百十二 《猛虎》対《雲師》・《風伯》
半人半竜の義虎が積乱雲の中を落ちていく。
雷に撃たれた。
何も見えない。
__落ちとる⁉
再び消え入りかける意識を叱咤激励し、落ちていると分かったことへ歓喜させる。
でたらめな上昇気流に揉みくちゃにされ、平衡感覚など奪い取られたはずだった。
なぜ分かった。周囲の氷が水になっていくからである。下へ行くほど温度は高い。
ではなぜ勝手に落ちるか。
__うぃー、下降気流があるね、されば脱出できる!
凍った翼も自由になっていく。気流に乗り加速する。
変わらず何も見えない。雷が鳴る。構わず羽ばたく。
ぱっと、視界が開ける。
__脱した!
雲の切れ端が見える。地上が見える。烏骨城が見える。
旋回し見上げれば、積乱雲は遠大にそびえ立っている。
__されど下降気流が出てきたってことは積乱雲は衰退してく、源流たる上昇気流と打ち消し合うもんね? うぃー、確か、雪とかが落ちながら溶けて雨になる時とかに? 周りの温度を奪って重くなって? ついでに周りの空気も引っ張り降ろすから? 下降気流が生じるんでしょ……されど即座にではない。
つい今しがた、音速で突貫しても絡め取られた。
__マッハが通じぬなら、めっちゃんこ助走付けたマッハで当たるまでよ?
戦場を離れていく。
高度を上げていく。
楕円を描いていく。
残る覇力は多くない。加えて自ら立てた策により、これから強大なる相手が増える。
一発で決めねばならない。
大空を突き抜けながら積乱雲の中心を狙い定め、胸をかき息をつく。
爛々と、沸々と、赤々と、覇力甲を凝り固め抜いて身を倒し強靭なる翼をうち下ろし、雷轟電撃、一気に音速へ達し距離を滅して滅して滅して積乱雲へ突入する。
何も見えない。凍える。流されかける。
遮二無二、知ったことかと猛進し、雷をかいくぐる。
速力が奪われていく。体力が奪われていく。覇力が奪われていく。
雷に撃たれ朦朧とし、だが歯を喰いしばり、覇力を噴き上げ進む。
上下も左右も知れず、だが前だけは分かり、覇力の限りと気張る。
がっと、巨大な何かに衝突した。
__緑龍か!
しがみ付き、鱗を掴み、生える向きを確認し、どちらが上か認識し、よじ登る。
いきなり攻撃されることへ備え、覇力甲を固め直し、緑龍の御者を捜していく。
「いやはや、よう辿り着いたものじゃ」
「うぃー、今なら誰にも聞かれませぬ」
義虎は歓喜した。緑龍を御し積乱雲を築いたコモドドラゴンの老獣人、桓龍開雲がそばに降り立っていた。
__よもや猛虎の方から来てくれるとは……。
桓龍開雲は感動していた。
__期待通り切れ者じゃ。
劉炉祟が謀反したと知りながら、鎮圧しに行かず高句麗軍と戦い続けたのは、自然な流れで引きずり出したと装いながら乙支文徳と接触し、ともに義虎と密談できるよう仲立ちしてもらうためだった。
桓龍開雲は見抜いている。
軽率に劉炉祟と戦えば、その後ろ盾として侵攻してくるであろう《閻魔》富陸毅臣に挟み討たれる。さらに、高句麗軍へ味方している大和軍が毅臣に命じられて裏切り、黄華軍と連合し高句麗軍を殲滅し進撃してくれば、勝機はない。
だがもう一つ、巨大な事件があった。
風神雷神が再臨した。
毅臣はこれを予期し、滅しようと動いたのだろう。
なぜなら、劉炉祟を援け、黄華軍の手を借り高句麗界を滅ぼしたところで、毅臣の得る実利は少ないからである。別の狙いがあると考えて然るべきである。
祖国を愛する老雄は思案した。
勝機を見出すにはどうするか。
義虎に知らせ動かすのがいい。
なぜなら、策略家として知られる義虎が、何の策もなしに再臨したはずがないからである。
ところが、義虎は自分から来てくれた。高句麗軍が危機的状況にある訳ではないなか、自らの戦線を放ってまで、わざわざ音速で翔け付けてきた。
すなわち、桓龍開雲が知らせるまでもなく毅臣の狙いを看破したればこそ、打破せんと、危機的状況へ立たされるであろう者同士で密約しにきた。
__若いが、強いものじゃ。
桓龍開雲は重ねて感動した。
義虎が練った策により、己の方針が具体性を得たからである。
どっと、積乱雲を突き破り、巨大な緑龍が飛び出していく。
固唾を飲んで積乱雲を見守っていた両軍が、指さして叫ぶ。
緑龍は義虎へ喰らい付いている。
「斬る」
緑龍の歯茎へ尾を叩き付け、義虎は牙の押し込みを緩めて離れ、目にも止まらぬ速さで斜めに回転しながら目を狙う。ばっと、緑龍は大口を開け噛みかかり、義虎は牙へ傷を刻みつつも逃れ出て、再び斬り込む体勢へ入る。
「髄醒顕現『空飛骨緋風爪』」
しかし急降下し回避させられた。
猩々緋に眩耀する烈風が四本、尖刃と化し、果てなき先まで奔り抜けていた。
高句麗軍が打ちひしがれ、開京軍が湧き立った。
大将軍《風伯》司空骨羅道。
猩々緋の翼を大きく広げ、猩々緋の毛髪を広げ長くなびかせ、斬り傷の跋扈する鍛え抜かれた上体を晒し、猩々緋の毛皮を纏う猩々の下体を伸ばし尾を長くたなびかせ、脛まで届く手甲鉤の爪をぎらつかせ、空へ歩み出してきた。
ここに《雲師》と《風伯》、開京界の武威〈三壁上〉が二将集い、義虎を挟み討ちにせんとしていた。
「念話させて呼び寄せたのじゃ」
「うぃー、モテる男は辛いね?」
義虎は微塵も怯まず腕をかく。
どっと、桓龍開雲へ斬り込み打ち合い押しのけ、放り込まれる緑龍の爪をよけ踏み台とし、電光雷轟、骨羅道を目がけ突撃する。烈風の爪を撃ち込まれ、高速で前進しながらかわし、偃月刀を振りかぶる。骨羅道が手甲鉤を唸らせ突っ込んでくる。刹那、火花と金属音を飛び散らせ馳せ違う。
