壱 ホウキボシ
少女の墓前。
斜陽を背負い、やつれた戦人は墓石へ伸ばした手を引っ込める。
かっと、眼を見開く。ばっと、赤い陣羽織をひるがえし振り返る。
「我こそは! 大和国大軍師、大将軍《猛虎》空柳義虎なり!」
敵兵が来た。
時は戦国。剣戟と戦略と異能がせめぎ、少女が愛した国は列国に侵され滅びかけている。
彼は戦人。かつては生きるためだけに戦い、少女らと出逢い国と己を取り戻すために闘い、今は護りたいものを護るためだけに闘う。
人間という魔物と闘い続ける。
ともに闘った少女を弔い、小さな墓石を家のように積んだ野草の丘へ、侵略者たちが大挙してくる。槍をぎらつかせ鎧を鳴らし、目を血走らせ駆け上がってくる。叫んでくる。あれだけ死闘した直後だ、もはや〈覇術〉を使える気力はあるまい、奴さえ討ち取れば大和は滅びるぞと。
義虎たちは必死に抗戦した。
多くの戦友が壮絶に散った。
防衛線は決壊し都も落ちた。
義虎は帝や民を海へと逃がす時を稼ぐため、これより最後の砦へ援軍に出陣せんと、見納めに丘を訪れていた。
その骨ばった肩へ垂れる黒髪は赤黒く傷み、なびかない。奴隷であった昔を忘れまいと着続ける黒い着物や袴は、いたる所がすり切れている。だが大きな隻眼の瞼は下がらない。
「ごめん」
少女へ振り向く。
しゃくり上げたくなる。呼びかければ見える気がする。戦も謀も何もかも忘れさせてくれたあの笑顔が、今もそばにあるように思えてしまう。
「まっだまだ会いに行けんね?」
びっと、振り向きざまに伏せ、目前へ迫る凶刃をやり過ごしつつ、猛然と唸る鉄拳炸裂、気管を穿って転げ落とす。
どっと、土を蹴破り疾駆する。
敵は次々と突きかかってくる。
前進しながら横へ足をさばき、かわし肉薄し殴り伏せ槍を奪う。背後、左右からもくる。鋭く、回って槍を投げ込み、背後を貫き飛ばすや半歩下がり腕を交差し、左の槍を捉え右を貫き、右の槍を捉え左を貫く。
「うぃー、この程度で怯むな」
叱咤した相手は敵ではない、悲鳴を上げる己の体である。
「鎧仗顕現『鉄刃』」
電光一閃、槍衾を砕き散らす。義虎の身へ、赤糸縅に編む鎧兜が現れている。手へ、長柄を赤く塗る偃月刀が現れている。これを握り込み一振りのもとに斬り伏せていた。
覇術という。戦う者なら誰もが会得する異能である。
「覇術が使えんとか、この猛虎を討ち取るとか、大和が滅びるとか抜かしたね?」
敵はうろたえ、だが意を決し向かってくる。
「ちゃんちゃら可笑しいわ」
鋭く、重く、赤く、使いに使い込んだ偃月刀を乱舞させ、遮二無二、猛虎は斬って斬って斬り進む。爛々と眼光をたぎらせ、万々と筋骨を暴走させ、轟々と気炎を噴き上げ、叩っ斬り、引き倒し、砕き割り、打ち据え、蹴り抜き、突き崩し、薙ぎ払う。
「冥土の土産に教えてやるよ?」
びっと、偃月刀を投げ付け、矢をつがえる兵を撃ち抜く。
「義虎より心折れぬ者はおらん」
刃を掻いくぐり、跳んで顎を打ち抜き、別の兵へ跳び移り、両腿で首を挟んで回りへし折り、踏み台にして跳びのき横槍をかわし、腰に差す太刀を抜刀し斬り払い、着地するや上体を伏せ横槍をやり過ごし、足をさばき回り込み斬り裂き、空いた手で横槍を絡め取って斬り上げ、軽く槍を投げ上げ、持ち直し振りかぶり踏ん張って、空気をつんざき投擲し、三人まとめて貫き吹き飛ばし、一瞬で入刀しつつ駆け入り偃月刀を引き抜き、跳びかかる。
「斬る」
斜めに回転しながら斬り倒し、断末魔をこだまさせた。
そして少女へ微笑んだ。
丘へ先行してきた部隊は討ち平らげた。しかしさらなる大軍が迫っている。
「見てな、築いてやる、大和再建神話を。負けても死んでも認められんくても、自分らしく生きんと悔いまくって禿げてしまうもんね?」
ごっと、破格の圧力を拡散させる。
「髄醒顕現『鉄刃空紅戦人』」
