九五 孫悟空のライバル
「髄醒顕現『天翔翼水晶鳳』」
六角柱に次々と結晶しながら体表を埋め進み、一つ一つが家屋をも貫き通す水晶を無数に伸ばし、あたかも晶洞を築き上げるかのようにして、ハクトウワシの鳥人である鷲朧が巨大化し、四枚の翼を引き上げ十本の尾をなびかす鳳凰となる。
頭と首は白いミルキークォーツ。
鉤爪は透明なロッククリスタル。
尾の先は緑色のプラシオライト。
胴と腿、翼の表上から一段目は茶色いスモーキークォーツ。
腹と尾、翼の表上から二段目は黒いカンゴーム。
嘴と脚、翼の裏上から一段目はレモン色のアベンチュリンクォーツ。
翼の裏上から二段目は黄色いシトリン。
三段目の雨覆羽は、紫色のアメジスト。
四段目の風切羽は、桃色のローズクォーツ。
これら水晶を一つずつ鶏冠に頂き、赤いストロベリークォーツの眼を光らせ、翼開長、実に三五〇メートル、どうして浮かべるのかと驚倒される大きさと重さをもって飛翔し、胸へ沈めて守る覇玉を弁柄色に光り輝かす。
敵味方ことごとく注視させながら、そびえる岩山を横切っていく。
「山じゃと⁉」
樹呪が声を裏返らせんばかりに驚呼した。
「うぃー、あんなデカい物体なかったよね」
察して義虎は舌打ちする。鷲朧が山を向き警戒する。煌丸も緊迫する。
にわかに山が出現した。振動も音もしなかった。意味することは一つ。
強力な覇術を使う何者かに狙われている。
「梅山という火山じゃ」
きっと、義虎は姜子牙を振り返る。笑っている。
「うぃー、やっぱ? 梅山と言えば《二郎真君》こと二郎神」
「おい。おい。おい。ざけんじゃねえぞ、こっちぁ間諜放ちまくって入念に確認したんだぜ、黄華将は十二人で来たってよぉ。奴ぁ領地に残ってんだろぉがよ、馬ぁ飛ばしても半月はかかる距離だぜ」
山を睨み据えたまま、鷲朧が翼をもたげる。
「初めから、密かに参戦しておったと言うか」
「ご名答」
敵味方ことごとく仰天させながら、かぐわしいほどに低く湧き上がる声音が答え、わずか五音をもって、こだまさせ染み渡らせていく。答えたのは、山そのものであった。
義虎から冷たい汗が滴っていく。
将軍《二郎真君》楊戩。
齢二九にして、黄華国において最も大将軍に近い俊英である。
__そしてあの《斉天大聖》孫悟空にライバルと認められる。
かねてより楊戩については調べてある。
__この静寂が畏ろしい……。
かつて、悟空は山賊であった。
悪さばかりし、あげく地元の領主を討ち取ったので、黄華朝廷は討伐軍を差し向けたが、完膚なきまでに蹴散らされた。そこで代わりに出陣したのが、当時十八歳だった楊戩である。ちょうどこの時、奴隷兵であった義虎が密偵として黄華国へ潜伏していた。
義虎は戦を見物しに行った。
神々の競演だと凍り付いた。
武力は互角だった。智力は互角だった。覇力は互角だった。
さんざん化かし合い、追いかけ合い、大地を破壊し合った。
戦いの果てに意気投合し、悟空は罪滅ぼしのため出仕した。
二人の使う覇術は酷似している。
悟空は七二種に変化する。同時に七二本まで毛を抜き、分身として扱える。
楊戩は七二種に変化させる。同時に七二人まで人を選び、分身として扱える。
__されど二郎神には制限もある。
まず、あらかじめ覇玉と覇玉を近付け登録した者しか選べない。
また登録者は、楊戩がすでに変化した対象にしか変化できない。
そして楊戩は、接触する事象と関連するものにしか変われない。
すでに化けた身で化け直す時、一瞬、実体化するのも免れない。
