百五 刺客がもはや美しいほどに強い!
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経」
かっと、戦人は眼を見開く。
「王……あの奴隷兵・鉄は、この大将軍・空柳義虎となりました。強くなりました。強くなり続けまする。そうしてともにぶっ壊しましょう、この腐りきった人間社会を」
ひっくり返って胸をかく。大地が受け入れてくれるように感じる。
十一年前。
ツタンカーメンと腹心たちに逃がしてもらい、生まれ変わって復隊した。
エジムト国で続く合戦で、味方が撃退した敵将を単身奇襲し負傷させた。
もち場を勝手に抜け出し、遺体に紛れ傍観し、敵が弱るのを待っていた。
『お鉄、あのさ……何があったの』
一つ年上の後輩、武道沙朝に見詰められた。
自分を捨てた愛する父へ、捨てた理由を尋ねるような眼をしていた。
『……べつに何も』
『でも戦い方すごく変わった、なんか……』
それ以上は言わないでほしかった。
沙朝が好きだった。
華奢な美少女であり、思いやりがあり、時おり儚げに見えた。
華奢に見えるが筋肉は引き締まり、武力も体力も智力も気力も覇力もたいへんに優れ、覇術を使えば将軍級ですら追い詰めた。鍛錬で打ち合えば、必ず息一つ乱さず打ち負かされた。そして、無謀に突撃し血だるまとなって抗い続ければ、必ず駆け付けて命を救ってくれた。
いたたまれなかった。
どれだけ頑張っても、好きな女の子に遠く及ばない。
振り向いてもらうどころではない。弱く、なんの取り柄もなく、負けることしかできない。きっとそう思われている。恥ずかしすぎる。案じられれば案じられるだけ己への憤りが募る。もう構わないでほしい。
そのまま心を失っていき、どうでもよくなった。
しかし心が蘇ったこの時、秘めた想いも蘇った。
なんと言われるか分かっていた。
『怖いよ』
仕方がない。相変わらず弱いのだから。
生きる目標と希望を得たことで、改めて生き残らねばならなくなった。再び強くなりたくなった。そのためには何が必要でそれをどうすべきか、頭脳を唸らすべきだと気が付いた。気付いてしまえば難しくはなかった。
戦も謀も基礎は身をもって知っていた。
手段を選ばぬことで気にすべき体裁など、あろうはずもなかった。
覇力を練り武器を扱う術を盗み見るべき、優れた後輩が隊にいた。
偽りを語り、密かに手を組み、情報を盗み出す手本にも困らなかった。
生き残るため冷厳へ徹するに足る経験と覚悟は、十分に蓄積していた。
試行し、修正し、修練する実戦には事欠かなかった。
そして、これらを重ねる胆力はとうに確立していた。
「戦と謀の鬼」
十一年を経て、そう自称することが誇らしい。
そうあるため、虎の心を尽くして休まず全霊を捧げに捧げるなか、沙朝とは疎遠になった。仕方がなかった。虚しい恋慕など忘れることにした。恋人たちを見るたび、首と胴を離れ離れにしてやろうかと歯ぎしりし、こいつらは強くなれないと自分へ言い聞かせた。
その甲斐あって、沙朝を抜かして強くなった。
もっと強くなりたい。そうすれば積年の宿願を果たすことができる。さらに今は、かわいい教え子と育て合い、ともに叛逆するという待ちきれぬ祭をも想い描いている。
__うぃー、徹頭徹尾、楽しまんとだよ?
跳び起きた。麗亜から念話が入ってきた。
「……早っ」
義虎は飛び立った。
「天の川 数えて掴み売ってみよ 夕星 弦月 七曜 決せよ 色は丈は顔は旗は数は城は志はと羽ばたき愉しみ越えていけ 八雲かき分け垣間見よ 知るなら崩れぬ 記せば老いぬ 詩するに臨みて鳴神を担ぐ」
この少し前、すでに日付は変わり、九月二二日。
死闘で憔悴しほとんどの将兵が就寝していた遼東城にて、刺客が動いた。
将軍《浄玻璃》武道沙朝である。
狙うは《風の巫女》鳥居碧である。
高句麗兵に扮した沙朝は、日があるうちに雑踏に紛れて碧を尾行し、どの兵舎に泊っているかを突き止めた。すでに要人として扱われており、兵舎の周囲には衛兵が宛がわれていた。母である将軍・皇甫碧珠や大和将兵も同じ兵舎へ入るのを確認した。
碧珠の配下となった女兵士へ話しかけた。
風神さまの血を引く親子と同じ屋根の下にいられるとは羨ましいと。
母子は再会したばかり、同室で寝るのだろうかと。
あっさり判明した。碧珠は戦場にあって娘を特別扱いせず、碧は木村麗亜のみと同室であると。沙朝を止め得る唯一の存在が壁一つ隔てているならば、姜以式から火急の呼び出しだと偽り、出ていかせる必要もなくなった。
あとは容易いことこの上ない。
腹心の武道藍冴に感知妨害をかけてもらい、拉致してきた公孫驁広に千里眼視させ、碧の居室を特定させ、自分を連れそこへ空間転移させればいい。なんと、衛兵を始末して回るどころか、侵入経路を模索する必要すらない。
兵糧庫に隠れた沙朝は偽装を脱ぎ捨て、肩を出す忍び装束を現した。
そして、碧の枕もとへ立った。
転移する空間の割れる音で碧が目覚め、跳び起き麗亜をひっぱたく。