姿を変える。真紅の翼を雄々しく広げ、長鞭たる尾をうねらせ、獣の健脚を踏みしめる。さらされた上半身に隆昌する古傷たちが、才なき身にして武士の頂へ降臨せし遼遠の修羅を物語る。留め具に猛虎をかたどる偃月刀を引っさげ、空高くへと舞い上がる。
天乱一〇二年、九月三〇日。
戦人はマッハへ加速、一路、最後の砦へ飛翔した。
宇宙の黒が、絶え間なく爆発する超新星に震えるなか、義虎の紅が、尾をたなびかせ翔け抜けていく。敵の大将が覇術により疑似宇宙を創り出し、砦ごと戦場を囲い込み大軍勢を進撃させ、あらゆる陣地で味方の将兵を押し込んでいる。
「なーはっはっはっは! 我が愛する友たちよ! 我が誇らしき侍たちよ! 我が分身たる虎たちよ! 苦しゅうない見せてやれ猛り狂え、待たせたな猛虎が来たぞ!」
それを大将軍は変貌させる。
「「猛虎‼ 猛虎‼ 猛虎‼」」
「旗を掲げよ貝を鳴らせ鬨を挙げい、いざ猛虎へ続け詠わん、我ら勝つ!」
「「我ら勝つ‼」」
「大和魂いま燃えたぎれ!」
「「大和魂いま燃えたぎれ‼」」
「灼熱猛虎となりて進まん!」
「「灼熱猛虎となりて進まん‼」」
「全軍……押し出せえーっ!」
「「うぉおおおーっ‼」」
気炎万丈。刀を閃かせ、槍で突き崩し、矢の餌食とし、黒地に赤い日輪の浮かぶ国旗〈日の照〉と赤地に黄色い猛虎の吠える軍旗〈猛虎印〉を小隊ごとに堂々とひるがえし、一挙に大和軍は盛り返していく。
ごっと、義虎も超新星を掻いくぐり、宇宙の神へ一騎討ちをけしかける。
「紅色彗星か……」
「美しいでしょ?」
小惑星を撃ってくる。いなし、全力で嘲笑する。
「安心しな瞭然と分かっとるよ、泣くほど吐くほど恥ずかしすぎて穴がなくとも掘って入りたいでしょう、大志に燃ゆる黄華国大将軍《応龍》の名がみすぼらしく泣き伏しとるもんね、やはりこの手の彗星だけは永遠に久遠に悠遠に……」
突貫する。
「捉えることかなわんと見える」
「想い出させないでくれたまえ」
ブラックホールを創造される。
ばっと、真紅の翼を張り上げ急旋回、光をも掴めば離さぬ漆黒の重力を逃れるや、偃月刀一閃、そこへ狙い撃たれた小惑星を両断する。
「美しいでしょ?」
息つく間もなく連射してくる。前進し、必要最低限の動きでかわしていく。視界を埋める惑星を混ぜてくる。突進し、側面を踏んで走り跳び出し突破する。極高温で追いかけるように回り合う巨大な連星を叩き付けてくる。猛進し、瞬間移動するかのごとく隙間を突き抜ける。
「美しいでしょ?」
ゆっくりと偃月刀を掲げ、切っ先へ眼光を奔らせ射抜く。
星を散りばめた漢服を肩肌脱ぎにし、黒い太古の甲冑を纏い、下半身を蛇体とする応龍がそこにいる。
「想い出そうよ、愛しき怨敵よ」
「想い出す幸せを、許してしまってもよいのかい」
「想い出さんといけません。ちなみに足もと注意」
「ん、なんでバラすかな」
釣り目いっぱいに広がる瞳を潤ませ、黒髪をポニーアップにする巫女がほっぺたを膨らます。応龍を狙い、碧色に唸る風圧を放っていた。
「さすがは《風の巫女》鳥居碧、まだ戦えるのかい」
応龍は小惑星をぶつけ風をつぶし、次の瞬間、弾き飛ばされた。
「ん、囮にされた」
紅色彗星がほとばしっていた。
疾風迅雷、猛虎は刹那の隙を逃さず目にも止まらぬ速さで斜めに回転しながら斬り込み、斬撃は防がれつつも衝撃はまともに喰らわせていた。
応龍は四肢がもげるような衝撃に飛ばされながら、偃月刀をかまえ直す。その蛇体がにわかに直角へ跳ね、と思えば垂直に落ち、惑星へえぐり込まされ粉塵を噴き上げる。とっさに距離を取り、天の川の端を流し防壁を築く。
「想い出せば分かるよね」
斬り込み畳みかけた猛虎が、宇宙を白める多様な塵芥を背にしている。
「この義虎も徹し、教え子たちへ叩き込んだ。自分らしく生きんかいと」
碧が指を舐め跳びはねる。
応龍が眼を閉ざしていく。
義虎が紅々と翼を広げる。
