93 昼時の襲来(前)
「ひどい目にあったわ……」
「まだ言ってんの?エルゥ。諦めて慣れろって。……そもそもお前、自覚ないだろ。俺ら二人並べて競わせてるってこと」
「ぐぅ…言い返せないです、ごめんなさい」
「いや、言い返しましょうよ、そこは。
『並べてない。そもそも並んでない』って」
「……待て。どういう意味だ、それ」
「言葉通りですよ、グラン?」
言葉の応酬が止まらない。
一行は今、学舎の中庭の一角にある木陰のベンチで昼食をとっている。
程よい植え込みが周りに生えているため、人目にはつきにくい。隠れた四阿のような雰囲気の場所だ。
入学当初は中央講堂の更に奥、裏手の学院生専用食堂に行っていたのだが、如何せん、エウルナリア達は人込みと相性が悪すぎた。
面倒な貴族の派閥同士の挨拶合戦に巻き込まれたり、勇気ある男子生徒のけなげな突撃に遭ったり……「落ち着いて食事も出来やしない」と結論づけた一行が、見出だしたのがここである。場所としては、左側のとんがり屋根の尖塔、西塔に程近い。
(雨が降れば、また考えないといけないな…)
四人のなかで一番最後、ようやく食事を終えたエウルナリアは、サンドイッチが包まれていた紙と布をぼんやりと畳みながら、やや現実逃避ぎみに考えた。
ふと、水色の空を見あげる。
現実――グランの言う通り、今の自分はあまり良くない。責任を取って伴侶になれるのは一人だけなのに、「卒業の時に選ぶ」と言質をとって、結果、いたずらに貴重な時間や労力を費やさせている。今更とも言える指摘だった。
葉陰の向こうの空へと視線を投げかけていた少女は、しゅんと項垂れた。
「ごめんね。そもそも私が『グランのトランペット、まだ聴きたい』って我が儘言ったから、騎士への道も諦めさせたのに……責任、取れるかまだ、わからない…」
泣きそうなのは空ではなく、少女だった。勿論ぜったい泣かない。泣いても何の解決にもならない。かれらを巻き込んだのは自分だ。
ただ、本人の意思とは関係なく青い目が伏せられ、頬に睫毛の影が落ち、優美な眉がくるしげな形に歪められる――その姿は、不穏となりつつあった場の空気を、瞬く間に塗り替えてしまった。
「ま…待て、エルゥ。俺はそんなつもりじゃ……!」
少女の右隣に座っていたグランは、気色ばんた。かれは隠しようのない焦りとともに、エウルナリアの細い肩に自らの左手をかけ、俯いてしまった彼女の顔をそぅ…っと覗き込む。
泣いてはいないと、一先ず安堵する。
でも、こんな顔を見たい訳ではない。彼女のこんな表情を見ると、心が波立って落ち着かない――どう伝えたらいいのだろう?
赤毛の凛々しい眉が、少し情けない形になる。言うべき言葉を自分の中から見つけ出したくて、紺色の瞳がめずらしく、頼りなく揺れる。
――レインとロゼルも居るが、まぁいいと見栄を吹っ切ったグランは、半ば自分に言い聞かせるように、大好きな少女に向けてゆっくりと口をひらいた。
「……騎士は卒業後でも、なろうと思えばいつでもなれる。少し遠回りになるだけだから、そこは気にすんなよ。…いいな?
俺は、確かに楽器もトランペットも、エルゥも好きだから。悩むなよ、そんなことで。
責任とか、そんなものなら欲しくないんだ。俺は…―――」
次の言葉を紡ぐまでの、逡巡の一瞬。
前触れもなく、ガサリと植え込みの葉が鳴った。
「!」
一行は人の気配に身構える。やましい気持ちはないが、余計な関わりが煩わしくて食堂から離れたのだ。招かれざる訪問者が、わざわざ探してまでここに来たのだとしたら、それは相当な念の入りようだ。
やがて木の影、植え込みの向こうから遠慮なく、ガサガサ、パキリと葉や枝を踏みしめて人影が姿を現す。
その人物は、制服のスカートについた葉や小枝を、ぱんぱんと叩いた。髪にもついていたそれを手で払い、ふるふるっと勢いよく頭を振る。
木洩れ日に、きらりと真っ直ぐな銀の髪がきらめいた。湖上で跳ねる細い魚の銀鱗が、夏の陽射しを反射させたかのような鮮やかさだ。
瞳は紅。
澄んだ色合いはルビーのようで、彼女をますます銀細工めいた存在に見せる。熟達の、職人が丹精込めて造り上げたような――しかし、どこか苛烈な空気を漂わせた美少女。
美少女は、一行に視線を合わせると、きっぱりと口をひらいた。
「失礼。こちらに、エウルナリア嬢はいらっしゃる?」
―――…居丈高である。
ちょっとした、嵐の予感がした。




