56 囚われの姫と、騎士見習いの誓い
――バード邸の離れの長く続いた歴史上で、こんなことってあったろうか……
結果的に遊びに来た友達と、防音の個人練習室で二人きりになった挙げ句、窓際にやんわりと閉じ込められてしまったエウルナリアは、軽く混乱した。
「あ、あの……グラン?」
「……何?エルゥ」
「どうして、囲っちゃったの?これじゃ、逃げられない」
「そりゃ、逃がさないために決まってる。良かったね、勉強になったろ?」
(そうじゃなくて!)
エウルナリアは、きっ!と眦をきつくしてグランを睨んだ。
――が、動じない。
どころか、嬉しそうですらある。
「話、あるんだろ?聞くよ」
理不尽な思いは燻るものの、そうか、逃げられないのか……と、潔く切り替えた少女は、どくん、どくんと騒がしい心臓が落ち着かないまま、当初の目的を果たすことにした。
白金色のトランペットを、きゅっと抱きしめて、深呼吸。……よし、大丈夫。
じっと見つめてくる赤髪の少年の、夜のような紺色の瞳を、出来るだけ真っ更な気持ちで見つめ返す。
――ここで退いたら、負けてしまう。
「グラン。トランペットは、やめちゃだめ」
「…え?」
よほど意外だったのか、グランは束の間きつい目を見開いて、無防備な表情になる。――…が、いちど目を閉じるとすぐ、元の顔に戻ってしまった。
「やめるよ。俺、騎士になるから」
(やっぱり……!)
金管楽器室での演奏の方が、彼の本心だった。確信を得たエウルナリアは、とにかく説得出来ないか糸口を探る。
「だめだよ…!勿体ない。トランペット、大好きなんでしょ?一緒に学院に入って、皇国楽士になろうよ。ね?グランの音ならきっとなれる。私、すごく好きだから……グランの音、まだ胸に残ってるし…消えそうにない。
まだ、聴きたいの。他のひと達にも、もっと上手くなって、たくさん聴かせてあげてほしい…!」
滔々と語る黒髪の少女は、いつもなら途中で『喋りすぎだ』と気づいて切り上げてしまうところを全て言い切った。必死さのあまり優美な眉はひそめられ、大きな青い目が潤んでいる。
長身の少年は、目の前で自分のために懸命になっている小柄な少女から、視線を外せずにいた。
珍しく頬の辺りも赤くした彼は、やがて夢見心地の体になり――正直ではあるが、的外れな悔恨を吐くために、口を開く。
「…俺、なんであんな誓い立てちゃったんだろ…阿呆過ぎる。目の前に、こんなにいい感じで捕まえてんのに……」
「冗談言ってないで、ちゃんと聞いて?グラン」
「うん、聞いてる。くそ……誓い、破っていいですか?姫君」
「だめです。淑女をなんだと思ってるの」
グランは一瞬、上の方を見ながら考えて、苦笑を滲ませた。
その苦さを含んだまま「…淑女はまぁ、置いといて」と小さく呟き、ゆっくりと少女の黒髪に隠れた、耳の辺りに顔を寄せる。
「――好きな子だと、思ってます」
染み込むように囁かれた言葉に、エウルナリアは細い肩をびくっと跳ねさせた。ついでに、心臓も跳ねた。
そっと、身体を離したグランの目に入ったのは、さっきレインのことで動揺したときと同じくらい赤くなり、狼狽えた様子を必死に隠す少女。
(やばい)
グランは、自制心を総動員した。
「エルゥさえ、望んでくれるなら、俺は――――」
ガチャッ
――前触れもなく、扉の開く音がした。
入って来たのは、レインだった。
* * *
つかつか、と部屋を横切り、無駄なく歩を進める従者の少年が最初にするのはもちろん、主の救出だ。
「失礼」
一言、断りを入れると易々とグランの左腕を払いのけ、エウルナリアを導いてさっさと囲いから出してしまう。
黒髪の少女は、左手で白金色のトランペットを抱きながら、右手を栗色の髪の少年にエスコートされていた。
「ご、ごめんなさい。レイン…ありがとう」
主の顔色と様子から、大体の経緯を察したレインは、申し訳なさそうに眉をひそめた。
「いえ、僕がもっと早くに来れば良かったです…どうでした?説得は出来ましたか?」
エウルナリアは、きょとん、と青い目を瞬いた。
「どうして、わかったの?」
「エルゥ様ですから。それに、グランを助けたいと願われるのでしたら、お手伝いしますと、言ったでしょう?彼、格好つけですから。居ない時間を作ること。それが、今回の僕に出来ることでした」
灰色の瞳に、油断のならない光を滲ませた従者の少年は、綺麗な顔でにこりと微笑んだ。




