百十 御前試合、制するは豚か犬か
「さーさパパ、恐すぎるんですけど」
遼東城にいるはずの義虎が、遼河江にいる将軍・沙朝を驚かせた。
「いつ来たの? 来ていいの? よく来られたね?」
「うぃー、今着いたばっかだよ? 黄華軍が動かんから偵察してくるという大義名分を取り繕っといたから無問題だよ? そして義虎は翼がないので加速できぬという覇術を使わぬ状態だろうと一〇〇キロメートル毎時で飛べるので干渉させる暇も与えず堂々と敵陣上空を突っきり一時間かけて来訪したまでだよ?」
「すごい、息継ぎなしだったよ」
「うぃー、ゆっくり言ったから」
「仮にも、いわゆる鬱展開で別れて九年ぶりに再会したばっかだよね」
「なははは、昔はガキだった」
すっと、義虎の眼が戦術家のそれへ切り替わる。
彼らは大和軍の陣、沙朝に宛がわれた天幕にいる。他には誰もいない。
「開京で狸おやじが謀反した。この黒幕には君の父君がおられると思う」
「疑いないね」
「となれば、ここの大和軍は黄華軍へ寝返らされる、となれば、高句麗は蹂躙され義虎は斬首される、となれば、とある疑問が生じるので君に密告してもらいに来たわけだ」
「……とろふわ卵チーズ」
「たこ焼き?」
「うん。碧ちゃん暗殺したら、もらえるはずだった」
「かしこまった、あらゆる手を尽くしてご馳走する」
たこ焼きで機密をばらしてくれるのか、などと無粋なことを訊くのは辛抱し、義虎はいきなり三つの名を挙げた。沙朝の父、毅臣を筆頭とする高天原派に謀られ力尽きた、八百万派の英雄ゆかりの少年少女である。
《氷神》夷傑信露の曾孫、夷傑銀露。
《火神》炎火臆母の子、炎火きらら。
《犬神》犬泉八星の孫、蒼泉咲。
「まだ生きとるよね?」
「うん。ちょうど昨日今日で〈御前試合〉の優勝争いしてるはず」
「うぃー、されば何故、父君は義虎を誅殺するをお急ぎなさる?」
えっと、沙朝の顔色が変わる。
ぐっと、義虎は顔を近付ける。
「狸おやじが謀反を決行したは、みどが《風神》の孫と名乗った後なのさ」
沙朝のお茶をひったくり、飲み干させてもらう。
「相変わらず早飲み……父が狸に許可したと」
頷く。
「そもそも父君が義虎とみどを引き合わせたは、八百万派に謀反させて大義名分を得て殲滅するためでしょう? 風神雷神が再臨したぞ決起す気運高まれり、とか思わせて。故に義虎は、早まるなボケと八百万派へ警告した、時期尚早すぎる今《雷神》の継承者を名乗るわ、みどにも名乗らすわして。これで八百万派が謀反するを遅らすとあらば、父君としては来年にでも夷傑氏、炎火氏、蒼泉氏を戦場実習生に選んでみどに加えて義虎隊へ配属させることで、やはり気運高まれり、というかもはや狙われとるでしょ、やられる前にやらねばとか思わせたいはず。雷、風、氷、火、犬の因縁まとめて潰せるんだから最善手のはず。されば義虎だけ先に滅するは不合理じゃない?」
「確かに……私に碧ちゃんを討たせようとしたし」
「うぃー、それは単に義虎への目くらましかな?」
「なぬ」
「君は優しいから。どーせ義虎が間に合わんくても、みどは無事だったんでしょ? 父君と世間には討ったと嘘付いといて、こっそり監禁しとく気だったでしょ? 父君もお見通しだと思うよ、故に君を遣わしたは、義虎と高句麗を喪失感にさいなますと同時に、狸おやじの謀反と連動するご自分の策謀から、目を逸らさせるための工作かと」
「お、おう。それで君を嵌めようと急ぐ理由は……」
じっと、見詰められる。
