百十七 《恐竜王》と《甲虫王》
沙朝が眼を閉じ退出し、煌丸が船室を歩き回る。
「おいよ……おいおいおいおいおい、冗談にしても笑えねえぜ閻魔さまよお。うちのかわいい兵たちがよ⁉ いったいぜんたい何人⁉ 黄華に殺られたと思ってやがる⁉ ……従えねえな」
樹呪が妖狐の仮面をうつむける。
「さすがに聞き捨てなりませぬぞ」
「されど煌丸の申すも、もっとも」
ぎっと、鷲朧は眼をつぶる。
__鉄よ……。
鷲朧が《閻魔》毅臣より念話を受けから、まだ四半時と経っていない。そこで義虎の訃報を知り、それに伴い新たな大和軍総大将へ任じられ、義虎兵を捕らえ黄華軍へ寝返るよう司令された。信じられなかった。ともかく将軍たちを遼河江へ浮かぶ旗艦へ集め、全てを伝えたところである。
__誠に終わったのか……。
義虎のことは少年時代から見てきた。
__ああまで努めに努め強くなったのだ、何でもよい、何かを成し遂げてくれると思うた。この儚く悲しき人間社会に、これまでなかった景色を開いてくれるやもしれぬと……観たかった。
ふっと、鷲朧は眼を開ける。
__やはり信じられぬ。
義虎は今よりずっと弱かった時代、今回に勝る死線を踏破し続けた。
もしかすると、義虎と毅臣が、凡人では想像だにできぬような謀をぶつけ合っていたのかもしれない。そして義虎は、力で敗れたように見せかけられながら、実際には謀で敗れていたのではないか。
__あるいは逆で、自身が討たれたと見せかけ……。
「ご免。《幻君》武官がお目通りを願っておいでであーる」
外で見張りに立っていた樹拳が出した名は、毅臣へ従うなら、これから拘束せねばならぬ相手であった。
勝助は白装束で現れ片膝付いた。
「亡き我が主が各地へ放ちし間者より念話を受け、とうに主の儚くなりしを存じてござった。あまりに辛く、申し上げるを遅らせしこと、面目次第もござりませぬ。されど主の供を仕損じた不忠者には、その遺志を叶えることこそ何よりの忠義と心得ましたれば、畏れながら献策させていただきまする」
勝助は言った。
義虎は見抜いていた。
劉炉崇が謀反すれば、毅臣は大和軍にそちら陣営へ寝返るよう命じると。
そうなれば劉炉祟の仲間である黄華軍を傷付けた義虎は、誅せられると。
勝助ら義虎兵は拘束されると。全て、拒めば誰であろうと罰せられると。
「将軍方であろうとにござる」
煌丸が歯ぎしりし、鷲朧が眼を閉ざして問う。
「猛虎大将軍はいかにせよと仰せか」
「全て、形だけでも従いなされませ」
鷲朧も煌丸も変わらない。
ばっと、勝助は扇を開く。
「二匹の王がおいでになり、万事よろしく運びますれば」
はっと、三将は目を見開いた。
かっと、勝助は眼を見開いた。
「資格なき大軍師《猛虎》が練り上げし最後の軍略は生きておりまする。それがし双王と念話を繋げますれば、すでに彼我の陣容および戦況は伝えてござる。ご案じ召されますな、将軍方が黄華軍と並んでおいでになろうと、彼奴らに勝つ術などござりませぬ」
しばし、誰も何も言えなかった。
「されど何故、わらわの前で申されたのじゃ」
やがて樹呪が仮面をうつむけた。
「他の二将と異なり、わらわは骨の髄まで高天原派。チクるぞ」
「もとより双王の来るはご存知のはず。そもそも双王を前にし」
にっと、勝助は扇を閉じる。
「備えの有無など意味をなしませぬのだな」
翌九月二三日。
大和軍は誰一人として鎧仗覇術を発動せぬまま行軍し、午後には黄華軍と合流した。昨日のうちに毅臣と鷲朧の連名による親書を送り、黄華軍総大将である聞仲および大軍師である姜子牙が揃って受諾したことで、同盟が成立していた。
「勝助さま、双王はいつどこへ来られましょう」
勝助ら義虎兵は覇玉を没収され、縄で縛られ人質にされていた。
隣を歩かされてきた奴隷兵の駒に問われ、勝助は薄く微笑んだ。
「あと三秒でここへ来るのだな」
「三⁉」
その時、姜子牙の司令が響いた。
「敵襲、野菜の罠を張るのじゃ!」
「ほれ。黄華の斥候が強大な覇力を感知し念話してきたようなのだな」
中級武官・楊任と辛甲、そして熟練の上級武官・宋異人が超魂覇術を発動し、陣中から霧を広げていく。生半可な防備では相手にならぬと判断した姜子牙が、惜しげもなく、煌丸とその軍を全滅する寸前まで追い込んだ大戦力を出してきた。
だが次の瞬間。
「髄醒顕現『竜紅風十二翼』!」
疾風迅雷、ルビーレッドの十翼で羽ばたき、ルビーレッドに風力を光らせ、ルビーレッドの竜巻と化す、人より大きな虫が飛来した。
「「クワガタムシい⁉」」
「でぃぶらっはっは! 虎の弔い合戦ですぞ!」
虫はそう喋りながら突貫し、力強く長々と湾曲し尖る大顎をがばと開き、風圧に撃たれ反応すらできぬ楊任をすれ違いざま、鋭く、肋骨ごと挟み潰し捨て去るや、防御の間に合わぬ辛甲へも挟みかかる。辛甲は必死に頭を下げるも、大顎の棘が兜を貫く。
