞ。我欲なんか知らん、信念なんか知らん、激情なんか知らん。わーたちはただ、平穏に生きとりたいだけなんだよ。それ以上でも以下でもないんだよ。誰々の家系だからとか同郷だからとか、自分で選べるものでもないんに、勝手に奴隷にされたり、奪われたり、殺されたりしたら……たまったもんじゃないんだよ」
麗亜は何も言わない。
碧は覇力を研ぎ澄ます。
「大和朝廷の、民が強固で厳粛な世は、それを強いるから嫌い」
「嫌い、か。さように次元の低い理解でいられては困るのじゃ」
「低けりゃ虐げていいとでも」
「いい悪いではない。よいか」
麗亜は何も言わない。
樹呪が覇力を燃やしてくる。
「我々は大和を護らねばならぬ。危うき火種はもみ消して、盤石とせねば護れぬのじゃ。一個人の人生、幾数多の生命、いずれを優先すべきかなど言うに及ばぬ……そなたにしてみれば理不尽も極まることじゃろうが、他の皆を生かすためじゃ、潔く己が不運を受け入れ……散れ」
びっと、大鎌が唸り麗亜が受けきった。
「碧ちゃん大丈夫。おかしいのは朝廷だ」
「ん、おう!」
受ける太刀に空色の霊気が逆巻き、みなみが樹呪を援けに時間操作を唱えかけ、妨げようと碧は風を奔らせ跳びすさらせる。がっと、樹呪が麗亜の横腹を蹴り付け放り飛ばし、追いすがり大鎌を刈り込んでいく。鎖鎌を飛ばし弾けば、みなみに蛇腹剣を伸ばし絡め取られ、武器を拘束される。
樹呪が反転し斬り込んでくる。速い。風を動かす暇もない。
しかし焦らない。
「きえーっ!」
樹呪が跳びのき、空色に輝く剣圧が駆け抜けていく。
「自由は人権です、侵しても侵されてもいけません!」
麗亜の覇力も研ぎ澄まされている。
「自由は護らなきゃ、戦ってでも!」
「覚悟のほどやよし、されど小兵には変わりなし。黙示録の死神将軍たるわらわが髄醒すれば、時一つとして最後の審判は下ろうぞ、すなわち、風神雷神伝説の約束された終末じゃ。諦めよ……仏敵たる猛虎が降伏されし時、そなたを守護する光明は絶えたのじゃ」
「まだ私がいます」
静かな、それでいて熱い声に樹呪が振り向き、碧は湧く。
妖美を囲んでいた樹呪兵が一騎、こちらへ進み出てくる。
うねった突く刃から刈る刃が枝分かれする、槍鎌を持つ。
「鎧仗顕現『天鎌』」
唱え直し、大和兵へ偽装していた鎧を本来のそれへ戻してくる。双角を立てる兜。天使の六翼を彷彿させる三重の肩当て。ズボン状に下る脚当て。深碧の四角い小札板を繋ぎ合わせる、高句麗軍の薄片鎧である。
将軍《烏巫堂》皇甫碧珠が下馬する。
「ご母堂のおでましじゃな」
がっと、大鎌と槍鎌が交錯し、碧は碧珠に促される。
「麗亜、協力して時の魔女、捕縛しよ」
「任せて。きえっ、きえっ、きえっ!」
「どんぐり沼~」
みなみは小刻みに連射される剣圧をよけきれぬと察し、自身の前にある空間を光らせ、そこを通る剣圧を減速させていく。本能的に碧も悟る。減速させられるなら加速させればいい。
「一つ目・疾風の舞」
後ろから風圧を撃ち剣圧を打ち、まとめて突っ込ます。
風圧自体も減速するため回避されるが、麗亜の手が空いている。
「きええーっ!」
「どんぐり燕~」
周りの誰もが思わず振り向く、そんな剣圧が炸裂する。
だが黄緑に光り加速し、みなみはネコ口を乱さず回避してくる。
そのまま斬り込んでくる。
碧は風を集わせ身構えた。
甲虫軍は時空の罠に捕らわれていた。
あとどれだけ飛べばいいのか、まっすぐ飛んでいるのかを分からなくされ、ぶつかり合い翅を痛め墜落してはならないと、黄華軍を前にして空中停止させられていた。
そこへ《甲虫卿》モーレンカンプが司令する。
「全軍、その場で強く羽ばたけ! そして」
「超魂顕現『黄金鬼金』!」
中級武官・オウゴンオニが純金の粉を生み出し撒き散らす。
金色の身に剣の大顎を構える、人より大きなオニクワガタである。
「超魂顕現『燃焼熱虫』!」
中級武官・セアカが粉にまみれつつ自身を熱する。
上翅を朱い斑紋で染める、人より大きなフタマタクワガタである。
「超魂顕現『金剛鉛炭』」
将軍・モーレンカンプが黒鉛の粉を生み出し撒き散らす。
三万匹で羽ばたき熱伝導のいい金を広め、それらを媒体にして高熱を広め、そこへ広める炭素を加熱し燃焼させることで大いなる発熱反応を起こし、時空の罠の覇術領域である霧を蒸発させる作戦である。