悟空もそうだが、一個体が重ねがけして化けることもできない。
ごっと、義虎はマッハで頭を回す。
__太公望軍はことごとく登録済みでしょうが……。
「うぃー、鷲王さま」
__世界種だし霧は緑系だし、モヒカン極道の覇術で無効化できるよ⁉
「そのまま山を覆い込まれよ! モヒカン極道は太公望を頼む、最速で」
義虎も最速で白鶴へ斬りかかり、武器や体を合わせぬよう畳みかける。
__だが何してくるか分からんから、最速で。
「勝さん、山から太公望を視認できんくしな」
「さすが悟空が認めるだけあるが、手遅れだ」
梅山が柳緑に光り輝く。
「熔遁、変われ。水遁、変われ」
山がことごとく熔岩へ変わり、水晶の鳳凰を呑み込み押さえ込む。
「風遁、変われ。火遁、変われ」
天に巨大な業火が燃え上がる。
「いかん、モヒカン極道、君の霞が蒸発させられる!」
「んだとぉ⁉」
「風遁、変われ」
姜子牙が消えた。
大和将が声を失う。白鶴も消える。黄華将も消えていく。
ぎっと、義虎は歯を噛みしめる。
「「風遁、変われ‼」」
何もない空間から声がこだまする。姜子牙や白鶴らの声である。
黄華兵が消えていく。声はこだまし続け、兵は消え続けている。
__おのれえっ。
楊戩の霧は周回し、熔岩とともに現れた噴水を通り水分を補っている。
それを除き、煌丸を含め、世界種使いはことごとく霞も霧も奪われた。
よって楊戩のみが世界種を使える。
__二郎神を討つか脅すかして覇術を解かせねば……。
脅すには側近を捕えるしかない。彼は部下想いである。
義虎は看破した。
楊戩は少なくとも二人の側近を連れている。
煌丸を無力化し姜子牙を救出するより前に化けたなかで、熔岩、噴水、業火が同時に存在したからである。
おそらく、煌丸の霞を奪うことで自身の霧が効力を発揮できるよう、楊戩本人は後で火遁を唱えるために熔岩へ化けたままでおり、霧を維持するために一人目の側近を噴水へ変えて加湿させたうえで、二人目の側近をまず風へ変え、煌丸の霞が届かない上空へ昇らせ、そこで業火へ変えたのだろう。
風に変える。これが厄介である。
__もはや太公望は討つは至難。
姜子牙らは体を気化させ、攻撃できなくなる代わりに攻撃されなくなっている。そして思うように逃げられる。おそらく楊戩本人も、大和軍の索敵範囲外に駐屯しながら姜子牙の念話を受け、風遁を使い駆け付けてきたことだろう。
__されど義虎の方が速い!
まだ希望はある。
__風遁さえ消えれば千里眼視して追い付く!
「鷲王さま、たぶんそのマグマが二郎神です、討滅されよ!」
「おう!」
「相手の消えた大和軍はことごとく、水だけ狙い討滅せよ!」
「「おう‼」」
__されど討滅しきれんだろうから……。
いざとなれば風に化け逃げられるだろう。
狙うはその『いざ』が生じ、風遁を唱えてくる数秒である。
化け直すため実体化するのは一瞬だが、唱える間に近付く。
髄醒覇術であれば奇襲できる。だが残る覇力では使えない。
__イチかバチか超魂して決める。
倹約せんと、義虎は覇力をことごとく解き、噴水へ歩み寄っていく。
そのそばで、鳳凰と化した鷲朧と熔岩と化した楊戩が格闘している。
鷲朧の翼が変色する。
水晶の性質によるものである。熔岩の温度は一〇〇〇度を前後するが、アメジストは四五〇度ほどあれば黄色く変色しシトリンとなる。
「黄水晶・稲交接と閃き奔らん」
二倍以上に増えたシトリンを刃とし、鷲朧は熔岩を切り裂く。
切り裂くや脱出し蒼穹へ昇り、巨大な翼を掲げ先端を光らす。
