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楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
十歳篇 帰国後の夏

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52 帰る、わけがないよね?

 キーラ邸を後にした一行は、肌を焦がすよりも先に、目を眩ませるほどの白い陽射しを避けるため、真っ先に街路樹の木陰まで(あゆ)んだ。


 街路の守り手にしては、道に沿って居並ぶ木々はとても大きい。葉の一枚一枚は大人の手のひらほどもあり、張り出した枝振りもよく、頼れる存在感がある。


 大人二名に子どもが三名。計五名の一行は、彼らの緑蔭(りょくいん)がもたらす庇護の元つつがなく、そう長くもない帰路を辿(たど)る。

 涼しい風が渡る度、サラサラ…と葉の揺れる音が彼らの耳に、優しく届いた。


「…楽しかったね!やっぱり、がんばって熱、下げてよかった」


 黒髪の少女は白いレースで編まれた日傘をさしながら、同意を求めるように素直な心境を(こぼ)す。見知った顔に囲まれた彼女は、とてものびのびとしている。




 ――時刻は昼前。


 あのあと、バード邸の護衛役が迎えに来たとの報せを受けて、半ば《ほのぼの公開裁判》と化した茶会は、お開きとなった。

 自らも被告人席に居たはずなのだが、「楽しかった」と(くく)れるあたり、エウルナリアに(こた)えた様子は全く見られない。

 同意とは少し違うかもしれないが、答える声は()ぐ近く、斜め後ろから聞こえた。

 

「良かったですね、エウルナリア様。確かに、帰国した初日は苦い薬湯(やくとう)も残さず飲んでおいででしたし……母のあれ、すごい味でしょう?」


 少女は日傘を傾けて、顔だけ、ちらっと振り返る。白いレースの向こう側、視界に映ったのは木陰を歩くレインだ。


 綺麗な栗色の髪は、日陰では濃い茶色に、日の当たるところは飴色に見える。柔らかに細められた灰色の目は――石畳からの反射が眩しいのかもしれない。


「うん。でも、残すとキリエは怖いもの。私、昔から全部飲んでるよ?コツがあるの。今度、レインが熱を出したら教えてあげるね」


「熱は…出したくないですが、そういうことなら楽しみです」


 にこにこ、と涼しく整った顔を綻ばせるレイン。

 黒髪の少女は、余所(よそ)行きではない彼のそんな笑顔を気に入っているので、嬉しそうだ。


 微笑ましい主従に、護衛役の二人もつい、頬が緩みそうになる頃――すんなりと一行は、バード邸に帰着する。

 護衛を引き受けてくれた男性達とは、ここでお別れだ。

 彼らは令嬢からの謝礼を一礼して受けとめ、にこやかに門扉の内側にある守衛舎へと入っていった。


 ――ちょうど、正午。


 少女と少年達は、森のような不規則な庭を抜けて本邸の扉まで辿り着いた。

 それまで静かにしていたグランが、ふぅ、と深く息を吐く。

 正装で楽士伯令嬢の送迎を(にな)う…というのは、騎士見習いにとって、なかなかの大任だったらしい。

 くるり、と(きびす)を返そうとする。


「じゃ、俺は役目も終わったことだし…」


「…帰らないよね?見習いさんだから、今日はまだ夏期休暇でしょ。お礼がてら、一緒にお昼食べようよ。午後から離れに行くんだけど」


「是非、ご一緒させてください」


 返した踵をもう一度くるっと返し、嬉々として引き留めてくれた少女の元へ、走り寄るグラン。


 ――現金だ。

 でも、こっちのほうが(グラン)らしい。


「ようこそ、バード邸へ…歓迎するわ。楽器が大好きな騎士見習いさん」


 エウルナリアは、にこっと花が咲くような笑みを浮かべると、ふわりと淑女の礼をとり、快く赤髪の少年を招いた。

 レインに開いてもらった扉の内側――エントランスに入り、あの日、彼が素っ気ない挨拶をくれた場所へ。


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