表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
十歳篇 春、始まる
5/119

4 乳母の手土産

「ご無沙汰(ぶさた)しています、エウルナリア様!やっとお顔を見られて嬉しゅうございますわ。今日はお時間をいただき、本当にありがとうございます…!」


 翌朝、朝食を終えて自室に戻ると、待ちかねていた来客があった。

 ふくよかな体躯(たいく)を揺らしながら、おおらかな雰囲気とともに挨拶をくれたのは乳母のキリエだ。なつかしい温かみのある声に、胸がじわじわと嬉しくなる。


 けれど…


 エウルナリアの視界に入ったのは、キリエの斜め後ろに(たたず)む少年だった。年の頃は同じくらいだろうか。水色の従者服がよく似合っている。

 キリエやフィーネよりも少し栗色っぽい、(つや)やかな髪を後ろで一つに束ねている。瞳は灰色。涼しげな面立ちに緊張の色が見える。ひょっとして――


「お久しぶりね、キリエ。会いたかったわ。来てくれてありがとう。あの…ひょっとして、そちらは……?」


 おそるおそる、何者なのか尋ねてみる。多分、思う通りの人物のはず。


「はい。こちらは私の息子で、貴女の乳兄弟(ちきょうだい)にあたります。名前はレイン。長らくお側を離れていたのは、これを貴女の従者にすべく鍛えていたからですわ!」


 キリエは誇らしそうに豊かな胸を張って告げた。もともとの貫禄が二倍増しだ。

 その時、ようやく少年――レインが前に進み出て、右手を胸に当てて左手を腰の後ろに組み、優雅な仕草でお手本のような従者の礼をした。耳の辺りの真っ直ぐな後れ毛がさらりと流れ、端正な横顔に影を落としている。伏せた睫毛(まつげ)も栗色で、長かった。


「お初にお目にかかります、エウルナリア様。この度、貴女(あなた)の従者として側仕えとなりました、レイン・ダーニクと申します。未熟な身ではございますが、誠心誠意お仕えさせていただきます。どうぞ(よろ)しくお願いします」


「まぁ…!レイン。私に従者だなんて、今初めて聞いたからすごく驚いています。

 こちらこそ貴方(あなた)の良い主人となれるよう、がんばるわ。どうぞよろしくね」


 同い年の少年の丁寧な挨拶に驚き、エウルナリアはつい、思ったことを素直な気持ちで言葉にした。萎縮(いしゅく)させないよう、できるだけ好きになってもらえるよう、柔らかく微笑む。


 主から声をかけられたレインは顔を上げ、目をエウルナリアから外せなくなったように固まっていた。更に緊張させてしまったのだろうか。顔が赤い。


 (失敗したかな…どうしよう。できるだけ仲よくなりたいんだけど)


「…お嬢様。母は愚弟(ぐてい)に従者としての教育はもちろん、殆どをピアノの指導に費やしていたんですわ。よろしければ、このあと離れでお聴きになっては如何でしょうか?」


 この、何とも言えない空気を察してくれたのか、優秀な側付きであり、レインの姉でもあるフィーネが助け船を出してくれた。

 はっ…と、我に返るレインと、ほっと詰めていた息を吐いたエウルナリア。似ているようで全く違う彼らを面白そうに見ているのは、キリエだ。

 フィーネは、珍しくつん、と澄ましている。エウルナリアに対してのみ、いつも通りだが。


 レインのピアノには興味があったので是非(ぜひ)もなく、一行は――主に女性陣が談笑しつつ――離れへと移動した。




   *   *   *




 離れへ渡ると、サロンを通ってから小ホールに入るためのエントランスがある。

 しかし、一行は階段を上がって二階のピアノ室に入った。間取りの六分の一はグランドピアノが占めているものの、聴き手のための椅子は六脚備えてある、がらんとした部屋だ。四名なら充分の広さだった。


 ピアノは、エウルナリアも(たしな)み程度なら弾ける。だが歌ほどは入り込めない。

 音そのものは好きなのだが、指を使うのがもどかしい。その点が上達の(さまた)げとなっていると、昔、父から言われた記憶がある。


 乳母のキリエのピアノは、豊かで優しい。

 どんな歌でもエウルナリアの呼吸に合わせてくれたし、例え独奏でも途中からつい、合わせて歌ってしまう。それを受け容れてくれる(ふところ)の深さがあった。


 (レインはどんな音なんだろう…)


 どきどきするエウルナリアの前で、グランドピアノの椅子を自分に合わせて調節したレインが、浅く腰かけた。

 ギッと(ふた)を開けて、白と黒の整然と並んだ鍵盤(けんばん)に視線を滑らせてから、そっと手を置く。まだ幼さの残る手だが、節の目立つ長い指だ。


 束の間目を閉じて深呼吸し…口から細く息を吐いたあと。

 そこには、今までと違う表情のレインがいた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