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楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
十四歳篇 入学前

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88 愛称を、そのままで

 結婚式の帰り道、馬車の中にて。

 エウルナリアは、薔薇色の頬で夢見るように、今日の余韻に浸っていた――主に、花嫁のうつくしさや、新郎との睦まじさなどについて、だが。


 向かいの席で主の心情を正確に汲んだ従者の少年は、あえて何も言わずに微笑んでいる。


 ――が、ふいに、ガタン!と馬車が揺れた。

 体勢を崩して、進行方向に華奢な身体がふわりと浮いてしまった主の少女に、レインは思わず手を差し出した。


 投げ出されたエウルナリアを、咄嗟に座席から降りて受け止めた形になる。

 思わぬ近距離に黒髪が鼻先をかすめて、淡く花の香りがした。


「ご、ごめん!レイン、大丈夫?」


「あ、はい。大丈夫じゃありません」


「…………えぇぇっ?!」


 馬車は、何事もなかったかのように、再び揺れだした。馬が何かに驚いたか、車輪が石に引っ掛かりでもしたのだろう。


 箱馬車の中で、座席から降りた中央。

 傍目には黒髪の令嬢が、栗色の髪の従者に抱きしめられているように――見えなくも、ない。


 まぁいいか……と思ったレインは、そのまま腰を落として座り込み、更に深くエウルナリアを引き寄せた。ぎゅ、と細くやわらかな肢体を腕の中に包み込んでしまう。


 エウルナリアは、状況に焦りつつも、従者の少年に慌てて問いかけた。


「れ、レイン?本当に大丈夫じゃないの?どこか痛い?」


「はい。痛いです」

 (いろいろと)


「大変…!立てる?ここじゃ休まらないよ。こっちの座席、来て?」


「無理です……動けません」

 ((しばら)く、このままで居たいんです)


 頑として動かないレインに、エウルナリアが段々、冷静になってきた。ひょっとして――


「…ねぇ、また暴走してない?」


「通常運転です。お気になさらず」


「……やっぱり。意地悪、離して!」


 身を(よじ)ったが、いっこうに抜けられない。

 いくら、レインが細身とは言え体格と力の差はどうにもならなかった。

 諦めず、抵抗を試みたが――



「聞いて、ください。エルゥ

 …―――様」



 一瞬、愛称をそのまま呼ばれたのかと思った少女は、心臓をどきりとさせた。

 つい反射で「なに?」と、訊いてしまう。


「もし――僕が、学院在学中に、皇国楽士団のピアノ独奏者(ソリスト)になれたら――

 僕を、貴女の婚約者候補として考えてくれますか?」


「―――…!」


 心臓が跳ねた、どころではない。熱い。

 頭は冷水をかけられたみたいに、ショックで真っ白になっているのに、身体が内側から燃えてるみたいだ。


 レインは、腕の中が急に熱を帯びたことに気づいて、そっと主の顔を覗き込む。

 長い睫毛を伏せて、潤んだ青い目を泳がせる――困りきった赤面に、しばし目を奪われる。


「……返事は、今でなくてもいいです。どうか、覚えていてください。

 僕は、貴女を“エルゥ”と呼べるようになるためなら、どんな努力も厭いません」



 す、と彼は少女の左手をとり、指に口づけを落とすと、そのままじぃ……っと、青い目をつよく見つめた。

 いつもは涼しい灰色の目許に、静かな熱が潜んでいる。苦しそうですら、ある。


 ややあって、主を元の座席まで導いたレインは、何事もなかったかのように自身も元の席に戻った。瞑目し、何も喋らない。


 変わらず響く、(ひづめ)の音と、カララ……という車輪の音。


 耳まで真っ赤になった黒髪の少女は、視線を窓の外に固定し、両手で口を押さえたまま、バード邸に帰着するまでずっと、動けなかった。




 ―――……大切な日の最後の一幕は、エウルナリアがずっと目をそらし続けていた、波乱の予感で彩られた。




 (くだん)の学院は、愈々(いよいよ)、五日後から始まる。


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