70 少年従者の憂慮
“姫へ
レガティアはもう冬だろうか。こちらはまだ、寒さからはほど遠い。
先日は久しぶりに其方の顔を見られて幸いだった。
正直、楽士団も歌長も、私にとっては付き添いのようなものだ。来年以降は姫だけで良いとアルムに伝えてくれ。
一年にいちどしか会えないのは寂しいが、会うたびにうつくしくなる姫を見るのは楽しい。初めて会ったときは易々と抱き上げられたのにな。
従者にも伝えてくれ。「遠慮を覚えたらどうだ」と。
おかげさまで、後宮から漸く妃を一掃できたことに感謝する。苦節……何年かは忘れた。私も年齢は気にしないことにする。
最終日の夜、余人を交えぬことを条件に聴かせてもらった其方の歌が、未だに耳に残って離れない。
…だめだ、何も書けそうにない。
あれは危険だな。私は姫の父親じゃなくて良かったよ。心臓がもたない。
前言撤回だ。可哀想だから、次回以降はアルムだけ同伴で構わない。
来年と言わず、いつでも来るといい。
来なければ、また招こう。
学院で更に学び、成長した姫と再び見える日を楽しみにしている。
達者でな。
ジュード”
* * *
「ふふふ……」
閉じられた窓の向こう、灰色の空からは、舞い降りた雪がちらついている。
冬の、早朝――暖炉に投じられた薪が、ぱちんとはぜる。
飴色の机で、異国の友人からの手紙に目を通していた令嬢は、抑えきれなかった笑いをつい、洩らした。
「ジュード王は、何と?」
華奢な背を震わせる黒髪の令嬢のうしろ、頭上で、声変わりを経て少し低くなった涼しい声がした。
腰まで伸びて一つに括られた栗色の髪が一房、さらりと視界に映る。左側にそっと置かれたのは、ピアノが似合う大きめな手――レインだ。
彼は、背が高くなった。しかもまだ伸びるらしい。
黒髪の令嬢は、いくらか伸びたものの、十四歳の割にはやや小柄だ。
「相変わらず、楽しい方よ。貴方にも伝言があるわ――ほら」
つい、と手紙を左側に寄せて見上げると、出会ったときより頬の線がすっきりとした、綺麗な顔が見えた。
(睫毛、あいかわらず長いな…生まれた性別、間違えたよね。レインって)
主の失礼な内心は、もちろん従者の耳に届かない。彼は、あっという間に読み終えると淡々と感想を述べた。
「しょうもない……エルゥ様。お返事には『貴方が年齢を忘れるから、従者が遠慮を覚えないのです』と、書いてください。あと、これ、アルム様にも見せてくださいね?」
一国の王を『しょうもない』と言い、直筆の手紙を『これ』呼ばわりするレインには、確かに遠慮など何処にもない。エウルナリアはゆっくりと頷いた。
「えぇ、勿論お父様にもお見せするわ。レインも――ずいぶん、ジュード様と仲良くなったのね?」
「…勘弁してください……」
困り果てた笑顔で、従者は呟いた。
「さ、準備、やっちゃおう。楽しみね。この冬が終わればやっと、学院生よ!」
隣に立つ従者に、惜しげもなく嬉々とした笑顔が向けられる。
――愛らしさは一片も損なわれることなく、成長の途中であることを匂わせる、すんなりと伸びた肢体。
緩やかに波打つ黒髪はつややかに、身動きするたび冬の日光すら集めて、弾く。その丈は背の半ばと細い腰の、ちょうど間。
表情こそ無邪気だが、どこからどう見ても――
「……だめだ…無自覚だから性質がわるい。余計な輩が寄ってくるところしか、想像できません」
「えぇと……何だか、ナーバスね?
まぁ、あんまり悲観しないで。確かに貴族の面倒な派閥はあるみたいだけど、気にせず捌いていこうよ。ね?」
立ち上がった主は、頭頂部がレインの顎くらい。青い目が見上げるように彼の顔を覗き込み、よしよしと栗色の頭を撫でている。
「――……」
エウルナリアの、白くて小さな優しい手。
距離の近さと、気遣う心で警戒が解かれた、透き通った甘い声。
…――どうしよう。不安しかない。
四年前から焦がれてやまない、主の手の感触には一切の抵抗も見せず、従者の少年は灰色の目を瞑り、嘆息した。




