百二 大将軍カン・イシク
碧は勝った。
一兵卒にして将軍を討ち取った。
しかし理解している。討ったなら打てば響くように決断せねばならぬと。
「逃げるよ!」
「逃がすな斬れ、我が君の仇を討つのだ!」
紙手裏剣に斬り裂かれた片目を気にも留めず、霊牙が鬼の形相で襲いかかってくる。全身全霊を賭してしゃがみ、刃をかわすや風を集めてぶつけ、放り飛ばしながら身をひるがえし、出口を目指し駆け込めば、虯首が鬼の形相で立ち塞がってくる。
「超魂顕現『青毛獅子』!」
青い獅子が出現し通路に詰まり、閉じ込められる。
「きえーっ!」
空色に輝く剣圧をほとばしらせ、麗亜が朱いどしゃ降りを呼び道を開く。
碧は覇術を解き、麗亜らに守られひた走る。もはや覇力は使い果たした。
虯首が斬りかかり、霊牙が追いすがってくる。上級武官・烏雲も現れる。
「美しい身どもも現れたよ」
ぱっと、麗亜の顔が輝く。
びっと、妖美が跳び入り偃月刀一閃、敵兵まとめて壁へ叩き付ける。屈強なる烏雲が振り向きざまに風を唸らせ打ち込むも、妖美は眉一つ動かさず打ち返し、鋭く踏み込み、斬り付け斬り上げ斬り込んで、完全に封じ込めてみせる。
「きえっ、きえっ、きえーっ!」
すかさず麗亜が剣圧を連射し、霊牙や虯首を打ち払う。
無我夢中で走りに走って駆け上り、碧は中庭へと飛び出した。
少しばかり時を遡り、姜桓楚が役所へ突入した頃。
五メートルある鉄棍が唸り、神威が奔り打ち返す。
「遼東城はもう落ちるぜ、皆を逃がしてやらんのか」
「皆言うぞ、一人でも多く道連れにし果てるとのう」
「何を企んでおるかは知らぬが、そなたは逃がさぬ」
鋭く落雷がほとばしり、弾く神威が渦巻いていく。
最高武官たちの戦いは燃えたぎる熱を帯びていた。
「無駄。逃げてやらんでの」
大将軍《大武神》姜以式。
高句麗界〈三火烏〉にして齢八一、身長一八三、体重八四。
白く豊かな髭をなびかせ、青い薄片鎧に青藍のマントをひるがえす。
青藍色に輝く霊気を高密度に圧縮して放つ神威を纏い、突撃し斬撃する。
「ならば潔く討たれよ」
大将軍《雷帝》聞仲。
黄華国〈五龍神将〉にして齢六七、身長一八五、体重九二。
黒く整った髭をなびかせ、黒い明光鎧に雷の黄色い翼をひるがえす。
鬱金色に輝く雷を双鞭へ纏い、天を翔け黄色い雷を放つ雷獣を使役する。
「せめて最期を熱くしてやるぜ」
大将軍《鎮国武成王》黄飛虎。
黄華国〈五龍神将〉にして齢五四、身長二一九、体重一六一。
黒く豪快な髭をなびかせ、筋骨と獣脚を晒し黄色い翼をひるがえす。
雄黄色に輝く覇力甲を纏い、体のあらゆる部位を強大な武器へ改装する。
黄飛虎が突進する。
「無駄。とうに熱うてたまらんからの」
姜以式が神威を竜巻とし叩き付ける。
黄飛虎が鉄棍を振り抜いて蹴散らせば、振り抜いて空いた懐に姜以式がいる。
老雄の偃月刀がほとばしり、黄飛虎がとっさに胸を変化させた盾が砕かれる。
「大高句麗を建てたいからじゃ」
偃月刀に神威が湧き起こり、黄飛虎が吹き飛ばされる。
ばっと、老雄は振り向き、聞仲の打ち込みを打ち返す。
「老雄よ。聴かせてもらおう」
聞仲の鞭より雷霆が生じ荒れ狂い、老雄の刃より神威が生じ荒れ狂い、轟音を連打し空間を焼けただれさせ、青藍と鬱金が絡み合って弾き合う、光る柱を突き上げていく。