「声出さないで聴いて」
沙朝はしゃがみ込む。
驚く麗亜と手を握り合い、碧は唇を引き締めている。
「君を討ち取りに来た。だから戦いたい」
んっと、小首をかしげられる。訝しむ。
碧はまったく慌てていない。いくら肝が据わっていようとも、一瞬先の命が危うい極限状態にあって、冷や汗の一つもこぼさないのは不可解である。麗亜にしても、心臓を押さえるだけで怯えてはいない。
はっと、二人の上官が誰であるかを思い出す。
「……見抜いてた? 刺客が来るって」
にっと、碧が頷き壁を強打された。
どっと、壁が蹴破られ男たちが突入してきた。
びっと、驁広へ命令し、碧珠まで駆け付けてくる前に、碧ごと空間転移させた。
またガラスの割れるような音がした。
__ん、部屋じゃない⁉
夜目は効いている。碧はすぐさま覇力を練り、辺りを見渡す。
草原にいる。灯りは見えない。
仲間がいる。麗亜、妖美、山忠である。
刺客もいる。三人である。人数なら勝っている。
「場所を変えた」
ショートヘアの刺客が言い、麗亜が事態を呑み込み動揺しつつも覇能詞を囁き始める。
碧は相手を観察する。十代にも見え、麗亜と大差ない小柄であり、眼は優しそうにすら思える。しかし構えてもいないのに隙がない。後ろにいる男はなぜかびくついているが、同じく小柄なポニーテールの女は鋭く眼を光らせている。
__どんだけ使うんだろ……ちゃいちゃい哪吒ちゃんとかなら、佇まいだけで分かったけど……ん、それよかだ。
「なんで」
「声出さないでって言ったのに、人呼ぶからさ」
「ん、声は出しとらんよ、ってそこじゃないし」
踏み出し覇玉を光らせる。
「暗殺すればいいんに、わざわざ一騎討ちみたいにするって」
「あぁ、戦ってみたいからだよ」
なぜだか納得できた。
奮えてくる。母の万能治癒を受け回復しきっている。麗亜に囁かれる。
「大将軍に念話したよ、来てくれるって。まずは場所を割り出しなって」
「ん、みんな、それまで粘るよ」
「「おう‼」」
「鎧仗顕現『碧鎌』」
__どうする。よけるか、鎧仗して弾くか、絡め取るか。
「鎧仗顕現『殴丸』!」
「鎧仗顕現『彗星』!」
「鎧仗顕現『闇獄』」
びっと、碧は鎖鎌を投げ付ける。
__どれされようが最低でも一瞬は足止めできる。
左からは大杵を振りかぶる山忠が突進し、右からは太刀を引っさげる麗亜が疾走し、正面からは一拍あえて遅らせる妖美が接近する。先手必勝、優位はいただく、そう思った。
どれも選ばれなかった。
ショートは前進しながらかわし、妖美を跳び越え蹴り付けてくる。
__ん、素の力で大の男を跳び越える⁉ 覇力甲か。
跳びすさるが、鎖鎌を回収する暇もくれずに殴り込まれ、とっさに掌で受けるも肉が潰れ骨が割れ腕が痺れ、ごっと、抗いようもない風圧に巻かれ吹き飛ばされる。本能的に察する。無理をして着地すれば脚が砕け散る。だが地面へ叩き付けられれば体が粉々になる。
「碧ちゃんっ!」
「超魂顕現『碧巫飆舞』」
歯を喰いしばり風を背後へ集め、衝撃をうち消し着地する。
目と鼻の先にショートの拳が映り込む。
しゃがんでかわす。打ち抜かれた風の音で分かる、喰らっていれば頭を割られていた、と考える間もなく鋭く蹴り込まれ、転がって逃げるも背をかすめられ、内臓が弾け飛び肋骨に激突するような感覚に奔り回られる。
「かはっ」
「逃げて碧ちゃん!」
__むり、もうかわせん……。
そこへ妖美が追い付いてきて斬りかかり、受け流され柄を掴み取られるが早いか脇腹を蹴り付けられ、防いだ腕の鎧を砕き割られ体勢を崩す。それでもショートが片脚で立つ好機を逸さず、その脚を蹴り返して追い払う。
「もはや美しいほどに強いね」
「ん、でったらめなんだけど」
「ごめん! 怪我は酷いの⁉」
「……無問題」
どうにか碧は起き上がり、駆け付けた山忠と麗亜に守られる。
眉一つ動かさぬショートに対し、碧は掌と背に激痛を抱える。
差が恐ろしい、接近されれば反撃するどころではないと悟る。
「碧どん、空中に離れるべよ」
「ん、そこまで跳躍されるかも。離れすぎたら、わーが狙いにくいし」
ショートが向かってくる。
山忠が真っ向から迎え討ち、かいくぐられ腹を殴り抜かれる。
「ぐええっ!」
「きえーっ!」
鎧を砕き割られ崩れ落ちる山忠の陰から、大上段、麗亜が太刀を叩き込む。
__よけるはず。よけて体勢の乱れたとこを狙う!
麗亜が後ろへ回られつつ手刀を打ち込まれ、背の鎧を砕き割られ倒れ伏す。
「くそっ」
碧は撃つために集めた風を自身を巻き上げるのに使う。
ショートはよけた。読み通りだった。しかし動きが速すぎて狙えなかった。山忠と麗亜の犠牲を無駄にしてしまった。案の定、跳躍して襲いかかってくる。これまた速すぎて狙えない。
__そうだ、これだ、空中なら!
「二つ目・旋風の舞」
唸り上げ、三六〇度を高速回転する暴風へ呑み込んだ。
「鎧仗顕現『鏡刃』」
切り裂かれた。
どうだとばかりにポニテに言われた。
「そんな薄っぺらい力じゃ防げないから、さあちゃんの薙刀は」