50 まぁ、お茶でも飲みましょう
「ロゼルっ…!」
どれだけ冷たい声でも、ある意味一年中、春の妖精のようなエウルナリアには通じない。
黒髪の少女は、この日一番の輝くような笑顔を浮かべると――淑女としては少々行儀が悪かったが――カタン!と椅子から降りて親友に駆け寄り、そのまま勢いよく抱きついた。
ややあって、追いついた薄桃色のシフォンの裾が、ふわ…っと再び少女の華奢な身体に纏いつく。
「会いたかった……会いたかった!
もう、話したいことがいっぱいあって…!」
「はいはい。私も会いたかったよ、毎日。
…来てくれて、ありがとうね。エルゥ」
四阿から飛び出したエウルナリアを、優しく抱きとめる理知的な少年。
彼は愛しげに少女の黒髪を撫で、自らに巻かれた白い腕をそっと外す。
そのまま彼女の顔をじっと覗き込み――甘さを宿した深い緑の瞳で、柔らかく微笑みかけた。
……ように、グランには見えていることだろう。安心してもいい。レインにも同様の景色が見えている。
彼が、彼女であると理解した上でもだ。
「……なぁ、レイン。ロゼル様って…令嬢じゃなかったの?つうか、二人…え?なに?内々で婚約でもしてんの?」
心なしか、顔色が悪い。
ちょっとは、先ほどの罰になったろうか…と、ちらりと考えたレインは、出来るだけ平淡な声となるよう、努めて話す。
「ロゼル様は、歴とした令嬢ですよ。ただ、男装が常の方なんです」
「……あれ、男だろ。どう見ても…」
(さっさと信じたほうが、先々で楽ですよ。グラン)
レインは、灰色の目に生温かい哀れみを湛えて、茫然と佇む赤髪の友人を見つめた。
* * *
一通り騒いだあと、四人はようやく席に着いた。最初に案内をしてくれた使用人の男性が、椅子を二脚、追加してくれたからだ。
丸テーブルの上に置かれたのは、四人分のアイスミルクティー。予め冷やしておいた紅茶と、脂肪分の少ないミルクを混ぜて出来上がり。
これに、好みで薄荷の葉や蜂蜜などを加える。――エウルナリアは勿論、蜂蜜の一択だ。
「で、そこのでかいの。名乗りもしないのが最近の騎士見習いか?」
収まりかけた場に、不穏な空気が漂う。
挑発を受け取ったグランは、きつい紺色の目を一層険しくし、組んでいた腕をほどくと速やかに立ち上がり、紳士の礼をとった。
ぴし、と完璧な角度で背が止まる。
「…大変、失礼。ロゼル嬢。シルク商男爵の第四子、グランと申します。以後、お見知りおきを」
「あぁ、覚えた。…いいよ、座って」
あからさまに受けた屈辱に、怒りの矛先をどこに向けていいかわからなくなっているのだろう。赤髪の少年は、男装の少女の指示通りに座ることが出来なくなっている。
さすがに心配になったエウルナリアは、咎めるような眼差しを親友に向けた。
「ロゼル…言い過ぎよ?グランは、たまたま面識はあったけど、セフュラ行きの船で仲良くなったの」
「へえ。仲良くなったら、了承もなく抱き寄せていいの」
「その直前には、エルゥ様の髪を引っ張っておいででした」
「レイン!お前、売んなよ!無くすぞ、友達!」
「友達なら、主への無体を許すとでも?」
「――――っ…」
口を挟まず、傍らからずっと三者の攻防を眺めていたエウルナリアは「あ、着地点が見えた」と思った。
…やがて、立ったままのグランがちらり、とばつの悪そうな顔をエウルナリアに向ける。いつもは生き生きとしたきつめの紺色の瞳も、今は複雑そうだ。
赤髪の騎士見習いは、黒髪の少女の足元に跪いた。
「…エウルナリア嬢。先ほどの無礼をどうか、お許し下さい。わが剣にかけて、火急の場合でもない限り、二度と了承もなく貴女を抱き寄せぬと、誓います」
(えらい、限定的な誓いだな…)
グランを除く三者の心には同時に、ほぼ同様の感想が浮かんだ。
しかし、それでもまぁいいか、で片付けてしまうのがエウルナリアだ。よって――
「えぇ、許します。グラン様。
今度、無体をなさったら敬語と敬称がもれなく復活しますわ。私も、面倒なことはしたくありませんの。…ね?」
――わかってるよね?とばかりに小首を傾げた。
ふぐぅ、と笑いを無理やり押し込める声が、黒髪の少女の足元から聞こえたが、聞かなかったことにする。失礼だな、もう。
「か…寛大なお心に、感謝申し上げます…っく。…肝に命じます…っふ…ふふ…。あぁもう!最高かよ、エルゥ!
……って。ほんと、ごめんな。…悪かったよ」
最後の言葉は、真摯に彼女を見上げての謝意に満ちていた。
エウルナリアは、にこっと悪戯っぽく微笑む。
「うん。いいよ、もう。気にしてないわ」
それはそれで――
苦い笑顔となるグラン。
「さて。じゃあ仕切り直しだな。
…とりあえず、椅子に座ってくれグラン殿。私からも敬称を取りたければ、だが」
何食わぬ顔で席をすすめるロゼル。
グランは、ほろ苦い微妙な笑みを浮かべたまま、一度目を瞑って軽く息を吐き――
「勿論です、ロゼル嬢」と、ありがたく席に着いた。




