78 レガティアの星祭り(2)
いつも通り、エントランスで使用人達からの総出迎えを受けたアルムは、そのままエウルナリアを伴って一階の食堂の隣――応接間を兼ねる小じんまりとした居間に向かった。
温かなクリーム色の壁紙、艶のある木の肘置きが落ち着きを感じさせる、オリーブグリーンの布張りのソファー。大理石を用いたローテーブルには、綿の花枝と、玄関にも飾られていた銀糸の星の花が飾られている。
卓上のそれは白い綿雲に小さな銀星がきらきらと絡まっているようで、童話的なモチーフがとても可愛らしい。
「朝食までは、ここで過ごす。紅茶と少し、つまめるものを」
「畏まりました」
静かに、主の少女の後ろ二歩の位置で付き従っていたレインに、アルムは息をするように自然に命じた。
「さ、レインが戻るまでは世間話でもしようか――どうぞ?エルゥ。掛けて、待ってて」
「あ、はい」
アルムは二人掛けのソファーに。エウルナリアはテーブルを挟んで反対側の一人掛けのソファーに座った。
アルムは背に深く体重を預け、足を組んで寛いだ表情を見せている。
三十八歳になった黒髪の歌長は、四年前に顕著だった華やかさと鋭さを上手に隠すようになった。
代わりに穏やかで堅牢な雰囲気を纏うようになったので、以前ほど宮中で騒がれることもない。
―――……歌うときは一層華やかに、深い色気を滲ませるようになったので、それはそれで信奉者を増やす結果を招いてしまったらしいが。
『ご贔屓様が増えるのはね、国庫的には大歓迎だよ』と、本人は飄々としている。
その微笑みは以前と変わらず甘やかで――要は、向ける対象に応じて制御できるようになったということらしい。
「……それはそれで、心配ですね」
エウルナリアは一瞬、複雑な顔になる。
眉尻を下げて微笑むと、なぜかアルムは口許を綻ばせ、「いいね、娘から心配されるのって」と上機嫌になった。
コン、コン。
――やがてノックの音が響き、紅茶のセット一式を盆上に捧げ持ったレインが「失礼します」と一礼、入室する。
アルムは柔らかな視線を軽く入り口に流し、嬉しそうな顔になったエウルナリアは、ぱっと従者の少年を仰ぎ見た。
「ご苦労様、レイン」
「レイン、おかえり!」
父娘の労いが同時に被り、なんだかごちゃ混ぜである。
そのことが可笑しくてならないと、黒髪の少女は暫くソファーの背凭れに突っ伏した。華奢な背が小刻みに震えているので、笑いを堪えているのだろう。「ふふ…っ!」と、たまに漏れているので、あまり効果はないようだ。
彼女の父親と従者の少年は、それぞれの抱えるいとおしさを目許に添えて、そんな少女を見つめている。
暖炉で、ぱち、ぱちん、と薪が賑やかな音をたてた。
――時刻は早朝、六時半。
バード家の朝食までは、あともう少々時間がかかる。
* * *
紅茶はエウルナリアが淹れることになった。
楽しそうに茶葉を量り、湯のポットを傾ける愛娘に、アルムは眩しそうに目を細めながら会話の続きを思い出す。
「……そうそう、昨夜は皇宮で年越しの前夜祭がひらかれてね。久しぶりに両陛下と御子様たちが勢揃いしたよ」
「まあ…!それは良かったですね。第一皇子殿下は、もう留学からお帰りに?」
「いや、冬の休暇を利用した一時帰国みたいだ。でも、しみじみと『レガートは、暖かくていい…』と仰ってた」
ふふっと微笑うアルム。エウルナリアはそれを見て、確か…と、持てる情報を脳内で総ざらいした。
「……第一皇子殿下がいらっしゃるのは白雪山脈の向こう側、白夜の国でしたね。それなら、その御言葉も頷けます。レガートだって、充分寒いんですもの」
「違いない」
会話はここで、一旦とぎれる。
黒髪の少女は、丁寧に淹れた紅茶を広めの受け皿と合わせ、アーモンドのショコラと一緒に「どうぞ」と、父の前にやさしく置いた。
アルムは「ありがとう、エルゥ」と受けとり、娘が淹れてくれた三番摘みの紅茶をそのまま含む。
香りより、味わいの深さが好まれるそれは大人向け。エウルナリアは自らの茶器に砂糖を入れた。
レインは、扉の側で静かに控えている。
職務とはいえ、一緒に飲めないのは味気ない。あとで部屋に戻ったら淹れてあげようと、少女はこっそり決意した。
「あー…あとね、エルゥ」
「?はい、何です?お父様」
いつになく歯切れの悪い父に、エウルナリアは首を傾げる。
アルムは、ちょっとだけ視線を泳がせ、額から無造作に黒髪を梳いて、かきあげた。――珍しい。
「君と同期生になる第一皇女殿下なんだけど、少し注意してあげて。学院に入れば、絶対会うことになる。
……がんばり屋さんの、いい子なんだけどね」
アルムは目を瞑り、唇の下に手を添えると軽く息を吐いた。その様子はまるで、姪っ子のお転婆に手を焼く叔父のようだ。
父をここまで困らせるとは、ある意味すごい。
―――エウルナリアは、心のメモ帳に『皇女殿下、要注意』と、そっと記した。




