40 影を照らす光に、なればいい
すみません。2/8、10:00頃にあちこち加筆しました(>_<)
内容に変わりはありません。
「…歌いたいなぁ」
ぽそり、と呟いた言葉は、誰もいない部屋の窓辺に吸い込まれて消えた。
キウォン宮の小宮殿。
エウルナリアに与えられた二階の部屋には、東に面したベランダがある。
彼女は、そこに佇んで中庭を見下ろしていた。上から見ると、中庭の水路はちょっとした迷路のような幾何学模様をしていることに気づく。噴水がきらきらして、今日も綺麗だ。
少し開けた場所では、四名の正騎士と騎士見習いのグラン、そしてレインが剣の稽古をしている。木剣を使用しているせいか、時おり「カンッ」「カーンッ」と、乾いた木の打ち合う音が辺りに響いた。…けっこう激しい。
レインは、こうして上から離れて見ると、華奢だ。ピアノを弾く姿が力強いせいで失念していたが、彼は細身な体つきをしている。グランが、育ちすぎなだけかも知れないが…
エウルナリアはつい心配になって、何となく上から彼らを見守っている。
宴の翌日は、アルムからのお達しで楽士一同、休日となった。
キリエとフィーネも同様で――つまりエウルナリアは、今日一日を一人で過ごさなければならない。
小宮殿に残るのは、騎士以外では、ひたすら寝ていたい楽士か、出掛けるよりは楽器があればそれでいいと思える、ある意味際立った楽士か…の、どちらかだ。
しかも、休日を通達したアルム本人は、今日は単独の歌い手としてジュード国王に招かれているらしく、朝から姿が見えない。
――八方塞がりか。
「うぅ…耐えきれない…」
その時、絶妙なタイミングで部屋の入り口からコンコン、と音が聞こえた。
思わず、伏せていた顔をぱっと嬉しげに上げて「どうぞ?」と入室を促す。すると――
「姫、今日は暇だと聞いた。私でよければ遊んでやろうか?」
――この場にいるはずのない国王ジュードの、低く、豊かに響くバリトンの声が聞こえた。
* * *
驚き過ぎたエウルナリアは、警戒心を忘れた。
つい、素で喋ってしまう。
「ジュード様…どうして?お父様のお仕事先にいらっしゃると思ったのに」
ベランダで呆然と目を見開いて、しかも『おじ様』とは言わないエウルナリアに、国王ジュードは破顔した。元々の美貌が並外れているので、その表情には凄まじい攻撃力がある。
黒髪の少女は、本当にこの人、なぜその顔で奥様方と仲よくなれないんだろう…と考えてしまった。
ジュードは、少女のそんな失礼な考えに気づくこともなく、風に靡く紗のカーテンを手で避けながら泰然と歩を進め、ゆっくりと部屋を横断する。
「…アルムには、うちの妃達に歌を聴かせてもらっている。すまんな、家族水入らずを邪魔して」
「いえ。父が、元々こちらへ仕事で来ているのはわかっています。父の邪魔をしているのは、私の方ですから」
「そうか?邪魔とは思わんが…」
いつの間にか、ジュードはベランダに佇む少女の隣に並び立っていた。
朝の光がプラチナの髪に反射して目映い。細められた紫の瞳は、今朝はなんだか優しげで穏やかだ。
(……?)
不思議に思った少女は、小首を傾げて長身の王を見上げ、問いかける。
「あの…何か、良いことがありましたか?今朝のジュード様は、とてもご機嫌に見えます」
「ん、わかるか?…そうだな。アルムと姫のお陰だ。察しているかと思うが、私は妃達を全く好いていないので」
…この国王陛下は、美麗な外見に反して恐ろしく舌鋒が鋭い。
エウルナリアは他人事とはいえ、少し彼の奥方たちに同情してしまった。
「それは…理由をお伺いしても?」
踏み込んできた少女の反応が意外だったのか、ジュードは軽く紫の目を見開いた。
――が、すぐに何の拘りもない様子で中庭に視線を移しつつ、話しはじめる。
「…姫は、セフュラの政治体制は、わかるかな。
うちは、国土が多様で広いだろう?北の火山地帯、大河の東の森林地帯、南の港湾、そしてここ、セフュラの湖沼地帯。まぁ、他にもあるが。
束ねるのが難儀だった、大雑把な先祖がいらん風習を遺してな――各地を治める大貴族から、一名ずつ妃を差し出せと。要は人質だ。
…これが中々、形骸化も甚だしく、貴族ごとの温度差も激しい。問題物件を押し付けたり、最初から形だけの妃だったり、適当な養女を放り込んだりと様々だ。
あとは、わかるな?これが普通の家ならば、家庭崩壊ものだぞ。子どもがいないのが唯一の救いという、本末転倒ぶりだ」
話している間に再燃するものがあったのか、長台詞だった割に、本人はさらっとしている。
…堪えていない顔をしているけど、腹に据えかねる思いを、ずっと抱えてきたのだろう。
彫像のように整った国王の横顔は、却ってその心の内を隠すことに慣れているだけのように見えた。
ベランダの手摺に寄り掛かりながら、エウルナリアはふと、あぁ、と理解する。
このひとは――そう思うと、口から言葉が自然に零れ落ちた。
「お辛いですね…私では、耐えられそうにありません。
気を許して話せる相手や、父がいなければ…ですが。たぶん、私の場合は、音楽を好きになれませんでした。楽士伯家の娘なのに。
ジュード様が奥様方を好きになれないのは、会話も難しくて、信じるに値しないからとお考えだからなのでは…?
歩み寄ることが出来ないなら、予め根回しをした上で法を改正して、離縁は出来ないのですか?
奥様方も…お寂しいのだと思います。私なら、寂しいです。だからこそ、父の歌でお慰めできるのかも知れませんが…ん?ジュード様…?」
(しまった、喋りすぎた!)
エウルナリアは、さっと青ざめた。
はっ…と気づいたジュードは、そんな少女の様子に慌てて声をかける。
或いは、彼自身を落ち着かせるように、彼女の柔らかく波打つ黒髪を撫でながら。
「いや、すまん。ちょっと驚いた。
姫は、本当に十歳か?真面目に妃に欲しいくらい……あ、いや、アルムに断られているから、それはもういいんだが…」
(えーと。それは、どう反応したらいいの…?)
とはいえ、喋った内容を否定されたわけではないことにエウルナリアは安堵した。
詰めていた息を、ほっと吐くと、ゆるりと微笑む。
「よかった…。喋りすぎて、ジュード様にいやな思いをさせてしまったかと、不安だったの」
少女は気づいていないが、全くの素になると、彼女は敬語がおろそかになる癖がある。
真っ向から、その無防備な笑顔と言葉を受けた紫の瞳の王は…なんというか、不覚にも心の中のとんでもない部分を鷲掴みにされたような気がした。
(この子は…末恐ろしいな!)
エウルナリアによる、ある意味セフュラ陥落の瞬間だった。