一昔前ならドギマギして、ろれつが回らず声が裏返ったことだろう。
「君を認めたからじゃない? あまりに成長しすぎて放置しとけんと」
いじめるなと蹴っ飛ばしたくなる。
「うぃー、そうなら光栄だけど……」
そっぽを向いた。
「夷傑氏たちがあまりに大したことなさすぎて風神雷神だけ始末すればよくなっただけとか?」
「ほんとは知ってるでしょ、歴代最強の世代だって」
ところ変わって大和国、瑠璃里の七色城。
御前試合が行われている。
天皇や要人、そして毅臣が集う天守閣に見守られ、広大なる土俵を挟み、各里の覇術学校より選抜された学生たちによる一騎討ちを勝ち残ってきた強豪が向かい合っていた。
身長差が一メートルある。
「どっちが勝つかな、咲ちゃん?」
天守閣の逆側から土俵を見上げ、二人に敗れた二人が観衆に混ざっていた。
「確かに、蒼泉どのの心を操るという覇術には抗いがたい。されど大力豚どのは失礼ながら、思念や思索なしにただ野生の本能へ任せ猪突猛進する。さような心をいかにして操るか、いや操ることがかなうのか」
銀髪を長く流す一九二センチの少年、銀露が答えた。
黒髪をツインテールにする一四五センチの少女、きららが跳んだ。
「きゃは、根性バトルだ!」
行司を務める瑠璃里領主、山吹陽波が軍配を掲げる。
「ふむ、これより六回戦、決勝試合を行う。東の方より名乗られ……」
「ぶ、ひいいいん!」
はち切れんばかりに筋骨隆々、ブタの顔をした二三四センチの獣人が走り出す。
「天下無敵の大力無ちょおになる漢! 大力豚鬼爪さまだぜ!」
「わ、我、こそは、瑠璃里、が主席、蒼泉咲、なりぃ」
スミレ色の髪を一つ結びにし、イヌ耳を立てる一三四センチの半獣人がびびる。
「ふむ、では始められたし」
きららが銀露をぱしぱし叩く。
「おにづーが待てないせいで、もう始まってるよね?」
「おにづー?」
「鬼爪くん!」
そんな間にも、鼻息も荒く地響きと砂煙をまき散らし、鬼爪は真っ向から咲へ迫っていく。見守る誰もが思う。ただでさえ咲はか細く小さい。それが荒ぶる巨漢に猛然と突進される。打ち付けられる迫力と恐怖は尋常ではないだろう。しかし咲は唾を飲み込むと、腰を落とし脚を開き、心を落ち着かせ待ち構える。
「ぶ、ひいいいん!」
鬼爪が巨大な拳を叩き込む。
咲が鬼爪の股をすり抜ける。
「ぶひい⁉」
よもや前進してかわされるとは思ってもみなかった鬼爪だが、さして気にせず振り向きざまに殴りかかる。右へかわされるや左拳を叩き込み、左へかわされるや右拳を叩き込み、跳びすさられるや踏み込み殴りかかり、左後ろへ回り込まれるや丸太のごとき腕を振り抜くも、また跳びすさられ、追いすがり連続して殴り付けるも右へ左へかわされていく。
咲は泣き出しかけている。だが逃げない。
きららが銀露をぱしぱし叩く。
「究極にカッコいいね、さーちゃ!」
「さーちゃ?」
「咲ちゃん!」
「されどかような動き、長くは続かぬはずだ。子供と巨人のごとき体格差により、蒼泉どのは一撃かわすたびに大きく動かねばならぬ。対して大力豚どのは腕を振るだけでこと足りる、拳へ籠める力も一割といったところだろう」
実は鬼爪は本気で殴っている。
手加減したりペース配分したりする思考をもたないからである。
そして、せずとも済んでしまう無尽蔵の体力をもつからである。
間近でせめぎ合う咲はそれを察した。
察するや身をひるがえし、四つん這いとなり、目にも止まらぬ速さで走り去る。
「ぶひい⁉ そういや弓使いだったな、させねえぜ!」
