8 少年従者の受難
バード家の朝は、意外に早い。
当主のアルムが夕方から夜までを皇宮で過ごし、そのまま当直して翌朝早くに帰って来るためだ。
帰宅は、何ごともなければ朝の六時。ゆえに、エウルナリアも父を迎えるため、未明の五時半には起きて支度をしている。
レガートの皇国楽士団は、通常、皇宮晩餐会や国内の公式行事、或いは外国への使節団としての演奏を生業としている。
国で定められた休息日は、七日に一度。
しかし、皇国楽士団に所属する楽士は、各パート(楽器ごとのセクション)で穴を開けないよう、交替で不定休を取っていた。
歌い手の長であるアルムは、基本的に休みがない。業務上というよりは、皇王が彼を側近くで控えさせたがるため、というのが主な理由だった。
つまり――
「おはようございます、エウルナリア様。お時間ですよ」
「…うぅ…はい……」
外はまだ暗いが、朝はすぐそこまで来ている。休息日でも、起床時刻は変えられない。
夜明け前だと気付きはしたが、エウルナリアの瞼は重かった。昨夜、無理して遅くまで課題をこなしていたためだ。
なかなか起きようとしない少女に、声をかけた人物は戸惑いを見せはじめる。
何となく、いたずら心のほうが先に目覚めた少女は、目を閉じた寝惚け状態のまま、ふわりと声をかけた。
「…手。ひっぱって、起こして…?」
「――!…あ、あの……宜しいんですか?」
ぽやぽやとした気分のまま、にこりと笑むと更に困り果てた気配が伝わる。
なかなか引っ張ってもらえないので、自分から腕を伸ばすと、やっと手を取ってくれた。片方の手は少女の小さな手に。もう片方はまだ寝具で温められたままの、柔い背にそっと当てられる。
(手。かたい…?フィーネの手じゃない…??)
戸惑いながらも、ものすごく丁寧に半身を起こしてくれた、この人は――
「……!」
さすがに、瞬時に目が覚めた。今日から、正式に従者として側仕えとなったレインだ。
赤い。きっとお互い、ものすごく赤くなってる。
なんとか「うわぁ!」とか「きゃー!」と叫ぶのを堪えることが出来たエウルナリアは、気の毒な従者の少年に、辛うじて謝罪と挨拶をした。
「ごめんなさい…寝ぼけてました。あの、おはよう。レイン」
「いえ、僕のほうこそ、姉上のように起こして差し上げられずにすみません。…大丈夫ですか?」
「はい。ゆうべ、遅かったから。寝不足なだけなの。」
申し訳なさそうに答えると、ようやく「そうでしたか」と、レインの肩から力が抜けた。心配そうにひそめられていた眉が、もとの形に戻って優しい笑顔になる。
綺麗な顔だな、とエウルナリアは素直に思った。
「では、お世話のためのメイドに入ってもらいますね。僕は、扉の外側で控えておりますから」
す、と離れて一礼したレインは、昨日よりも近しい感じがした。
(大失敗だったけど、仲良くなれたし、良かったのかな)
照れが半分。嬉しさが半分で頬が自然に緩む。
その後は、ちょっと微妙な顔をしながら入室したフィーネを筆頭に、優秀なメイド達の早業で瞬く間に支度を整えられた。