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楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
十四歳篇 入学前

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76 虎視眈々と、春を待つ

 本日の焼き菓子は、マドレーヌ。貝の形を模した、しっとりとした食感はエウルナリアの好むところだ。

 茶葉は、干した林檎の入ったアップルティー。

 そこはかとなく、林檎の爽やかな甘い匂いが紅茶の香りと合わさって、暖炉で温められた室内を満たした。


 窓の外は、しんしんと、ぼたん雪。

 ――昼過ぎより、降っているかもしれない。


 黒髪の令嬢と令息の装いの少女は、部屋の中央の丸いテーブル席へ。グランは変わらずソファーに座っている。レインは従者として、扉の近くで静かに控えている。

 「座らないの?」と訊くと、「招かれたキーラ家ならともかく、招いた側のバード家で、それはありません」と、断固として拒否された。


 (まぁ、その頑固さもレインらしいといえば、そうかな…)


 エウルナリアは、涼しい顔で不動の姿勢を貫くレインに、微苦笑を(こぼ)した。

 ――改めて、目の前の親友に向き合う。


「ロゼルも無試験入学よね?」


「あぁ。一応添え文と作品を一点、年内に提出する」


「一緒ね。私は歌の代わりに《国内外における音楽の展望》っていうテーマで、小論文書かされてるけど」


 「へぇ」と呟いた男装の令嬢は、肩の前に降りていた焦げ茶の後れ毛を、うるさそうに後ろへ払った。――邪魔だからと肩下まで切ったら、余計に面倒なことになったと、先程ぼやいていたのを聞いたばかりだ。


 つややかな巻き毛を惜しげもなく切ってしまうあたり、如何にもロゼルらしい。

 そして、そろそろ女性らしい体型に変化する頃合いのはずなのに、なぜか凛々しい令息ぶりに拍車がかかっている。…本当に、なぜだろう。


「……関係者を呼びつけて、一曲聴かせた方がいいんじゃないか?」


 ロゼルの物言いに、内心の疑問はさておき、エウルナリアはおっとりと微笑んだ。

 温かい茶器を口許に寄せて、香りだけを楽しむ。目許を和らげると、のんびりと告げた。


「ん……実は、学院の偉い人はそんな意見だったらしいんだけど、お父様の意向でね、こうなっちゃった」


「アルムおじさまの……?それはまた、腹黒いことで。大変だな、エルゥ」


 黒髪の――ほんの少し、さなぎから柔らかな蝶の羽が覗きはじめたような色彩(いろ)を漂わせるようになった少女は、困ったように眉尻を下げて微笑む。


 ロゼルは頬杖をつきながら、目の前の親友と、窓辺の赤髪の少年、それに扉手前の従者の少年にも目を遣った。ご丁寧に瞬きを交えて、順番に一拍ずつ――最後に、再び正面に視線を戻す。

 深緑の目には、ちょっと気の毒なひとを眺める時と同じくらいの、わかりやすい哀れみが(たた)えられていた。


「……ほんと、大変だな」


「?いま、何か違う風に聞こえたよ?」


「気にするな」


「えぇ…」


 ロゼルは瞳の光を和らげて、くすくすくす、と笑った。口許の片方しか上がってないから、とても意地悪そうだ。



 しんしんと、雪が降り積もる。


 ―――…レインとグランは、少女たちの語らいの、季節はずれの蚊帳(かや)の外。




   *   *   *




「じゃあ、またね。今日は二人とも、来てくれてありがとう」


 庭の(こみち)を、積もったばかりの新雪をきゅ、きゅ、と踏みしめて辿り着いたバード邸の門扉にて。


 エウルナリアとレインは、二人の幼馴染みを見送った。グランはロゼルを送ったあと、帰宅するらしい。……間違ってはいない。ロゼルは伯爵令嬢だ。

 ――見た目は、きりっとした少年の二人連れなのだが。


 門扉を出た彼らを見届けた主従は、顔を見合わせてにこりと微笑むと、連れだって、来た道を戻っていった。



 時刻は夕方の四時。

 冬の日暮れは、近い。





 門扉を出たグランに、隣を歩くロゼルは突然話を振った。


「――お前、レインに勝てそうなの?」


 何が、とは言わずとも通じる話題に、赤髪の少年はぐうの音も出ない。

 黙り込んだ連れに、ロゼルは鼻で笑ってからよしよし、と赤い頭を撫でてやった。


「まぁ、がんばれ。レインにだって、不利な点はある。…私はエルゥが幸せなら、それでいい」


 こんなにも爽やかに、不敵な笑みを浮かべられる男装の令嬢は、おそらく他の幼馴染みの少年二人よりも、ずっと男前だ。

 グランはあらゆる意味で、妙に打ちのめされた。


「あんた、本当に生まれる性別間違えたよな……」


 うっかり零れた少年の本心にも、ロゼルは全く動じない。撫でていた手を降ろして、ふ、と口の端だけで笑う。


「いいや?何も間違えてはいない。私はこれでいいと思ってる――じゃあな。送ってくれて、ありがとう」


 いつの間にか、キーラ邸の門扉に辿り着いていた。

 手を振って彼女が門扉の内側に入ったのを確認したあと、グランは(きびす)を返す。

 彼の家はもっと観光街寄り、貴族街の端のほうだ。


 はーーー…と、吐いた息が白い。


「どいつもこいつも……規格外かよ」


 じっと右手を見ていた少年は、ふと気づいたように黒い防寒着のフードを引っ張って、深く被った。


 (負けるもんか。音楽も、エルゥも――見とけよ、こんちくしょう)


 前を見据える、濃紺の目につよい光が宿る。

 冬の夕暮れの寒さに気をとめることもなく、赤髪の少年は、ざくざくと家路についた。


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