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楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
十四歳篇 学院での日々

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92 沈黙の鞘当て

 学院生活が始まった。

 希望者は寮に入れるが、エウルナリアは馬車での通学を希望した。隣家の親友ロゼルと同伴できるのが嬉しいし、何より、入寮すれば従者のレインと離ればなれになってしまう。それは寂しいと思えたから。


 (レイン…本気で独奏者(ソリスト)、目指すのかな)


 見るともなく頬杖をつきながら、左隣に座るかれの、整った横顔に目を向ける。

 窓際の朝陽を浴びて、つやつやと栗色の髪が光を弾いている。いつもは気軽に(さわ)れる、すっきりと括って一纏(ひとまと)めにされたそれに、手を伸ばしかけたエウルナリアは「はっ」と気づいて途中で引っ込めた。

 ――だめだめ、ここは邸じゃない。



 今は、一般教養科目のうちの一つ、歴史の講義の真っ最中。新入生はほぼ全員、広い教室で静かに着席しつつ、それぞれの姿勢で講義に耳を傾けている。

 教壇が最も低い位置にある、階段で半円のすり鉢状となった部屋で、五十代ほどの男性講師が朗々と声を張りつつ、背後の壁に取り付けられた深緑の黒板に白いチョークで板書きをしていた。

 生徒は、後ろに行けば行くほど視界が高くなる席となっている。備えられた長机は五人掛け。それが横に半円を描くように五席、縦に九席ずつ整然と並んでいる。

 エウルナリア達はその最後列、左端の机に陣取っている。窓際からレイン、エウルナリア、ロゼル、グランの順だ。


 学舎の入り口の両脇に(そび)えた、とんがり屋根の大きな尖塔。その右側――東塔(ひがしとう)と呼ぶらしい――の、一階部分にあたる半円の教室。朝は、大抵ここでの一般科目から始まる。


 一つの講義に四十五分。休憩は十五分。昼休憩は一時間で、午後は自分で選んだ専科の教室にそれぞれ移動する。専科は二時間。


 午前八時から午後三時までは、休息日を除いてずっとこの調子――それも、二週間経った。

 講義の内容自体は十歳より前に終わらせているため、本当は聞くまでもない。気が緩んでいるのは否めなかった。



 主の視線に気づいたのだろう。ひとつの瞬きのあと、レインは灰色の視線をそろり、と右側に流した。


「(どうか、なさいましたか?)」


 目が合った瞬間。

 ふ、と瞳の光が和らいだ。

 見ているこちらまで口許が綻んでしまうような、綺麗な微笑みだ。かれは周囲を気遣い、小声で話しかけてくれた。

 エウルナリアは、ゆるく(かぶり)を振った。どうもしない、の意味だ。


「(ちょっと退屈でね)」


 同じように声を潜める。

 レインは目許を眩しそうに細めてから、まじまじと傍らの少女を眺めた。

 ――しあわせそうに。


「(それで、貴女の関心を独り占めできたなら嬉しいですね。

 ……僕は、あれから夫候補に近づけましたか?)」


 容赦のない少年は、にっこりと満面の笑みとなる。


「――……!!」


 従者の不意打ちに思わず声をあげそうになったエウルナリアは、頬を染めた。物言いたげな唇から、ちらりと桃色の舌と白い歯が覗く。

 大きな青い瞳は色合いを鮮やかに見開かれ、ただレインだけを映している。

 ――それは、従者の少年の心に、ひどく愉悦をもたらした。歓喜と言っていい。



 が、その時。

 とんとん、とロゼルの手がエウルナリアの右肩をたたいた。


 (ん?)


 振り向くと、教科書に視線を落としたままの親友が、机の下から一片の紙をこちらに寄越すところだった。

 そのまま机の下で受け取り、そっと机上にて確認する。レインも左側から覗き込んだ。



 “次の時間は、レインと場所交代な

 あと、悪い。聞こえてるから注意しとく”



 ――グランの筆跡だ。

 エウルナリアは、ぶわっと変な汗が出るのを自覚した。

 尚、赤面する黒髪の少女の隣で、従者の少年は顔色ひとつ変えない。紙片を覗き見た近さのまま、主の左耳に涼しげな顔をすぅっと寄せてゆく。


「(じゃあ、これくらいで)」


 先程より、よほど潜めた吐息がほんの少しの声音を伴って、少女の耳を(くすぐ)った。


「~~~ッ……!!!」


 反射でぞくっと身震いしてしまったエウルナリアは、涙目になって、弱々しく机に突っ伏した。黒髪に隠れているが、耳が熱い。

 声なく叫ぶ哀れな親友の後頭部を、右隣のロゼルが「よしよし」と言わんばかりに優しく撫でている。


 それは、どこから見ても気心の知れた令息に慰められる令嬢の図で―――知らぬものが見れば「お似合いですね」としか言いようがない、一枚の絵。


「……」


「……」


 机の左と右の端。レインとグランは視線を合わせ、互いにやたらと良い笑顔を交わした。


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