89 入学
ざあぁ……っと、視界が開ける。
観光街の北西区を占める深い森を抜けたそこは、広く整えられた淡い緑の芝生がうつくしい公園だった。
あちこちに、柱のように大理石の彫像が飾られている。小さめの噴水もあり、訪れるものを和ませるような心地よい空間だ。
馬車用の白い路が弛く曲線を描く先には、幾つもの棟を連ねた建物がある。
黒塗りの箱馬車は軽やかな蹄と車輪の音を置き去りに、傍らの歩道をゆく少年・少女達を颯爽と追い越した。
「とうとう、来ちゃったね…!」
馬車の中、柔らかな黒髪を背に流した制服姿の少女が、嬉しそうな声を洩らしている。
対する車内の一同――二人の少年と一人の少女は、それぞれ頷いた。
「ですね、エルゥ様」
穏やかな笑みで相槌を打ったのは、艶のある栗色の長い髪をひとつに括った――やはり、少女と同じ色合いの制服を行儀よく着こなしたレイン。従者服姿でないのは新鮮だ。
レインの右隣にはグラン。かれは、早くも制服を着崩している。体格が良いので、これはこれで似合っている。
「……」
「まぁ落ち着け、エルゥ。グランほど静かだと、却って不気味だが」
少女の隣で――少年の制服をきりっと纏ったロゼルが、口を開いた。冬に切ってしまった焦げ茶の巻き毛は少し伸びて、無造作に項で束ねた毛先が背の中ほどで、くるんと丸まっている。
機嫌は悪くないはずだが、平淡な口調に加えて腕を組んで足を開き、堂々としているため、妙に令息然とした威圧感のようなものがある。
しかし、最初に声を発した美少女――エウルナリアは動じない。「あら。そうね」と軽く受け流し、つい、と澄んだ視線を赤髪の少年に向けて、ぴたりと定めた。
「どうかした?グラン。酔った?」
可愛らしく首を傾げる。小鳥のような仕草に思わず目を細めたグランは、それでも薄く開いた形のよい唇から、唸るように低い声を洩らした。
「んなわけ、ないだろ……」
「ん?じゃあなぜ?…まさか緊張?」
ぐぅ、と喉が鳴る音がした。そのまさかのようだ。
「グラン、相変わらず繊細ですね…」
「うっさい!残念な《相変わらず》は、お前だろレイン。なんでいつも通りなんだよ……俺は間違ってないからな?」
仲の良い少年達に、長い睫毛に縁取られた青眼を和ませる対面の少女。滑らかな頬、愛らしい唇。ほんのりと上気したような、見るものの心に幸福感をもたらす美貌――齢、十四にして。
(独奏者になれるか、よりこっちの方が心配だよ……なんで、こんなに急に綺麗になんだよ!!焦るに決まってんだろ!主従そろって鈍い奴らだな、こんちきしょう……)
男爵令息らしからぬ心情は、もちろん胸に秘めておく。
鈍いと太鼓判を押された少女の左隣――こちらも相変わらずな男装のロゼルは、ふ、と微笑った。
「気の毒な奴だな」
「うっせーよ…」
力ない反撃には、もはや先程までの固さはない。車内は、絶妙な均衡で穏やかな空気に満たされた。
やがて馬車は、目的の位置にて停まる。
ひと走りした馬達が蹄を鳴らして、ブルルルッ……と、嘶いた。
* * *
その学院は、湧き水豊かなレガート湖に浮かぶ島の、北西の端に位置する。
芸術を愛し、楽の音を極めんとするものが集い、研鑽するために、千年よりも前に設けられた場所。
――レガティア芸術学院。
奇跡的に永く戦火とは縁遠くある小国、レガート皇国における掌中の宝というべき機関だ。
ここを巣立ったものが、皇国で――ひいては大陸で、一線を画する芸術家や音楽家となる。在野の才人は無きにしもあらずだが、一国家の皇国芸術府という支援者の有無の差は大きい。
ゆえに、今もレガートに才あるものは集う。
季節は春。
水色の空、うららかな陽射しの元。
難度の高い試験を潜り抜けた実力者や、名実伴う推薦を受けたもの、或いは寄付金を山と積んだ良家の子息・子女らが、今年もその顔ぶれを新たに二百数十余名。
様々な思いを胸に、一堂に会した。