「うぃー、どう思う、戦と謀を育て続ける人間社会は依然として腐っとる? 義虎は頷くよ、されど腐った中でも腐らず生きようぜ? でっかいことなぞ成し遂げんでいい、逃げてもいい、己を裏切ってまで取り繕わんでいい。さればこそ」
静かに、大将軍は吐き出す。
「大和魂はとこしえに不朽と知りな」
「……あれだけの仕打ちを受けてなぜ、大和を好きになれるのかい」
ぎっと、義虎も想い出す。
齢わずか十から、最前線へ投げ込まれ続けた。
誰よりも乏しい素質をかきむしり、誰よりも血塗られた境遇に紅涙を涸らし、誰よりも熾烈に修羅の場数を踏破し続けてきた。卑劣な戦術を尽くし、劇薬を投与し人体を改造し、血だるまと化し執拗に猛る狂戦士となっていた。己や碧を嵌め殺さんとする陰謀を嘲笑い、嬉々として反攻する策略を練り込んできた。
人であることを捨てていた。
捨てねば生きられなかった。
少女らが人へ戻してくれた。
「大和こそ、あの娘がくれたお家だからかな?」
「あの娘がいない家を、まだ護るというのかい」
「愚問」
かっと、義虎は眼を見開く。
「大事な家をぶっ壊しにくる輩へ向かって両手を広げウェルカムらっしゃいカマすような頭お花畑ちゃんに見えますかこの義虎が? それに、君にも教えた。我らが家には」
紅色彗星がほとばしる。
「我らへ託して逝った武士たち、死力と夢をぶつけ合いし強者たち、全て大和の同胞が魂を宿す。無論……」
__誇りなね? 君はこの大軍師、もと〈八雷神〉にして〈四天王〉猛虎大将軍の……生涯ただ一人のお嫁なんだから。
「あの娘の魂もここにある」
碧は天の川を眺める。
プロミネンスを唸らす無数の恒星が激流と化し、飛べて速い以外になんの能力もない義虎を追い込んでいく。目も、肌も、頭も、たちどころに灼き焦げるような熱が噴き付けてくる。一撃でも喰らえば致命傷というエネルギーが絶え間なく、恐ろしい勢いで突っ込んでいる。
「うぃー、みど援護して援護して援護して?」
「やぁだ。ノリが軽いんだか重いんだかよく分からんのが悪い」
「それでも弟子か」
碧は指をかじって正座する。
__大和もう終わるんに……。
『民を逃がすのじゃ。我らへ付いて行きたいと言う家族を見捨ててはならぬ』
都が陥落し帝は決断した。激闘を制し、東の道を確保した義虎は進言した。
『敵の足止めを図りまする。《伊邪那美》らが北へ陣取り、おかま軍師らが南へ陣取りますれば、陛下はダイオウイカらと民をお守り下さい。最も窮する西へは、この義虎が出る』
『西は砦こそあれ残るは若者ばかり、いけるか』
『無問題にござる。三年かけ策を仕込みました』
この報せを受け、砦の将兵は決意した。極限まで粘ってやると。
四半時前に。
__戦と謀の他ポンコツで童顔ガイコツ猫背なくせして、奇怪に声高いんに凄んだら無駄に低くなるくせして、変なタイミングで粋な字書いて妙な授業してくるくせして……助けに来てくれるん早すぎる気チガイのせいで……。
「うぃー、みど武官?」
「ん、今シリアスっとるから静かにしなさい」
「それでも弟子か」
星々が超新星爆発を畳みかける。巨大な恒星がでたらめに膨張し重力崩壊し、地獄の業火のごとき衝撃波、破片やガスをどこまでも吐き散らす。
紅色彗星がほとばしる。
爆風が広がりきる直前に、義虎は瞬時になくなる超新星同士の隙間へ違わず飛び込みマッハへ加速し、気張りに気張ってかわし尽くしてみせた。
__全く悲しくなれんじゃん。
と、星雲がいくつも全方位に並び、義虎も碧も囲まれる。
「やい、ミドリムシ?」
「ん、わー虫じゃない」
ぷっと、碧は頬っぺたを膨らませ、風の力をふりしぼる。超新星が連撃してくる。碧色に逆巻き突き上げる竜巻が二人を守る。そして星雲の一つを押しのける。
応龍のいる方角である。
どっと、義虎は突撃し、ブラックホールへ落ちた。