「紅水晶・桜吹雪よ盛り舞わん」
翼を振り込み、一つ一つが家屋をも貫き通すローズクォーツを射出する。
「煙遁、変われ」
熔岩が黒煙となり、水晶弾はすり抜け地面へ突き立つ。
「幽霊水晶・生めや紫」
ローズクォーツを囲いアメジストが結晶する。
黒煙はその周りを漂っており、接触している。
回避したものと油断する楊戩の意表を突いた。
成長を止めた結晶の上に新たな結晶が育ったことで、水晶の中に幻影のようにして別の水晶が見えるという、ゴーストクォーツを運用した技である。
「紫水晶・御稜威に群ら咲かん」
アメジストへ触れた煙が重量を増し、沈殿していく。
「檸檬水晶、硫黄を撒き清めん」
「氷遁、変われ、戻れ」
煙は微細な粒子が集合してできている。鷲朧はアベンチュリンクォーツをふり撒き、地面へぶつかる衝撃で割り、内部に含む硫黄をばら撒き、それら粒子を毒そうとした。対して楊戩は、硫黄と聞いて即座に強烈な冷気へ化け、漏れ出た硫黄を急速に冷やし結晶させた。
「鉱石化させてもらった。これで害はない」
そして武将の姿を現した。
引っさげるは、きっさきが三つに尖る剣に長い柄を付けた、二郎刀。
髄醒状態ながら、額に第三の目を開く以外、超魂状態と変わらない。
上官だった姜子牙を敬慕し、着込む明光鎧は唐茶に塗り込んでいる。
そして柳緑に染めた布を背から前へまわし、両の肩から上腕へかけて覆い、腹部まで下ろし縛って構える。
「初めて見る布の使い方よな」
「梅山の地ではこうするのだ」
すっと、楊戩は二郎刀を掲げ、水晶の鳳凰を指して光らせる。
「さて次はどう攻めてくる。私は水晶の巨人にも化けられるぞ」
「超魂顕現『鉄刃戦紅』」
楊戩も、鷲朧も、天の業火へ飛ぶ侍を振り向いた。
「鎧仗顕現『鉄刃』」
噴水が消えていた。
「うぃー、熔岩から黒煙と熱い系できといて、いきなり凍るとか立腹せざるを得んイケメンだね? ずっと水に触れながら戦っとったか」
「備えあれば患いなしと言うだろう……そなたこそ立腹させる」
ぎっと、楊戩が睨み付ける。
「部下を放せ」
かっと、義虎は眼を見開く。
「放してほしくば覇術を解け」
楊戩が鷲朧と戦い手が離せなかった間に、噴水は集団リンチされていた。
始祖鳥、アノマロカリス、そして一〇〇羽のカラスにごぶごぶ飲まれた。
突っ込んでくる木々の根に吸われ、木の形をした熔岩に蒸発させられた。
さらに煌丸までやって来て、水分を利用し霞を復活させようとしてきた。
焦った噴水は、風へ化けて逃げ場所を変え、再び水へ化けようと考えた。
張伯时という初級武官である。
大将軍《猛虎》は見逃さなかった。
実体化した張伯时へ飛びかかり抜刀し、喉もとへ刃を突き付け抱え上げ、業火へ接近し彼を覆う楊戩の霧を蒸発させ、化けて逃げられないようにした。
義虎は怒号する。
「迷うところか、部下の命を守らぬか!」
楊戩は砕けんばかりに歯を噛みしめた。
張伯时は静かに眼を閉じ、そして見開いた。
「我が君、解いてはなりませぬぞ! 偉大なる太公望さまと多くの将兵の命が懸かっておるのです、私一人の命などとは比べるべくもございませぬ! それに私めが足を引っ張り、敬愛する我が君が忠義と大業を成し遂げるのを妨げたともなれば、死んでも死にきれませぬ……」
「早まるな、まだ方法があるやもしれぬ!」
「そうだ考えよ、君も生きるを諦めるな!」
「黙れ匹夫が!」
がっと、張伯时は太刀をわし掴む。
「我が君、お仕えできて幸せでした」
「待て、伯时いーっ!」
そして、義虎は人質を喪った。