36 姫君の探険(6)
素朴なお店《土産と甘味処》でゆったりと過ごすうちに、時は過ぎる。
時刻は十一時。
今、エウルナリアの前には、選択を迫られる多くの逸品が並んでいた。
ハーブの匂袋、ドライフルーツの詰め合わせ、ドライフルーツ入りの紅茶、真鍮を細工したト音記号の形の楽譜どめ…
「全部、買っちゃおうかしら…」
「いや、流石にそれは大人買いじゃないか?子どもだけど」
決めかねて、ぽつりと呟くエウルナリアの黒髪に隠れた左耳のすぐ近くで、特徴のある素っ気ない声がぼそり、と響いた。
いつの間にか、用事を済ませたらしいグランが、少女の後ろからその手元を覗き込んでいる。
カウンターに設置された椅子に座った状態でのことなので、かなり距離が近い。
よく見ると、少年の右腕は椅子の背凭れにかかっていた。
一瞬、驚いて心臓がどくんと跳ねたが、時間も惜しい。
エウルナリアは、グランとの距離感はそのままに右手の人差し指を軽く曲げ、自身の下唇の辺りにあてた。
考え事をするときの、彼女の癖だ。
(ドライフルーツは外せない。紅茶も自分用に欲しい…楽団の皆にも、嵩張らずに配れるもの、となると…)
「あらあら、お嬢さんってば三角関係?」
「違います!」
折角、頭の中でお土産選考会に集中していたのに、店主の女性に揶揄われてしまった。
おかげで興が乗ってしまったのか、後ろの二人の少年が何やら不穏だ。――見なくても、わかる。
「エルゥ様。発言の許可を?」
「レイン、却下」
「俺は三角じゃなくていいぞ」
「グランも、意味がわかんないから却下!」
店主の女性は、笑いっぱなしだ。笑い過ぎだとも思う。「仲良しねえ」と言われたが…果たして、どうだろう?
――限られた時間を最大限に使ってお土産を選んだ黒髪の少女は、やがて二人の少年と共に《土産と甘味処》を後にする。
戸口の布の前では、女性の店主と隣の《熊ひげお爺さん》が並んで見送りに来てくれた。
そうして結局、三人が小舟に乗るところまでずっと、見守ってくれていた。
* * *
運河を遡り、蓮の花が群生するセフュラ湖へと小舟は進む。
少し蛇行しているのは、漕ぎ手が初心者のレインだからだ。
エウルナリアも少し漕いでみたが、難しかった。櫂を両方、同じように操るのも大変だったし、水面下に入れた櫂をぐっと舟の後方に押し出させるのも、想像以上に全身の力を必要とした。
今、一生懸命に漕いでいるレインは真剣で、少し汗をかいている。――彼は、いつも涼しそうなので珍しい。
グランは、意外にも綺麗な姿勢でエウルナリアの隣に座っている。すっと伸びた、少年ながらも鍛えた背筋。その姿は、紛れもない騎士見習いの男爵令息なのだが…
黒髪の少女は、まじまじとその横顔を見つめた。
「…何?エルゥ」
赤髪の少年は、少し居心地悪そうにちら、と隣の少女を見る。
エウルナリアは動じることもなく、淡々とその紺色の光を受けとめた。
「いいえ?何となく。グランはどうして騎士を目指してるのかな、と思って。
…本当は、楽器が好きなんでしょう?」
不機嫌そうだった赤髪の少年は、意外にも「あぁ、そのことか」と言わんばかりに一つ息を吐くと、表情を和らげた。
「俺は四男だって、言ったろう?えーと。込み入った話になるけど、俺の母は後妻なんだ。上の三人の兄は、前妻の子。…いや、仲はいいぞ?
でも、家督を継ぐのは長兄。補助は次男。三男の兄は昨年、正騎士になった。商才がないからってさ。
俺は楽器が好きだけど、家からは自立したいんだよ。そしたら、騎士が一番手っ取り早かったんだ」
それだけを一気に話し終えたグランは、小舟が揺れないよう、そっと立ち上がり、漕ぎ手のレインに「そろそろセフュラ湖だ。代わる」と、持ちかけた。
その背中は、何だか今までのグランより年上の、違う少年に見えた。
* * *
「誰でも、好きなことを続けられるわけではないのね…」
「グラン様のことですか?」
「えぇ」
無事に戻ってきた白亜のキウォン宮は、真昼の陽光の中で、よりいっそう輝いて見える。
幾分か涼しい風を通す、長い回廊を二人で渡りながらの会話だ。すれ違う女官や官僚達には、丁寧に会釈を交わしてやり過ごす。
場所が場所なので、あまり気楽な口調では話せなかったが、エウルナリアは帰路のグランの背中が眼裏に焼きついて離れず、どうしても気になった。
やがて、回廊はアーチ型の門に差し掛かる。
目の前には白い敷石の――浮き島の中庭。
客人用の小宮殿は、目前だ。
従者の少年は、徐に「どうぞ」と傍らの小さな主に手を差し出した。
(…?)
条件反射で手を重ねると、ごく自然な動作で敷石の上に導かれる。ちなみにレインは乗っていない。
――これは…
「よく、私がこういうの好きなの、わかったね?」
さすがに見透かされ過ぎだと、唖然とするエウルナリア。
何でもないことのように、にこっと微笑むレイン。
「僕は、エルゥ様が好きなように過ごせるよう、お側で力になるのが大好きなんです。…ご存じでしたか?」
「…初耳です」
なぜか敬語になりつつ、耳まで熱くなったことを自覚する。
…その時。
――――――ザアァッ…
一陣の風が吹き抜けて、噴水の滴を散らし、エウルナリアの日除けのフードをはらりと落とした。
レインは、主の黒髪から覗く真っ赤な耳に、しばし視線を奪われるが――ふい、と無理やりそれを外し、エスコートに専念する。
「…グラン様も、グラン様なりに考えて選ばれたんでしょう。でも…僕たちは子どもです。選ぶこと、選ばれることはこれからもたくさんあると思います」
レインの優しいエスコートで、エウルナリアはゆっくりと白い浮き島を渡る。
少女は、従者の少年の涼しげな声音に聞き入っていた。
「エルゥ様が、彼の手助けをしたいと仰るなら、僕もお手伝いしましょう。…ですから、思うままになさってください。
まだ若いのに、何やってるんだと殴ってやればいいんです。ただの、格好つけなんですから」
「後半は、ちょっと過激ね」
くすり、とエウルナリアは微笑んだ。
敷石はあと一つ。さすがに、お転婆に跳ねたりはしない。出来るだけ、そっと足を乗せる。
「…でも、それもいいかもね。…いいよ、必要ならやっちゃおう。私たちに、出来そうなこと。何でも!」
――着地。
浮き島をすべて渡り、ひとまずのエウルナリアの探検は、此処につつがなく終えられた。




