九三 千里眼視、視力強化、自己再生
『野菜去る 武士の征く 覇道より』
煌丸は色を指定して詠み、その色を有する事象を支配する。
「だぁが。色名ズバリ詠まにゃなんねえ、たぁ言ってねえぜ」
野菜と詠んだ。
さまざまな色を有する植物が野菜と分類される。
にっと、義虎は姜子牙を指すきっさきを光らす。
「茶、緑、黄、橙、ことごとく含むよ?」
義虎は読みきった。
姜子牙の畜生道の霧は唐茶だが、同じく弾くべき霧が三つくる。
「ほほう、我が策を見抜いておったか。じゃが何故に存じておる」
羽扇を掲げ指し返してくる。
「畜生道の外から〈野菜の罠〉を張る三将が、いかなる色の霧を広げるかを」
「うぃー⁉ 正式名称も野菜なんだ」
野菜の罠。
山葵色の覇玉を持つ中級武官・楊任。
辛子色の覇玉を持つ中級武官・辛甲。
鉛丹色の覇玉を持つ上級武官にして姜子牙の義兄弟、宋異人。
今回お披露目された三将の合作である。
楊任は、霧の色や敵の姿といった景色を誤認させ、辛甲は、どれだけ戦っているかという時間感覚を誤認させ、宋異人は、それらを訝しむはずの違和感をないものと誤認させ、煌丸の率いる五〇〇〇を全滅する寸前まで追い込んでみせた。
もはや、はまれば勝てる。
姜子牙はこれを再び仕掛けようとしていた。
草食獣を人間化させられた際の備えとして。
よって覇術を使う三将は畜生道へ入らない。
そこから内へ霧を流し込み、大和軍を覇術領域へ入れ同士討ちさせる。
つまり義虎たちは、流し込まれる霧さえ弾けば罠に嵌まることはない。
それができないはずであった。
霧の色を誤認するからである。
そうさせるため、姜子牙はあらかじめ楊任にだけ覇術を発動させていた。世界種では、覇術領域を広げれば広げるほどに、効果が薄まるのに比例し霧や霞も薄まっていき、敵に察知されにくくなる。これを運用し、草食獣が並び立っていた範囲には、初めから視認できないほどに薄めた霧を満たさせていた。しかし、わずかでも見える景色を変えれば、手応えの差異から違和感を抱かれてしまう。故に、霧だけ出させ効果は現わさせなかった。
姜子牙が危惧すべきは、大和軍を殲滅する前に楊任が覇力を切らすこと、それのみで足るはずだった。
「何故に正しい色が分かるのじゃ」
「うぃー、最高機密に決まっとるでしょ?」
義虎はこれまで、遥かに離れた白頭山や関弥城へ高速で的確に移動した。同じカラクリである。
__千里眼視できるなんてね?
義虎は椅子へ仁王立ちし歌いまくりたい。
紅茶オレで乾杯し一気にがぶ飲みしたい。
寝っ転がって愛しの学術書に埋もれたい。
__これだけ読み合って読み勝ったんだよ、そんぐらいせんとでしょう?
今回の作戦は三つの覇能によって成功した。
まずは千里眼視である。
望遠鏡のような役割を果たす。
義虎はこれを使い遠望し、姜子牙の居場所および布陣を探った。ほとんどの草食獣が陣に加わらず、野放しにされているのも見付けていた。揃いも揃って包囲しに集ってくるとまでは考え至らなかったが、誤算はこれ一つであった。
肝心要、草食獣が人間化した場合に備え隠しているであろう戦力も探った。二択であった。後方に肉食獣の軍勢を潜ませているか、野菜の罠を担う武官らを待機させているか。前者が見付からなかったので後者を疑い、畜生道の外まで見渡し発見した。
次いで視力強化である。
顕微鏡のような役割を果たす。
千里眼視しながら重ねがけし、宋異人らが持つ覇玉の色を見定めた。
最後に自己再生である。
これは煌丸が使用する。
彼は覇能を隠している。
読んで字のごとく、自らの覇力や体力を回復し、傷や病を治す覇能である。有していると知られなければ、使いどころ次第では一騎討ちにおいて切り札となり得る。そこで煌丸は、初陣する以前から今日へ至るまで、味方にさえ、自分の覇能は神経強化であると偽ってきた。従って、多くの諜報員を放っている姜子牙といえども知らず、備えられなかった。
義虎は煌丸が好きになった。
__愛する舎弟たちを救うためとはいえ、いずれ殺し合う義虎によくぞ明かしてくれた。
義虎は明かしきっていない。
『人体改造しとるから覇能いくつも使えるんだよ? 例えば千里眼視』
ここまでしか言っていない。覇能は一人に一つである世の中において、視力強化と空中浮遊を除いてなお、亜空間袋を含め三つも使えることを隠匿している。
__許してね? ダイオウイカと約束したから。
ダイオウイカの狂科学者《鵺》薬畑慈新斎。
彼にはとある悲願がある。
達成するため、例えば、どうすれば他人の覇玉を使えるかと実験している。
