58 迫る課題の期日
夏の夜は短い。
レガートの場合は殊更涼しく、室内でも夜着の上に薄手の長衣を羽織らないと、肌寒いほど。
――昼前はキーラ邸で過ごし、午後からは離れで過ごした今日の一日を、エウルナリアは就寝前のハーブティーを嗜みながら振り返っていた。
まだ、仄かな湯気が鼻先を温める、甘い香りはカモミール。少し独特な風味で好き嫌いは分かれるが、エウルナリアは嫌いではない。
安眠・沈静・リラックスなどの効能があったはずだが…確認しようにも、これを優しさと一緒に淹れてくれた乳姉妹のフィーネは、少し前に下がってしまった。
(まぁ、明日にでも聞こうかな)
黒髪の少女は、茶器の温もりを両手で支えながら、使い慣れた飴色の机上に目を向ける。そこにあるのは、十歳の令嬢にしては難解なのでは……と心配になるほど積み重なった、歴史書や論文の数々。
『大陸の統一と解放』
『大陸東西街道と都市造営に関する考察』
『レガート皇国皇族系図・初版』
『レガート皇国史序・草案』……等々。
昼間、フィーネに頼んで国立図書館から借りてきてもらったそれらに夕食後、片端から目を通してみたが、示し合わせたように無いものがある。
――千二百年以上前に、大陸を制覇したレガート帝国の皇帝たち。
初代皇帝とその息子、二代皇帝の《名前》が、どこにもない。生没年すら、ばらつきがあり、あやふやになっている。
普通、歴史上の偉人なら名前くらい残る。ましてや彼らは、歴とした大陸の覇者とその息子だ。それが――皇族の系図ですら、称号による無機質な記述のみだった。逸話の類いも、あまりない。
おかしい。これじゃまるで――……
(…わざと消した?)
この国は、調べれば調べるほどおかしい。研究者が押並べて、論題にも上げないなんて不自然すぎる。
そもそも、名前を意図的に消して何の効果があるのか。仮にも戦勝国の統治者の、存在そのものを抹消するようなこと…
「あ!」
ひとつの可能性に、突然かちりと光が当たるように気がついた少女は、思わず声をあげた。
同時に、茶器のなかで温くなったカモミールティーも揺れて、幾らか溢れた。
「あぁぁ…やっちゃった…」
絨毯に残った、お茶の跡。
黒髪の少女はちょっと情けない顔になる。
(まぁ、いいか。明日…キリエに怒られよう)
まだ残る中身を飲み干して、コトンと机に置くと、少女は寝台にころん、と転がった。
夏期休暇の終わりまで、あと十日ちょっと。
来るユーリズ女史との対談まで――…
活動限界となったエウルナリアは、あっという間に眠りに落ちた。