宋異人がとっさに鉄鞭を打ち込み、虫が悠々と大顎を振り上げ弾きのけ、旋回して黄華将を見定める間に、覇術の解けた辛甲が倒れ伏していく。弟の中級武官・辛免が駈け寄り、万能治癒を使う上級武官・白鶴を呼ぶ。姜子牙が苦笑いする。
「両国合わせ三四万という陣中へ、単騎で飛び込むとはのう」
聞仲が進み出た。
「賞賛に値する。名乗られよ」
ばっと、虫はのけ反った。
「大将軍《甲虫王》マンディブラリス! ボロブジャヤ国最強にして先陣狂かつ突貫狂! 忠義と友愛と士魂に凝り固まりし六三歳フタマタクワガタですぞ! そんなわしに世界種は通じませぬぞ、霧なぞ竜巻で吹き飛ばしてやりますからな! それから単騎というのは違いますぞ、見なされ、このディブラリス大将軍が心血注いで集め育てし、誇り高き〈甲虫軍〉三万の戦士たちを!」
マンディブラリスが空を指す。
黄華軍も大和軍も啞然とする。
勝助は傑作だとニマニマした。
無数の羽音を轟かせ、黒々とした大群、否、猛々しき大軍が飛んでくる。鷲朧軍の梟軍団ならぬ、大小様々なカブトムシ、クワガタムシの将兵である。
「おもしろい。いかに料理するか」
聞仲が姜子牙へ問う。
「野菜の罠へ続くは〈時空の罠〉ですかのう」
治りつつある辛甲、支える辛免が拱手する。
「超魂顕現『時間誤認』」
「超魂顕現『空間誤認』」
霧が甲虫軍へ向かっていく。マンディブラリスが羽ばたこうとする。
「髄醒顕現『鎮飛虎武王仗』!」
大将軍・黄飛虎が飛び上がり、四肢、両翼、尾を大鎌へ変え、翼を切り裂こうと襲いかかる。マンディブラリスが大顎をぎらつかせ、真っ向から風をぶつけつつ挟みかかり、剣戟が火花へ音を乗せ飛び散らす。
そうこうするうちに甲虫軍へ霧が届く。
あとどれだけ飛べばいいのか、まっすぐ飛んでいるのかを分からなくする。
一匹一匹の進む軌道が乱れ、ぶつかり合って翅を痛め、混乱に陥っていく。
「ほっほう、時空なぞと大それた名前を付けるだけあって、大した罠ですな」
マンディブラリスが鎌を挟み割る。
「おいおい、部下がやられてんだぞ、ひっく」
「でぃぶらっはっは! このディブラリス大将軍の部下ですぞ、やられる訳ありませんわ」
と言う師匠へ応えるかのごとく、将軍《甲虫卿》モーレンカンプが指示を発する。頭から上へ一本、胸から頭上へ二本、湾曲した角を構える人より大きなオオカブトである。
「全軍、空中停止せよ!」
一匹残らず即座に止まり、ぶつからなくなる。
「いい判断だな、ひっく」
「でぃぶらっはっは! ならば次は自軍を心配するべきですぞ」
と言う同志へ応えるかのごとく、ごっと、横手の丘で巨大な覇力が噴き上がる。
「髄醒顕現『恐竜太古巨獣』!」
声色は老婆、迫力は豪傑。
苺色に光り揺らめく覇力が湯気となり丘を覆うや、たちまち一〇に凝固し、咆哮する太古の巨獣を形どる。
「恐竜か!」
黄飛虎がおったまげる。
「おわっ、デカすぎでしょ⁉」
哪吒が足をもつれさせ、ひっくり返る。
「そんなものを十体も操る……さながら末法の世を裁き、暗黒時代を破壊し、神々の黄昏を告げるかのごとくじゃ」
樹呪が左手で右脇を抱え、右手で右目を隠しかがみ込む。
岩雪崩のごとく、荒ぶる恐竜たちが丘を駆け下ってくる。
究極の顎を誇る暴君竜、ティラノサウルス。
鋭き三本角を誇る角竜、トリケラトプス。
運動能力の高き石頭竜、パキケファロサウルス。
尾に針と背に板の剣竜、ステゴサウルス。
尾のコブを振るう鎧竜、アンキロサウルス。
長き顎と帆を張る水竜、スピノサウルス。
小柄で俊敏な頭脳派竜、デイノニクス。
長大な爪を誇る羽毛竜、テリジノサウルス。
音で指揮するトサカ竜、パラサウロロフス。
首も尾も脚も長き巨竜、ブラキオサウルス。
「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは大和国大将軍《恐竜王》大襟巻音華なり!」
大音声に呼ばわるのは、羽織袴を纏い老眼鏡をかけ、襟飾りから派手に棘を伸ばす角竜、スティラコサウルスと化し、ティラノサウルスの背でふんぞり返る、本来エリマキトカゲの婆さんである。
大和軍が湧き立つ。
甲虫軍も湧き立つ。
黄華軍は凍り付く。
「さあ黄華の弱輩どもや、耳の穴かっぽじって、よおく聴くんだよ! たとい猛虎が消え大和軍が寝返ろうともねえ、甲虫軍ともどもこの恐竜王さままで来たからには、万に一つも勝機はなぁし! 挨拶代わりだよ、陣が半壊するぐらいまで蹂躙してやるから、遊んでほしい子はかかってきな!」
にっと、勝助は駒へ囁いた。
「甲虫軍のブルマイスター上級武官が、ばば様を密かに運んでいたのだな」
上翅が黄色く境目が黒い、人より大きなツヤクワガタである。
「これが恐竜王と甲虫王……それも前と横から挟み討ちに」
「いきなり大決戦となるのだな……猛虎の策通り」