柱が昇り去った跡には、開眼者たちが向き合っていた。
聞仲が問う。
「何故そうまで高句麗へ固執する」
「わしはのう、高句麗国を知る最後の世代なのじゃよ」
姜以式は天を見上げる。
「高元という大王を知っとるか」
高元。
開京国と黄華国から雪崩れ込んでくる大軍勢に挟まれながら、命尽きるまで同胞を鼓舞して戦い壮絶に散った、高句麗国の最後の王である。
「名は知っておる。仕えていたのか」
「うむ……我が命そのものじゃった」
そこへ直上より、黄飛虎が巨大な鉄鎚を叩き込む。
ごっと、姜以式は爛々と神威を圧し固めほとばしらせ、粉々に砕き割る。
「高句麗が滅びた時、わしは十七の初級武官でのう、愛する国と運命をともにする覚悟で戦ったのじゃが……大王陛下がのう、わしなんぞをお庇いになって貫かれたのじゃ。そして仰ったのじゃ……生きよと。生きて! 高句麗民族の魂を! 生かせ! 紡ぎ続けよとのう!」
かっと、老雄は眼を見開いた。
「わしは高句麗を託されておる」
そして黒目を真紅へ染める。三足烏が翼を振り残像を描くように、中心から黒く四枚を回らす紋を浮き出させる。中心を青藍色に溶かし、青藍色に縁取り、白目も青藍色に薄める。
紅真虹覇力眼である。
開眼者がこの眼を魅せる時、その覇力は上限を淘汰する。
眩いばかりに青藍が爆ぜ、唸り逆巻き立ち昇り、巨大な何かを形どっていく。
「高句麗火烏」
高句麗民族を象徴する霊鳥、三足烏である。
「高句麗を想うあまりのう、自然種のごとき奥義を編み出してしもうてのう」
高句麗軍の皆が天を見上げる。抑えず落涙する者も少なくない。
高句麗界の生ける護国神の愛の結晶が、蒼穹へ翼を広げている。
高句麗火烏が翔け抜け、雷獣をはたき落とす。
「高句麗飛鳥」
高句麗軍の喊声が湧き上がるなか、姜以式が青藍に光り輝き飛び出す。
「高句麗から去れ、高句麗を邪魔するな、高句麗に畏れおののけえっ!」
高句麗界の大長老は神威を固め自ら三足烏の翼を生やし振り抜いて、天を突っきり黄飛虎を打ち落とし、翼をさばき滑空し翼をたたみ偃月刀を振りかぶり、雷霆と化し聞仲へ襲いかかる。
「雷霆よ、あれ」
本物の雷霆が天をつんざき、姜以式を撃ち落とした。
東壁を跳び出し、身長四〇メートルに及ぶ巨人《馬頭》牟頭婁が急斜面を駆け巡り、甲長八〇〇メートルにも達する亀の下半身を液状化し回転させる《玄武》蘇護の隙を探っている。
だが抑えるだけで手一杯である。
南壁を飛び出し、翼開長一〇〇メートルに及ぶ三足烏《烏巫堂》皇甫碧珠が神風を呼び起こして翔け抜け、翼開長三五〇メートルにも達する燃ゆる鳥を飛ばす《朱雀》火霊、体長二五〇メートルにも達する龍を飛ばす《青龍》竜吉、体長七〇メートルに達する火龍を九頭も飛ばす《毘沙門天》李哪吒を翻弄している。
だが抑えるだけで手一杯である。
南壁は《南伯侯》鄂崇禹に攻められている。
西壁は《西伯侯》姫昌に攻められている。
北壁は《北伯侯》崇侯虎に攻められている。
いずれも体高五〇メートルに達する麒麟を使役し、それぞれ武官と兵隊を率いるが、迎え討つ高句麗将に髄醒使いは一人もいない。