鬼爪も四つん這いとなり、土を蹴立てて追いかける。
きららが銀露をぱしぱし叩く。
「スピード互角だよ!」
「ああ、されば先に動いた蒼泉どのに利がある。遠距離戦となるぞ」
「超魂顕現『菫咲泉心』」
仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌。
咲は霊気を当て覇術領域を作り、このいずれかの心を支配する。
咲が跳んで振り向きながら、月桂冠を頂き、布の少ないワンピースから素足を伸ばし、小さな弓へ矢をつがえ、桃色の霊気を纏わせ引きしぼる。
猛然と怯まず、鬼爪は跳びかかる。
「超魂顕現『侠腕力鬼』!」
どっと、体高十五メートルへ巨大化する。
橙色にでかでか『豚』と書く鎧と鬼の兜を固め、尖った毛皮と羽織と鬼のパンツをはためかせ、ごりごりに鋼を打ち固めた片刃の大斧を叩き込む。
「やだぁ」
咲が逃走した次の瞬間、巨大な斧が土俵を爆発させた。
粉塵が突き上がり地面が揺さぶられ轟音が駆け抜けた。
大斧は土俵をかち割りめり込んで、観衆を驚倒させた。
きららが銀露をぱしぱし叩く。
「さーちゃ、どうなった⁉」
「いた、だいぶ離れておるぞ。風圧へ乗り跳んだのだろう」
「ファッ⁉ そんなん、大なり小なり瓦礫に巻き込まれちゃう……」
きららは咲にどう敗れたかを思い出していた。咲はきららの炎へ迷わず跳び込んできた。焼かれて悶絶しつつも気を逸らさず、きららを支配するのを優先してきた。どれだけの覚悟をもっているのか、何があったのかと畏れた。
「……万能治癒があるとはいえだ」
咲は細い腕と腹に瓦礫を受けていた。骨折し出血していた。
「ぶひい⁉ ひでえ怪我じゃねえか! 急げ、降伏しとけ!」
鬼爪が膝を付いて手を差し出す。
「あ、ありがと、だいじょぶだよ」
咲は小さな手で巨大な指を押す。
「棺桶はいらぬ 見えざる糸もて真綿はくぐる 朱色あらば膚色に冷やす 不老長寿の桃 行燈を焚き暗香を誘い按摩を塗り 水蔘 白蔘 紅蔘 熊の胆 麦門 葛根 冬虫夏草 千古の泉に研ぎて優れよ 纏いて立てや薬食同源」
ぼっと、腕と腹をうっすら桃色に光らせ、よろめきつつも下がっていく。
銀露が気付いた。審判である陽波がきつく眼をつぶり肩を震わせている。
「つ、続けよう。孝、ほしいな」
咲が矢をつがえる。
「マジかよ、だが続けるからにゃあ容赦しねえぜ、ぶ、ひいいいん!」
鬼爪が大斧を放り込む。矢が放たれ、大斧が行って守りの空いた鼻面へ飛ぶ。
「ぶひい⁉」
十五メートルの巨体とは思えぬ反応速度をもって、鬼爪は頭を逸らす。矢は空ぶるも、同時に大斧の軌道も逸れる。そして観衆は一様にして目を疑った。
咲が大斧へ乗っている。
「ぶひい⁉」
鬼爪が大斧を持っていない方の手で掴みかかる。咲は跳び乗ったのと同じように跳んでかわし、柄へ着地するや四つん這いで駆け登っていく。また掴みかかられ、また跳んで腕へ着地し、また駆け登っていく。思いきり腕を振り回され、這いつくばって必死に飛ばされまいとする。
きららが銀露をそっと引っ張る。
「キラたちにできるかな、あんな戦い方」
「悔しいが難しかろうな、我らは覇術に自惚れていたのやもしれぬ」
ついに咲が飛ばされる。だが懸命に手を伸ばし、鬼爪の羽織を掴んで埋もれる。
「ぶひい⁉」
「仁、あげるね」
すぐさま羽織が脱ぎ捨てられる。しかし鬼爪は反撃しない。
小さな棘が刺さるように兜へ矢が突き立ち、桃色の霊気が広がっていた。