「よし、大成功しておるようだ」
霧が蒸発し罠が弱まっていく。
「全軍、待たせたな突撃体勢!」
モーレンカンプが言うやいなや、甲虫軍きっての武闘派たる上級武官・コーカサスとギラファが先頭へ踊り出てくる。
頭から上へ一本、胸から頭上へ二本、囲い込むように角を構える人より大きなオオカブトと、
牙のごとく多くの棘を尖らす、長々とした大顎を構える人より大きなノコギリクワガタである。
「誰だ、私より前へ出よるのは」
「将軍、先陣争いしましょうぞ」
「将軍、霧が消えきりましたぞ」
「でぃぶらっはっは! 始まりますぞ、甲虫軍名物〈とにかく突っ込め大作戦〉が!」
自軍を放置し一騎討ちする《甲虫王》マンディブラリスが言うが早いか、モーレンカンプが号令する。
「突っ込めえっ!」
「「うぉおおおーっ‼」」
「では失敬、このディブラリス大将軍も先陣争いに加わらねばならんのです」
「マジか熱いぜ、今度は一騎討ちを放置すんのか、そりゃ部下に慕われるわ」
「でぃぶらっはっは! よくお分かりだ」
黄飛虎の猛攻撃を振りきり、マンディブラリスは弧を描き、カブトムシ、クワガタムシの大軍勢の鋒へ合流する。それで甲虫軍の士気は絶頂する。
黄飛虎も黄華軍へ合流し、拳を突き出し迎えられる。
「出るぞ黄飛虎軍、真っ正面から叩き潰してやれい!」
「「うぉおおおーっ‼」」
「崇侯虎軍もだ、弩弓隊は掃射せよ、射落とされた虫けらどもを狩り尽くせ!」
強烈な雨が逆さに降るがごとく矢がほとばしる。
「ディブラリス・フレイム!」
マンディブラリスが十翼を振り込み、ルビーレッドに光り輝き轟々と唸り上げる竜巻を撃ち出し、万にも迫る矢を余さず呑み込み、そのまま黄華軍へと叩き込む。
黄飛虎が両翼を合わせ巨大な鉄鎚と化し、巨大な鎖を振りかぶり振り回し、巨大な鉄球を轟々と唸り上げさせ叩き込む。
ごっと、竜巻と鉄鎚が激突し破裂し、両大将軍が叫ぶ。
「「いくぞおっ‼」」
そして両軍が激突し破裂した。
沙朝は信じていない。
__討ち取られたとか、十中八九、お鉄の偽装。
沙朝は現場近くへ現れた。
桓龍開雲と骨羅道に占拠された烏骨城から西へ三キロあまり、恵美月率いる高句麗軍の陣営である。鷲朧の指示でもある。彼のもとへ戻っていたざボ点の覇術により瞬間移動し、桓龍開雲が送ってくるであろう義虎の棺を検めに訪れた。
棺はまだ送られてこないという。
__うん、偽装だ。
「私が烏骨城へ赴きます。早う引き渡せと催促せねば」
__こんなダサい退場しないよね……戦と謀の鬼は。
義虎はそう変貌してまで生き残ってきた。誰も気付かなかった毅臣の謀略を看破した。それを自分に話して聴かせてから出陣した。
__さて何しようとしてるのか。
鷲朧と恵美月、双方の使者として、腹心の藍冴のみを連れ城門へ近付き、桓龍開雲へ面会したいと願い出た。すぐに通された。建物ではなく、奥まった社のさらに奥、自然のままの洞穴へ案内された。
ぶっと、熱くなった。
「……ちょっと心配したんだからね」
「うぃー、ちょっとって割には涙ぐんでない?」
ほとんど傷のない義虎が浮いていた。
色々と否定したい。言葉にならない。
私だから君を信じられたと伝えたい。
義虎がゆっくりと降り立ち、静かに近寄ってくる。微笑んでくる。
「ありがと、信じてくれてね」
うっと、泣きかけて俯いた。
心の堰が切れた。押さえる暇も術もありはしなかった。一気に押し寄せてくる。
弱くとも優しかった少年の、懸命に努力する顔。ほのかな恋に色付く顔。報われず傷付き当たり散らし泣き叫ぶ顔。そして、もの言わぬ人形へと堕ちた顔。鉄から虎へと豹変した顔。案じれば案じるだけ突き放された。
九年の溝は今どうなった。
「……首斬られて血流してたって」
「うぃー、適応値不足反応で吐血しとった。遠目には区別できんでしょ?」
「……なんだそれ大丈夫なのかな……これからのことも」
義虎は腕をかき頭をかき、胸をかいて囁いてきた。
「無問題。見とってね……面白くなるよ」
拳を突き出された。
ぐっと、沙朝は顔を上げ、ためらい、苦笑し、笑い直し、ぐっと、拳を掲げた。
「うん見まくっとく」
拳を触れ合わせた。