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楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
十歳篇 帰国後の夏

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57 未来への魔法

 目の前で、赤髪の少年が楽器を分解している。

 つるりとした正方形の机の上に広げられた、さっきまでトランペットの形をしていたものたち――マウスピースは勿論、三本のピストンも、管も。淡々と迷いなく、丁寧に外されて並んでゆく。


「大胆だね…」


 思わず呟いた黒髪の少女に、少年は言い返した。


「…君も大胆だよ、エルゥ。懲りずになんで、俺と一緒にいるわけ?」


 どこか、()ねているような声。

 グランは、感情を隠すのが上手なときと、下手なときがある。――今は、後者。


 二人は今、金管楽器室に椅子を持ち込んで座っている。開けたままの扉を背にするのがエウルナリア。ホルンやユーフォニアムを背にするのがグラン。


 エウルナリアは、『説得はまだ途中なの』とレインにもう少し時間をもらった。彼は、扉は開けておくことを条件に、一階のサロンへお茶の準備に行っている。

 次に、従者の少年が呼びに来る時。それが刻限(タイムリミット)だ。


 グランは黙々と、机上の小さな水桶で細かな部品を洗い、軟かな布で丁寧に水分を拭き取っている。時には、細い棒の先にふわりと巻き付けた布も使う。右隣で頬杖をつき、興味深そうに彼の手元を見つめる少女には、一瞥(いちべつ)もしない。――徹底した職人ぶりと言える。


「説得がまだ、途中だからよ」


「……」


「あの時、なにか言いかけたよね?」


「……」


「確か『エルゥさえ望むなら、俺は』…」


「あぁぁぁ!もう!ちょ、待て!」


 (やっと、こっち向いた)


 真っ赤な顔のグランに、エウルナリアはにこっと笑った。


「素直なグランは、好きよ」


 更に真っ赤になったグランは、「すっ……!」と鸚鵡(おうむ)返しになりそうになったのを、(すん)でのところでパシン!と音がなるほど強く自らの口を押さえることで、呑み込んだ。


「……勘弁してくれよ。何、俺のことどうしたいわけ?」


「うん。グランには、お家のこととか関係なく、好きな道を選んでほしいの」


「……」


「聞かせて。あんな音を出しときながら『やめる』が本心なんて、言わせない。どうしたい?」


 赤髪の少年は、いつの間にか手を止めていた自分を咎めるように、再び作業を始めてしまった。――今度は、もっと吸水性の高い軟かな布で、丹念に水分を取っている。


「……そーだな。じゃあ、君と婚約したいって言ったら、できるの?」


 部品が完璧に乾いたことを確認してから、オイルを差して器用に元通りにしていくグラン。


「できるよ。私が学院を卒業する時、貴方を選んでいれば」


 ぴたり、と手が止まった。紺色の目は組み立て中のピストンを、見ているようで見ていない。

 エウルナリアは、続けて説明することにした。


「…この春、お父様に言われたの。私は一人娘だから、将来の旦那さまか私か、『どちらかは必ず皇国楽士団に入りなさい』って。

 たぶん、奏者ではだめだと思う。独奏者(ソリスト)くらいの実力を求められてる」


「……」


「グランとの婚約を断ったのは、約束があったからだよ。お父様は、私が選んだひとと…その、婚約させると言ってたから」


 コトン、と組み立て中のピストンが机に置かれる音がした。


 (あ。また、こっち見た)


 エウルナリアは、頬杖をついたまま小首を傾げた。


「…他には?まさか、本当に私と婚約…えぇと、したいの?」


 グランは束の間、呆れたように――信じられないものを見るように、たっぷりと黒髪の少女を凝視した。


「…好きだって言ったろ。聞けよ、人の話。他も何も、一番はそれだよ。エルゥと結婚できるなら、俺は騎士でも楽士でも職人でも平民でも、なんでもいい。

 ――独奏者(ソリスト)になれと言うなら勿論、なってやるよ」


 最初は呆れた声音だったが、徐々に瞳に力が込められ…やがて、宣戦布告のようなそれとなった。熱の(こも)った紺色の目は、少女の、少し戸惑うような青い瞳に向けられている。


「え、それじゃあ…」


「いーよ。続けるよトランペット。楽器の勉強も、もっと真剣にする。で、エルゥに俺を選ばせる。…まだ、好きなやつはいないんだろ?」


 エウルナリアの瞳が、戸惑いから驚きにその表情(いろ)を変えた。


「よくわかったね…」


「わかるよ。まだ、誰のことも好きになったことないだろ」


「十歳のくせに」


「十歳でも、初恋は済ませてんだよ」


「…えっ……?!」


「そこは、突っ込むな。お願い」


 ふふっ、と自然に笑い声が(こぼ)れた。

 その幸せそうな声音に、つられてグランも口の()を上げている。


 伏せられた赤みを帯びた睫毛の下で、紺色の瞳が楽しそうに、手元に戻る。

 少女の目の前で、カチャカチャ、コトンとリズミカルに続けられる作業。



 ――まるで魔法のように。


 白金色のトランペットは輝きを増し、分解される前よりもずっと、うつくしい姿を取り戻した。


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