53 グランとトランペット(前)
――たとえば、猫好きなひとが、初めて遊びに行った友達の家で、ものすごく好みの猫と出会ったとしよう。
念願叶ってバード邸の離れへと訪れ、二階の楽器室フロアに足を踏み入れた時のグランは、正にそれだった。
「すっげ…」
もう、何処から見たら良いのかわからないといった風情で、ただただ立ち尽くしている。
(グラン。口、あいてる…)
右隣からそっと顔を覗き込む青い目にも、気づいていない。重症だ。
ここは金管楽器室。
扉部分を除く四方の壁は、天井まで全てが棚だ。
その棚に、あらゆる金管楽器がケースに納められた状態で陳列している。
中央には一つだけ、今のエウルナリアでも寝転がれる大きさの、つるりとした木製の正方形のテーブル。椅子はない。
――勿論、大きくなってからは昇っていない。
エウルナリアは、動かなくなった友人を再稼働させることにした。
瞬きを忘れた紺色の目を見ながら、肩のあたりをトントン、と叩いてみる。
――やっと、こっちを見た。
「えぇと、金管が見たいって言ったからとりあえずこの部屋にしたんだけど…
大まかにいうと、扉側は低音楽器チューバ。左手がホルンとユーフォニアム。正面がトランペットとトロンボーン。右手は、実用には向かないけど、歴史的には価値がある昔の楽器だよ」
「いや…ケース見たら大体わかるから、まぁいいんだけど。
何、今の説明?!特に右手!歴史的価値ある昔の楽器とか、こんなとこにぽーんと置くなよ!俺を釣ってんのか?」
「釣ってないよ…で、見るの?見ないの?」
「あ、はい。見ます。スミマセン」
赤髪の少年は、ごく軽い謝罪を述べてすぐ、ぴたりと目当ての楽器に視線を定めた。
その様子が可笑しかったのか、静かに控えていたレインが、ふ、と笑った。口を押さえて顔を背けているので、どうやら堪えているらしい。肩や背中が、小刻みに震えている。
「くっそ…覚えとけよ、レイン。今の俺は忙しい。
…エルゥ、トランペット見ていい?一番、好きなんだ」
「ん、いいよ。高いところのはそこの梯子使って。気をつけてね」
「了解」
赤髪の少年は、いそいそと正面の棚に近づいて行った。
* * *
「姫君、これとこれとこれ、吹きたいです」
なぜか、楽士団の奏者のような口ぶりになったグランに驚きつつ、エウルナリアはこくん、と頷いた。
彼がテーブルの上に並べたのは三本のトランペット。既にケースから出され、それぞれ色味の違う、けれどどこか柔らかみのある真鍮の輝きを放っている。綺麗だ。
「マウスピース…唇に合いそうなの、あった?こっちも、各種ございますが」
ぱかん、と用意しておいたジェラルミンケースを開くエウルナリア。グランにつられて、ちょっと敬語になっている。
既に騎士見習いであることを忘れたに違いない赤髪の少年は、呆然とした顔で、宝石のように煌めき、丁重に陳列するマウスピース達に絶句する。
「まじか…なに、この至れり尽くせり。
何なのエルゥ。俺にこれ以上惚れさせて、どーすんだよ」
思わず、飛び出た冗談に黒髪の少女は声をあげて朗かに笑った。特徴のある、音楽的な笑い声に二人の少年はつい、惹きつけられる。
「ふっ…ふふ…あぁ、くるしい。
どうもしないよ。選びなよ」
目じりに、うっすら涙をためた少女が笑いを抑えきれずにいる様子に、少し眉尻を下げ、目の光を和らげるグラン。
エウルナリアは、彼もこんなに柔和な表情になる時があるんだな――と、滲む視界の中、ぼんやりと思った。
「…うん?そっか、残念。
――じゃあ、これと…これかな。ありがと」
グランはエウルナリアの手元のケースから、通常の金色のマウスピースと、銀色のマウスピースをそっと選びとり、大事そうにテーブルの上に置いた。




