35 姫君の探検(5)
「いらっしゃい、坊っちゃん。今日は何が入り用だ?」
エウルナリアが《熊ひげお爺さん》と、名付けてしまった初老の男性は、気さくな雰囲気でグランに話しかけた。接客というより、年の離れた友人のような親しさを感じる。
「うん、坊っちゃんはいい加減やめてくれ。とりあえず、皮が見たい。柔らかくて高い音が出せそうな繊細なやつ。あと、舶来の真鍮鎖のサンプルを幾つか。それから木材。これも打楽器用。薄くて軽くて硬質な響きなら、尚いいな。くり抜きじゃない方がいい。板で頼む」
対するグランも、遠慮なく用件を伝えている。坊っちゃん扱いが嫌なのか、いいのか、それすらどうでも良さそうな気楽さだ。そして、飛び出す注文品がすごく専門的だ。
興味を惹かれたエウルナリアは、つい、話に加わってしまう。
「あの…それって、スネアーの材料ってこと?」
途端に、カウンター越しに会話していた、ちぐはぐだが似た空気を持つ二人が、発言した少女をぱっと凝視した。
「すげぇな、嬢ちゃん…!今のでわかんのか?
おい坊っちゃん、この美人な嬢ちゃん、何者だ?」
《熊ひげお爺さん》は、どことなく面白そうに、赤髪の少年の肩のあたりを突っついた。
「…スネアーって、裏に響き線を付けて、ザンっ!て音が鳴る小太鼓ですよね?」
すかさず、黒髪の少女の斜め後ろから、栗色の髪の従者も参戦した。
――わかった。レインは、負けず嫌いだ。間違いない。
店の主は、嬉しげに「おいおい、あっちの美人な坊主もか!」と、厳つい顔を綻ばせている。
グランはちょっと困った顔で少女を振り返り、どうする?…と言いたげな視線を向けた。
少女はそれに、そっと人差し指を口許に当てる。――レガートの楽士伯令嬢が、ふらふら国外を出歩いているという風聞は、例え夏期休暇中であっても避けたい。主に、父の名誉のために。
グランは意味を正確に受け取り、カウンターに向き合った。
「まぁ、それは置いといて」
「置いとくのかよ!」
「いいから、持って来いよ。頼む。お願いします、この通りッス」
「…しょーがねーなぁ。待ってろ」
店主は渋々、再び店の奥に入って行った。
赤髪の少年は、カウンターに肘をついたまま、ひらひらと片手を動かす。紺色の目が、ちらりと後ろの主従に向けられた。
「あとは、俺がやるんで。エルゥは隣の店でも覗いてて。さっきの親父の奥さんがやってる土産物屋だから、多分楽しめるはず。
…レイン、頼むな。大丈夫とは、思うけど」
紺色の目と灰色の目が視線を交わし、なにかを伝え合う。やがて、レインが口を開いた。
「わかりました。参りましょう、エルゥ様。
…グラン様。隣でお待ちしています」
主従の二人は、店主が戻る前に不思議な店を出た。
* * *
隣は、ちゃんとした店だった。
《土産と甘味処》という、何の捻りもない看板が掲げられていたが、エウルナリアはかえって親近感を覚えた。
――自分の名付けセンスの無さは、一応自覚している。
建物の造りは隣同士よく似ているが、こちらの方が、清潔感がある。開け放たれた窓の木枠には色んなハーブが束で吊り下げられ、乾燥中のようだった。
足元には、小さな青紫の花や黄色の丸っぽい花が咲いている。――…飾り方が素朴で、可愛い。
入り口の、扉がわりの布を捲って中を覗くと、各種雑貨類の棚と、果物を並べたテーブル、それに各種ドライフルーツを入れた硝子瓶の棚が見えた。
他の女性客も皆、歓談しながら思い思いの品を手にとっている。
(何ここ。素敵すぎる…)
エウルナリアは、胸の前で手を組んで、目を輝かせた。
――その時、陳列棚の影から、おっとりした女性の声がした。
「いらっしゃい。可愛らしいお嬢さんと、彼氏さん?二人ともきれいねー。どう?好きなもの、ありそう?」
思ったより若い女性だった。キリエより、少し上くらいだろうか。やはり、日に焼けた赤褐色の肌で、声に違わず見た感じも穏やかだ。派手さは全くないが、彼女だけに流れる独特な空気を感じる。
「全部、好きです…!」
「……彼氏…っ」
主従は、バラバラの答えだったが、タイミングだけはぴったりだった。店主の女性は、その様子を見てころころと笑う。
「そっか、まだお付きあい前かしら?よーし、おばさんがお奨めの品を出したげるわ。これ、飲みながら待っててね」
コトン、とカウンターに置かれたのは二つの小さなグラス。橙色がかった黄色の、トロリとした果汁が入っている。
二人は、行儀よく「ありがとうございます」と礼を述べてから、そっと口につけた。
――瞬間、揃って目を丸くする。
(生のマンゴー…だよね?…すっっっっごく、甘い!とろみが凄い!…何これ、好き!!)
エウルナリアは、ドライフルーツでしか味わったことがなかった南国の果物に、心の中で大絶賛を送った。染み入るようなくっきりとした甘さに、暑さにしおれた身体も喜んでいる。
ちら、と隣のレインを見ると、こちらも想像以上に美味しかったのか、幸せそうな顔で少しずつ飲んでいた。
(こうしてると、小動物っぽさすらあって、可愛いんだけどなぁ…)
主からの、やや残念そうな視線を感じたのか、従者の少年は「?」という表情で見つめ返す。
エウルナリアは、まぁいいかと、にこりと笑いかけた。
「美味しいね。レインもこういうの、好き?」
「はい、勿論。……好きですよ?」
栗色の髪の少年の、ふわりと空気に溶けるような笑顔に、なぜか周りにいた女性客らが頬を染めた。
…突っ込むべきではないな、と判断した少女は、ただ眉尻を下げて、静かに微苦笑をこぼす。
――頬が、少しだけ熱い気がするのは、日焼けのせいだと思う。




