74 主従のゆるい連弾
コンコン、と扉を叩いた。
彼はちょっと神妙な顔をしていたが、カチャリ、と開けた扉から漏れ聞こえたメロディーに―――思わず脱力した。
「なんで、『ねこふんじゃった』なんだよ…!」
突っ込む自分は間違っていない。
しかも、低音部分の主旋律――レインだ。
明らかに技巧的すぎる。なに、その猫。ぜんぜん踏まれる気、ないだろ……
今は、やや速いテンポの癖のある、引っ掛けた装飾音が華やかなメロディー。
そしてその高音部、黒鍵とわずかな白鍵で成り立つ対旋律を弾くのは――黒髪を楽しげに揺らしながら、白い右手だけで弾くエウルナリア。
レインの両手があちこちに飛びすぎるので、遠慮しているのかも知れない。あくまで主旋律に乗っかるだけの、軽い弾き方だ。たまに和音にしたり、半音ちがいの装飾部音符を付けて、遊んでいる。
――しかし、次の瞬間。
テンポをリードしていたレインの雰囲気ががらりと変わった。もう一度、はじめのフレーズに戻ってはいるものの、今度はスローテンポ。物凄く情緒豊かな、うねりのあるメロディーになっている。
なんでその猫、そんなに貫禄あんだよ…何者なんだよ……と、理不尽な思いに駆られた彼は内心、何度目かかの突っ込みをした。
エウルナリアは動じず、目を瞑って変化した曲調に応じた対旋律を、危うげなく奏でている。
遅れているくらいにも聴こえる、幽かな高音の響きが、妙に切ない色を帯びた。
曲の終わりは、鍵盤のほぼ左端から右端までの和音の階段。レインが力強く鳴らした低音から中高音。その続きをエウルナリアが軽やかに奏でて……――――最後にもう一度、レインが複雑な和音を「バン…!」と、鳴らした。
……ーーーン……と、余韻の残響が耳を支配する中。
グランドピアノを前に並んで座った仲の良い主従は、互いに顔を見合わせて、にこっと幸せそうに微笑んだ。
それを目の当たりにした彼――――グランは、小脇にトランペットを抱えて扉に寄りかかると、ゆっくりと拍手した。
その表情は――…心もち、悔しそうな苦笑い。
* * *
「ごめん!来てたんだ、グラン」
エウルナリアは、突然聞こえた拍手に驚き、跳ねるように、扉を背に佇む赤髪の少年に目を向けた。
その青い瞳には、三十分前までの靄はない。透き通り、幸せや喜びに満ちたいつもの彼女だった。
「いや。こっちこそ、びっくりさせてごめん。俺、あんな『ねこふんじゃった』初めて聴いた……いっつも二人で弾いてんの?」
「ううん。連弾したのも今日が初めて」
「えー……なに、その息ぴったりな感じ。妬けるなーもう。特にレイン、むかつく。踏ませろ」
半ば自棄で、会話を栗色の髪の少年に吹っ掛ける。
レインは灰色の目に楽しげな光を湛えたまま、にこにこと答えた。
「やですよ。それにあれ、僕の即興アレンジで『ねこ勝っちゃった』っていうんです。踏まれるようには、聴こえなかったでしょう?そもそも、僕は猫じゃありませんから」
――――踏ませませんよ?と、言外に告げた。




