66 家庭教師の胸のうち
アリス・ユーリズ女史は、およそ一ヶ月ぶりにレガートの名門、バード楽士伯家を訪れた。
夏の終わりは暦の上だけのこと、と割りきって日傘を差し、バード邸の庭――おとぎ話のような、森の径を歩く。
漆喰の白い壁。趣ある蔦の葉。石造りの階段を少し昇った先にある両開きの扉は、重厚ながらも温かみのあるマホガニー。
アーチ型のそれの上部、閉じた状態の半円部分は精緻なステンドグラスとなっている。意匠は、対峙して重なりあう白と紅の木蓮。
(相変わらず、かわいいお屋敷ね…)
ユーリズ女史は、扉に取り付けられた真鍮製のノッカーを手にとり、コンコン、と打ち付ける。
すぐに内側からカチャリ、と開かれた。
「ようこそ、いらっしゃいませユーリズ様。主が心待ちにしております。どうぞ、中へ」
おだやかに微笑んで、招き入れてくれたのは彼女の教え子――エウルナリア嬢の従者の少年だ。
繊細な、整った容姿。艶やかな栗色の髪。美人になりそう…という点で、似たもの主従だと彼女は思っている。
「ありがとうございます。お邪魔いたしますね」
日傘を別の使用人に預かってもらい、そのままいつも通り二階に上がるかと思いきや――従者の少年は一階の奥へと歩を進め、「こちらです」と振り返った。
「?今日は、エウルナリア様のお部屋ではないのですね」
「はい。主は離れのサロンでお待ちです――どうぞ」
ふわり、と笑む涼しげな灰色の瞳には、なんとも言えない香りたつような色彩がある。その性別と年齢を考えると、先々が楽しみなような、怖いような……
成人である自分と比較しても悲しくなるだけなので、こういうのは年齢ではないのよと、半ば強引に結論づけた。…――敗北感?今更だ。
鉄壁の家庭教師を自負する彼女は、「そうでしたか。わかりましたわ」とだけ、笑顔で返す。
長い、長い渡り廊下のその先に。
既に扉を開け放たれた、こじんまりとしたサロンが見えた。
* * *
「ごきげんよう、ユーリズ先生。お久しぶりですわ」
「ごきげんよう、エウルナリア様。本当、長いことぶりですね…。本日は素敵なサロンにお招き頂いて、ありがとうございます」
互いに、淑女の礼をとる。
ユーリズ女史は顔をあげ――思わず、教え子の変貌に見惚れた。
前から、抜きん出て可愛らしいと思っていたが……少女の内側からにじみ出る、気品のような眩しさが増している。
(ちょっと待って。三ヶ月かけて、ようやく耐性つけたのに、なんで更に強化されてるの?!)
――可愛すぎか。
必死に言葉を呑み込む。
「さ、先生、お掛けになって。私、紅茶を淹れられるようになりましたの。良かったら、先生にも飲んでいただきたいのですけど……」
――勿論、いただきます。
「まぁ、すごいですわ。それは是非。」
辛うじて家庭教師の体を維持しつつ、案内された席へ。間髪いれず従者の少年が、す、と椅子を引いてくれた。
(…至れり、尽くせり……ッ!)
――もうだめ、勘弁してください……
予想を越えた、まぶしい美少年と美少女の歓待ぶりに、ユーリズ女史は内心でマナーを放り投げたくなった。
アリス・ユーリズ女史は二十三歳。若くとも優秀な歴史、法学者だ。
――――……そして、綺麗で可愛いものには兎に角弱い、妙齢の乙女でもある。




