82 星祭りの邂逅※
「これは…壁?…扉がないんだけど……」
歩道から見上げたときは気づかなかったが、礼拝堂があると思われた尖塔アーチ郡の奥は、黒く塗られた木の壁だった。
おかげで、かなり奥行きがあるように見えた通路は、存外に長くないと判明したのだが。
「だまし絵とかじゃないですか?」
「まさか」
エウルナリアは早速、文字どおり壁にぶつかった。
もう少し落ち着いて、離れて全体を見てみよう――…そう思い、壁を見上げたまま後退りした彼女は、どん!と誰かにぶつかった。
目の当たりにしたレインは、思わず「エルゥ様!」と声を張ってしまう。
ぶつかられた人物は、バランスを崩してよろめく少女の肩を危うげなく支えた。
「おっと。……平気?」
――肩に触れる手の大きさと指の感じ、それに声。
総じて『知らないひとだ』と瞬時に判断した少女は、わたわたと慌てた。
「っ!…ご、ごめんなさい、失礼を…」
ぶつかった相手がグランなら、軽く流してもらえる。そんな淡い希望は、相手の最初の一声で既にない。謝罪しないと…と、焦りばかりが先に募る。
「いいや、こちらこそ――…ん?…“エルゥ”……?」
慌てる少女を支える手の主は、なにかに引っ掛かったらしい。穏やかな応えは途中から、小さく口のなかで呟かれた独り言に取って代わられている。
耳聡く、ぴん、と反応するエウルナリア。
(私の愛称、知ってる……?知らないひとじゃ、ない?)
首から上をできるだけ捻って後ろを窺い、更に見上げる。外からの逆光で見づらいが――
かれは、グランよりも背の高い、少し年上の少年だった。青年というには、まだ瑞々しい雰囲気が頬の辺りに残っている。
驚きに見開かれた目は少し垂れて、ガーネットや柘榴を思わせる暗紅色。やんわりとした包容力を感じさせつつも、意思のつよそうな眉。髪は灰銀。柔らかそうな質感で、襟足は短いが長めの前髪がふわりと揺れている。
はっとするほどの美貌でありながら、普段は穏やかに微笑んでいそうな顔立ちだ。
エウルナリアを受け止めたとき、その体幹は少しも揺るがなかった。おそらく、剣などをきっちり嗜んでいるのだろう。
どことなく癖のある、柔らかいのに強い眼差しの持ち主―――……やはり、心当たりがない。一度見たら忘れようのない雰囲気があるのに、と、エウルナリアは内心で首を傾げた。
礼拝堂への通路の真ん中にて。
黒髪の少女と灰銀髪の少年が、互いを見つめながら固まってしまっている。
レインは遠慮がちに、しかし、はっきりとした牽制を込めて年長の少年にのみ、声をかけた。
「…失礼、主を助けていただき、感謝申し上げます。実は初めてこちらに参りましたので、入り口が分からず……お怪我はございませんか?」
「ん?…あぁ、大丈夫。君は彼女の従者だね。入り口、教えようか?ここだよ」
青年の、一歩手前くらいだろう少年は、年長者の余裕でにこりと笑んだ。ごく自然にエウルナリアの手を優しくとり、レインの元へと導く。
――エスコートに慣れている。貴族の子息だ。
そこへ。
殿のグランがようやく辿り着いた。すでに何かを諦めたような、呆れを含む声が通路に反響する。
「何で俺が目を離した隙に、絡まれてんだよ…大丈夫か?エルゥ」
黒髪の少女は、しょんぼりした。
「……平気。むしろ絡んだのは私だし、転びそうになったのを助けていただいたの……ご免なさい。不注意でした」
エウルナリアは、つとレインの手から離れると、灰銀髪の少年に淑女の礼をとった。
「…申し遅れましたね。バード楽士伯家アルムの娘、エウルナリアですわ。先程はご迷惑をおかけしました。ご容赦を」
少年は暗紅色の目を丸くして、少女をまじまじと見つめた。
一瞬のあと、ハッと気づき、優雅にやさしく紳士の礼を返す。
「こちらこそ。名乗らずに恐縮です、エウルナリア嬢。
――ユシッド、とお呼びください。家名を告げることは、固く禁じられていますので」
「構いませんわ」
姿勢を直した両者は、何となく波長が合ったのか。同時に、ふわりと微笑みあった。
* * *
黒い壁は最初にレインが言ったとおり、確かにだまし絵だった。見事にだまされた。
「この壁は外観上、奥行きがあるよう見せるために黒く塗られてるんだよ。で、通用口はここ」
キィ、と蝶番が軋む音をたてて、大きな黒壁の右下部分が開いた。
確かに、よく見ればわかる。
しかし――
「まるで、巨人のお家の扉に、こっそり人間用の出入り口が作られてるみたいですね?」
少女の言葉に、エスコートを申し出た灰銀の髪の少年――ユシッドは、眩しそうに目を細めて微笑った。
「そう。私も小さい頃、初めてここに来たとき、同じことを思ったよ。
……うん、教義の講話は終わってる。いちおう静かに入ってね。そこの、姫君の守護騎士くん達も」
「……はい」
「承知しています」
悪戯っぽい暗紅色の視線が、エウルナリアの後ろの二人に投げかけられる。
明らかに上位貴族の子息。
しかも聖教会に通い慣れている。
加えて、その髪と目の色。
レインとグランは、その家名に心当たりがあったが、ユシッドの口許にそっと寄せられた『静かにね』の人差し指の仕草に、違う意図を察してしまい――――かりそめの騎士として、今は従った。