義虎は勇んで実験台となった。
__あれは今を遡ること十年前、左目が腐り堕ちた時のこと……。
『覇玉ジャマじゃん、眼球なくなったから代わりに入れとけんかな?』
『きししし! あ舌噛んだ』
『うぃー、噛む舌あるん?』
聞こえていないのか、慈新斎は触手を振り乱し狂喜乱舞した。
にわかに停止した。
『よく聞きたまえ小僧。体積比にしてェ、大海原に対するミジンコ一匹分程度であれば同情する余地を見出してやるも不可能ではない、キミのあさましき本願を特別に成就させてやろうとすれば、ある物理的な問題が発生することは理解しているだろうねェ、そうだ、覇玉は眼孔よりも小さい。穴より小さな物体をそこへ固定し、激しく運動する間も維持する手段となればァ、疑似的な眼球を生成することでェ、あるからして、覇玉はその内部へ埋蔵されるものでェ、あるからして、せっかくならば覇玉が半永久的に接触する物質には特上の素材を採用すべきでェ、あるからして、今こそ画期的かつ芸術的および神秘的なるこの提案を試行せざるを得ないわけだねェ』
『ちょっと何から突っ込めばいいか分かんない』
スルーされた。
『よく見たまえ小童。これなる模式的な渦巻く大便型フラスコに細心の注意をもって保管されたるは、麗しく澱んで潤うとある半固体物質です。キミへ求めるは、これを凝固させ眼球を生成することへの同意、それのみです。正体を知りたいか当然だ。好奇心より生まれいずる探究心こそ、知的生命体を絶えず学習させ研磨させ進化させ高度な文明を創造させるものでェ、あるからして、ワタシは科学を進歩させ社会へ貢献すべく善意による合意をもって、提供し、あるいは借用し、三つの覇玉を用意した。用意したのだ』
『覇玉を三人分?』
にやつかれた。
『よく考えたまえ小倅。それらを浸水させ三日三晩かけ懇切丁寧に電解し、保有する性能を摘出し混合し生誕せし叡智の結晶こそがこれ、命名して〈高純度ゲシュタルト交感類タンパク質的デオドラント蝋性クリーム〉さねェ!』
修飾しすぎだと思った。
『うぃー、要はその高純度・以下略クリームを装着しとれば』
生物としての心を蘇らせたばかりの奴隷兵・鉄は高揚した。
『俺は覇玉を三つ使える』
『そうとも同意するかね』
『ウェルカムらっしゃい』
拒絶反応があるだろうと察していながら、説明するよう求めなかった。施術して一月あまり、常に立っていられないほどの頭痛に悩まされた。そして、どの覇能も三〇秒かけ念じなければ使えず、覇術に至っては一切もって使えないことが判明した。
しかし、即答したことを微塵も後悔しなかった。
義虎は五つの覇能を使いこなせるようになった。
全てが戦と社会を勝ち残るため欠かせなかった。
__太公望に勝つためにもね?
「終わらすよ」
どっと、義虎は翼を畳むや突貫する。
「げははは、モチのロンだぜゴルァ!」
煌丸と並走し、姜子牙を守る最後の肉食獣を目がけ、尖刃を振りかぶる。
__勝さんに乗せてもらって少しは休めた、もうひと踏ん張り、戦える。
すっと、ツルが舞い上がってくる。びっと、鉤爪を突き込まれ回避する。
__うぃー、速っ。
「二手に分かれっぞ、空中は俺さまがやる」
「地上は任せな、じき鷲王さまらも来るし」
コンドルが突っ込んでくる。
こちらも突っ込み、衝突すると見せかけ前進しながら横へかわし、振り向かずに尾を唸らせ、離れる前に背を打ち据え突き飛ばしつつ、着地するやいなや突進する。
周りの状況はどうか。
ツルを攻める煌丸へ、フラミンゴ、ハヤブサが向かっていく。
動物化が解けたばかりの鷲朧らは、意識が瞭然とせずまだ動けない。
姜子牙はハクチョウのみを傍へ残し、まだ動かない。
__おっと見付けた!
義虎には、ヒョウ、ホッキョクグマ、ワニ、アナコンダ、トラが立ち塞がる。
がっと、牙で刃を受けられつつもヒョウを殴り伏せ、ホッキョクグマが唸らす欧撃を掻いくぐり獣脚を突き出し、あばらを蹴り抜きワニを巻き込み突き崩し、鱗の固まる翼を盾にし、突然一瞬にして喰い付いてくるアナコンダを弾き、尾を振り抜いて頭蓋を打ち抜き、またもワニを巻き添えにし転げ出し、嬉々として向かっていく。
トラへ。
「どちらが本ものの虎か決めようぞ⁉」
ぐっと、指を絡め無造作に鳴らし、手首へ浮き出る血管を張り詰め、腕に隆起する筋肉を凝り固め、偃月刀は使わず、覇力甲も使わず、みなぎる闘争心を剥き出し吠え抜き、鉄拳を叩き込む。
トラは眉間を潰され絶叫し、猛虎は歓喜し絶叫した。
姜子牙が笑った。
畜生道が消えた。