7 淑女の微笑みは難しい
散策と昼食を終え、本邸の自室へと戻ったエウルナリアを迎えたのは、フィーネと一通の封書だった。
交遊関係の少ない少女には、心当たりがほぼない。シンプルな白い封筒を受けとり、表を見てからくるりと裏に返す。
――宛名も差出人もない。白紙だ。
「どちらから?」
「お隣の、キーラ画伯家からですわ」
「…あぁ。ロゼルから?あの子ったら、お隣なのに。相変わらずねぇ」
呆れた口調ではあったが、エウルナリアの声には、抑えきれない喜色が滲んでいる。「しょうがないなぁ」と言いつつ、いそいそと封を開けた。
ロゼルは、隣家の第三息女。少女にとっては貴重な友人で、ちょっぴり変わり者だ。
キーラ画伯家は、バード楽士伯家と並び立つ名家。文字通り、通りに面して隣同士でもある。バード家と同じく二代目の皇帝から叙爵された仲で、当時の画伯と楽士伯には親交があったらしい。代々優れた画家を輩出する家柄でもあった。
「ふんふん…お茶会か。フィーネ、明日の休息日は午後、お隣に遊びに行くわ」
「畏まりました。では、そのように。レインにも伝えておきますね」
「?なぜ、レイン?」
「見習いでも、従者ですもの。お嬢様に付き従うのが仕事ですわ。お出かけなら尚更です」
「そっか…えぇ、わかったわ」
少し、困り顔のエウルナリアだったが、素直に頷いた。職務なら仕方ない。
(ロゼルは人見知りが激しいんだけど…まぁ、レインなら大丈夫かな)
そこまで話したとき、部屋の扉が静かにノックされる。応えると、姿を現したのは昨日ぶりのユーリズ女史だった。
――しまった!もうそんな時間!
内心、少し焦ったが、慌てずエウルナリアは手にした封筒をフィーネに渡し、綺麗な淑女の礼をした。
「ごきげんよう、ユーリズ先生。今日も宜しくお願いします」
「ごきげんよう、エウルナリア様。こちらこそ、宜しくお願いしますね」
にこっと微笑むユーリズ女史。よかった。及第点だったらしい。
『彼女が受け持っているのは歴史や法制度だけど、実際にはマナーも含まれているよ』――とは、昨日のお茶の帰り道に父から告げられた言葉だ。「聞いてないよ!!」と騒いでも後の祭りである。
絶対に挽回してみせる!と、優雅な微笑みの下で闘志を燃やすエウルナリアだったが…
(…やる気満々ね、ご令嬢。どうしよう、今日も急に脱線されたら…すぐに戻せるかしら)
ユーリズ女史は内心、戦々恐々としていた。
すっかり《素晴らしい美少女だが要注意!》という烙印が押されてしまっている。
微笑みの下、お互いに何か思うところがあるらしい教師と生徒を尻目に、フィーネは然り気なく封筒を所定の引き出しにしまい、手早く講義の席を整えた。流れるように完璧な所作だ。
「さ、よろしければどうぞ、先生。
お嬢様。隣に控えておりますので、何かありましたらお呼び下さいませ」
にっこりと告げる優しい瞳のメイド。
彼女がこの場で一番のポーカーフェイスなことは、間違いない。
慈母のような微笑みを浮かべつつ、フィーネはするりと小さな主の部屋を退出した。