そして、覇術を使えば体高一〇〇メートルにも達する虎を操ることのできる《白虎》崇黒虎が城内を走り、碧を討たんと捜索している。なんとしても碧が姜桓楚を討つまで役所へ踏み込ませまいと、高句麗兵が勇気を奮い起こし、命を散らせて阻み続けている。
ぎっと、姜以式は歯を噛みしめた。
愛する輩を援けるどころではない。
聞仲が雷獣に撃たせた雷は、戦闘慣れしたうえにも戦闘慣れした姜以式をして、反応すらできぬほどの速度でほとばしってきた。
朦朧とする。
神威を纏っていたとはいえ、落雷の直撃を受けている。炙られている。意識を失うまいと踏ん張りどうにか着地したものの、自分が立っているのか倒れているのかさえ分からない。
ざっと、それでも気張り跳びすさる。
「まだ動けるか……その老体で」
次なる雷を撃ち込まれていた。
「無論じゃて。それに来ると分かっておれば備えられるわい」
「ならば無駄撃ちはせぬ、まずはかわす体力を削っていくぞ」
聞仲が向かってくる。黄飛虎も飛び込んでくる。
姜以式は白んで永い髭をしごく。
「かようなところで負けとれるかい……どれだけ待ったと思うとる」
すっと、意識が冴え渡っていく。
二振り、青藍に眩く神威を噴き出し、五龍神将を二人一気に薙ぎ払う。
「高句麗じゃ」
それは姜以式の人生の全てである。
「高句麗じゃ」
それを想えば老いも痛みも失せる。
「高句麗じゃ」
それのためなら無限に戦い闘える。
「まっこと永かった」
ごっと、青藍に輝く気流を立ち昇らせていく。
遼東城が震える。否、奮える。高句麗軍の眼をことごとく集め瞳を潤ませ、民族の長老は使いに使って使い込んだ偃月刀を振りかぶる。
「もう、いい加減に結実させたいんじゃよ」
青藍に爆ぜる上昇気流が青藍に眩い三足烏へ突っ込み合体し、民族の象徴が高くいななき、巨翼をうち広げうち下ろし、まっすぐ雷獣へ組み付き押し込み、轟々と蒼穹を突き進む。
「これだけ離せば、雷を撃とうが届くまい」
「確かに射程圏外、ならば舞い戻らすまで」
聞仲は雷獣に放電させ、ゼロ距離で三足烏を炙らせる。
「効かん。喝!」
白刃一閃、偃月刀を大きく振り抜き、青藍にぎらつく神威の凝結する剣圧をほとばしらせ、空間を薙ぎ払うように聞仲を狙う。
「よけれまい」
よければ剣圧は黄華軍の陣営へ炸裂し、将兵も物資も兵糧も灼き払われるからである。姜以式の計算通りである。髭をしごいて二閃した際、本命のこれを放つ時に聞仲がよけられなくなるよう、陣営の前を目がけ彼を突き飛ばしていた。
そして雷獣と引き離した。
召喚種の弱点は、召喚獣と離された際、自身は攻撃手段を有さない術者が無防備となる点にある。
「大武神の名は伊達ではないな」
聞仲は鉄鞭へ覇力甲を圧縮し剣圧を迎え討つしかない。
だが剣圧の速力は満足に圧縮させる時間など与えない。
加えて空中に浮いた状態の聞仲は踏ん張りが効かない。
「しかし甘い」
がっと、聞仲が言うが早いか黄飛虎が翔け付け、巨大な鉄鎚を叩き込み剣圧を踏み潰す。
「と言う方が甘いわい」
ごっと、姜以式は同様に咆哮する剣圧を連撃する。
二撃目で鉄鎚にひびを奔らせ、三撃目で粉砕する。
唸る四撃目で、生み出る盾ごと黄飛虎を撃墜する。
「終いじゃ」
轟く五撃目で、老雄は敵総大将を叩っ斬った。