そこへ緑龍が雲を吐き付けてくる。
__視界奪ってきた、されば次は。
ばっと、急旋回し烈風を回避する。
__うぃー、大いなる雲で目隠しし、大いなる風で切り裂く、合図の一つもせずに雲ごと……瞬殺されるじゃん、空中における義虎の回避能力がなければね?
雲は残っている。相手からもこちらは見えていない。しかも緑龍の巨体は隠れきっていない。急旋回する軌道から奇襲せんと、雲を逆用し接近する。
下から烈風をえぐり込まれ、かわす。
__うぃー、そりゃ読んでもくるか。
回り込んできた骨羅道へ斬りかかる。
ごっと、雲を突き破り巨大な顎が鋭利な牙を突き立ててくる。
__よけれんね?
義虎は緑龍に喰われた。
両軍に叫喚され、緑龍に絶叫され、凄まじい勢いで吐き出された。
義虎は喰われるやいなや牙をよけ、舌を踏み付け斬り裂いていた。
だが休む間もなく烈風に迫られる。
分かっている。速力をうち出し斬り付けても、轟烈な風力に弾き出されてしまう。
根性で翼をさばき、間一髪でかわすところを骨羅道に強襲され、根性で斬り結ぶ。
その間に桓龍開雲が覇術を解き、せっかく致命傷を与えた緑龍を再生させてくる。
「髄醒顕現『太泰仙緑雲龍』」
__うぃー、それどころじゃない。
骨羅道が強い。
手甲鉤の間合いは大きくはない。しかし左右双方にあり、一撃一撃が鋭く、とてつもなく重い。まともに受け止めれば腕を折られる。受け流すだけで柄が歪んでいく。そして受け流した柄を戻すより速く打ち込み続けてくる。義虎の受け流して立て直す動作は上級武官でも反応できぬほどに速い。それでも反撃すらできない。
__黙らっしゃい、負けるかよ⁉
義虎は疲労しきっている。非才であり、骨羅道は天才である。
__それを言い訳にし引き下がるくらいなら戦人なぞ辞めちまえ。
非才なる大将軍たる自負がある。
__斬り合いでだけは負けてなるものか!
仕切り直さんといったん下がる。一瞬にして間合いを詰められる。
__されど一瞬あれば足りる。この猛虎こそが史上最速の生物ぞ!
「斬る」
目にも止まらぬ速さで斜めに回転しながら薙ぎ払う。
がっと、振り向きざまに桓龍開雲の一刀を打ち返す。
びっと、骨羅道に斬り付けられ頬に朱く一線を刻む。
ぎっと、猛虎は吼える。
偃月刀一閃、風伯も雲師もまとめて叩っ斬り猛然と突き飛ばし、宙返りし距離を取る。
「斬る」
目にも止まらぬ速さで斜めに回転しながら骨羅道を狙い、緑龍に巨大な尾を叩き込まれて打ち落とされた。ぎりぎりで覇力甲を固めたが、それで防ぎきれる衝撃ではなかった。全ての細胞が雷に撃たれたかのごとく振動していた。
__だから何け⁉
拳を握りしめる。地面へ衝突する前に懸命に羽ばたき、ゆっくりと着地する。
柄を杖にして見上げれば、桓龍開雲が再び積乱雲を築き上げようとしている。
完成させぬと飛び立ち進撃するも、骨羅道が果てなき烈風を撃ち付けてくる。
突き進みながら掻いくぐる。
後ろで烈風が炸裂し、轟音をまき散らし地面を切り刻む。そんな烈風が左右続けざまにほとばしり、ひし形に交差し山をも切り裂く大網と化し、信じがたき速さで襲いかかってくる。
__されど猛虎の方が速い!
赤々と覇力甲をみなぎらせる。
ひし形の一つを突っきり骨羅道へぶち当たり、力任せに押し上げていく。
目指すは緑龍の首である。一昨日こうして海へ叩き付けたように、骨羅道と緑龍を激突させ双方をうち負かすべく突き進む。
「さすがだ。だが私も負けぬぞ」
満身の力を籠め、いなされた。
そして烈風を叩き付けられ、覇力甲を切り裂かれつつ、一気に遥かへ吹き飛ばされた。
呻きながら無理やり体勢を戻し見据えれば、積乱雲がそびえ立っていた。
__うぃー、使おう。
義虎は奮えて唱えた。
「柳の硝子細工は観音開き 東へ障子戸 西へ格子戸 吊るし門は北へと解け 埋門は南へ落つる 見よ 甘露の櫓門はがれ 金 銀 銅 鉄 ことほぐ厨子にことほがん」