64 みつけて、と願う心(後)
バード邸の庭は、夏のあいだは特に森のようだ。不規則に植えられた木立は剪定を最小限に、大きさも種類もさまざまで、正面の門扉から本邸の扉までは、ちょっとした森の径の様相を呈している。
「まるで、本当に妖精を探してる気分だ…」
額から流れる汗を手の甲で拭いながら、少年は呟いた。
じりじりと照りつけるのは、天頂を過ぎたばかりの眩い日射し――さすがに、暑い。
結局、自力で主を探す羽目になったレインは、おそらくは庭だと当たりをつけて方々を歩いている。足音は、なるべく立てない。
(前回より、避けかたが露骨だし。僕に見つかったときに逃げにくい屋内は、ないと思う……あ!)
見つけた。
冷静に考えた結果ではあるが、視界の端に少女の白いワンピースの色を見つけた瞬間。少年は安堵とともに、自分の読みが当たっていたことに、ちくりと刺さるような寂しさも覚えた。
――つまり、それだけ避けられている、ということだから。
束の間、呆然と立ち止まったものの、要らない自己憐憫は、ふるふると頭を振って捨てる。
レインは、そっと目当ての場所へと足を向けた。
「――…?」
近づくごとに、木陰の濃さ――葉の繁る密度に気がつく。この一帯は特に、涼しい。
(なるほど。エルゥ様は、本当にこの庭の主……妖精の姫君みたいだ)
かさり。
あえて、音をたてて植え込みを分けて覗く。
――そこは、森の奥にある緑蔭の泉のようだった。
* * *
「エルゥ様…?」
音をたて、側まで近づいても、黒髪の少女は泉の傍らの石の長椅子から動かない。膝を抱え込んだ姿勢のままだ。
仕方がないので、レインは「…失礼します」とおそるおそる、一言断ってから彼女の右隣に座る。石の座面は、ひんやりとしていた。
小さくなって動かない、黒髪の艶やかな少女の後頭部から、そっと視線を外す。
両手の指を組んで膝の上に置き、前傾で体重を分散させて、楽な体勢をとる。
――――見るともなく、眼前を見つめた。
本当の泉かと思ったが、どうやら噴水の仕組みで湧き水を模しているらしい。
ごく自然にできたような窪地に白っぽい石をまばらに敷き詰め、ちいさな泉と為している。
こんこんと盛り上がり波打つ澄んだ水面は、はるか高みの空と濃い緑の影を、揺らめく鏡のように映している。
散ったばかりの緑葉が浮かぶ水底には、落ちた朽ち葉、小枝が重なるように沈み込み、静謐な空気を醸し出していた。
――時間の流れが、些末に思えるような…
「…どうして、来ちゃったの?」
隣から、抱え込んだ膝に顔を当てたままの、くぐもった声が聞こえた。
意識をぼんやりとさせていた少年は、ハッと気づき、詰めていたらしい息と心情をゆるやかに溢す。
「…エルゥ様から嫌われると、つらいので。どうしても、二人で話したかったんです」
「……つらい?レインも?」
少女は、ようやく顔を上げた。
白い、上質だが飾り気のないワンピースとはちがう、陶器のようにきめ細かな肌。湖みたいな青い目の縁が、うっすら赤くなっている。
泣かせた事実に気がついて、レインのなかで凄まじい勢いの後悔が渦巻いた。
「…僕に、つらくなる権利はないんですけど。本当に、すみません……エルゥ様の気持ちを、もっと考えるべきでした。
焦ってたんです。白状すると」
隣にちょこん、と行儀よく座るエウルナリアは、この場所だと本当に精霊じみた雰囲気になる。
今は静かに従者の少年の言葉に耳を傾けてくれているようで、僅かに小首を傾げている。
――「続けて?」という意味だろうか……
観念したレインは、主の、無言の仰せのままにする。
「僕は……エルゥ様を好きです。ずっと。…でも、他の誰かの想いびとになってる貴女を、何でもない顔で見ているだけなんて、出来ません。口づけたのは、今でも謝りませんけど。
エルゥ様に、僕の焦りをぶつけてしまったのは、本当に勝手でした。…申し訳、ありません」
「……」
ざっと、言葉の最後では主の足下で方膝を付き、頭を垂れて許しを乞うレイン。
しかし、反応がない。
やっぱり、すぐには許していただけないか……
そう、苦く思い始めたとき。
目の前で、サンダルに包まれた少女の透けるように白い素足が、小刻みに震えているのが見えた。
(足の爪、きれいで貝みたいだ。小さいな…)
つい、まったく関係のない所に持っていかれた少年の意識は次の瞬間、エウルナリア特有の鈴を振りまくように朗らかで透きとおった笑い声に、軽やかに拐われた。
「――……ふっ…ふふっ…レ、レイン!貴方ってば、本当に……っもう!ひどい従者ね?あはははっ!」
言葉と表情が、まるで一致していない。ものすごく楽しそうだ。
レインは一瞬呆気にとられたあと、じわじわと嬉しくなり……少し紅潮した頬で、微笑みを浮かべた。
そんな彼の笑顔に目をとめた少女は、ふと笑いを納めて、しずかに表情を改める。
「……私、貴方のこと、初めて会った時から『すごいな』ってずっと思ってたの」
ふわっ…と、少年の目の前でサンダルの素足が地に着いたかと思うと、白いワンピースの裾が空気をはらんで一瞬、広がった。
エウルナリアは、膝を付いたままのレインに目線を合わせるように、自らもその場にしゃがみ込む。
――目元は赤いが、発せられる空気は、すでに柔らかい。
「でも、ちがったんだね。レインは私と同い年で、私よりキリエを困らせるくらい、やんちゃで……私のことも、いっぱい困らせて。すごく、つらかった。貴方に嫌われたんだと思って」
何かを言い募ろうとしたレインを、少女は黒髪をふるふる、と揺らして押し止める。
「嫌いになられても、それはレインの自由だからいいの。悲しかったのは、私の勝手。けど……こうして、探しに来てくれて、嫌われてないって分かって…すごく、嬉しい」
エウルナリアは、今までで一番、やわらかな光が零れるような表情で――心の底から微笑むことが、できた。
「ありがとうね、レイン。…私、貴方のちっとも従者らしくないところ、大好きよ」
――姫君の棘は、やっと抜けた。




