33 姫君の探検(3)
キウォンは、運河の街だという。
大河から分かれた支流が蓮のセフュラ湖に流れ込み、そこから無数の川に分かれる。川と川を、時に人工的な水路で繋いだ街に道はなく、馬車もない。街中を巡るのは、ゆったりとした運河と小舟だ。
エウルナリア達は、桟橋に停泊している皇国楽士団の船の水夫に頼み、備え付けの小舟を出してもらった。漕ぎ手は、なんとグランだ。
キイィ…、キイィィ…、と、規則正しい櫂の音が湖面に響く。
今は座って、二本の櫂を使って進んでいるが、細い水路では足元に転がしてある細長い棹を使うのだと、赤髪の少年は息も乱さず、蓮の茎が絡まぬよう、器用に櫂を操りながら話す。
レインは若干悔しそうだが、灰色の視線はグランが操る櫂の動きからなかなか離れない。おそらく、自分でも漕いでみたいのだろう。
エウルナリアは青い目を輝かせ、物珍しい話と初めての小舟に胸をわくわくさせている。――それは、声音にも溢れていた。
「詳しいね…ひょっとしてグランは、何度もセフュラに来たことがある?」
「正解、エルゥ。うちは楽器商だから」
楽しそうな少女の声に、櫂を握る赤髪の少年は、どこか、くすぐったそうに答えた。
「…特に目当てがないなら、俺の用事を済ましがてら、案内させてもらってもいいか?楽器職人から幾つか、材料の調達を頼まれててさ」
「材料?」
――十歳の子どもが頼まれるおつかいにしては、内容が高度だ。
思わず目を丸くして鸚鵡返しになったエウルナリアに、グランは笑みを深くした。
「俺、小さいときから、店より職人のとこに入り浸ってて。目だけは鍛えられたから、いいように使われてんだよ。
…あ、着いた。ちょっと停めてくる」
赤髪の漕ぎ手の少年は、小舟を手近な岸に寄せると素早く立ち上がり、一切の躊躇も見せずに岸へ跳び移った。
一人分の体重が突然消え失せた衝撃に、小舟が、がくん!と揺れ、エウルナリアは座面から落ちそうになる――が、隣に座っていたレインが主の小さな肩を抱き止め、事なきを得た。
主従がほっと息を吐く間に、グランは岸に打ち立てられている杭に走り寄ると、手にした紐をぐるぐると括り付ける。
忽ち、ぴん、と小舟から杭まで一直線にロープが張り、流されそうだったエウルナリア達を繋ぎとめた。
赤髪の少年は水際まで戻ると、ロープを引っ張って小舟を引き寄せ、手で直接押さえて岸に固定する。
そこでようやく紺色の目が主従に向けられ――何かを見咎めるように、すうっと細められた。
「はい、降りて。…レイン、先にこっち来て舟押さえんの、代わってくれる?」
「嫌です」
きっぱりと答えたレインは、スッと体重を感じさせない身軽さで移動し、座ったままの小さな主に優しく手を伸ばす。
「どうぞ、エルゥ様」
エウルナリアも、そんなに目方が多いわけではない。
慣れた感触の手のひらに安心して余分な力を抜くと、エスコートされるまま、ふわりと岸に移った。
「…なかなか、いい性格してんのな」
立ち上がったグランは、手を叩いて土を払いながら、栗色の髪の少年をじろりと睨む。
「よく言われます」
レインは、陽射しの暑さを感じさせない涼しい微笑みを浮かべつつ、もう片方の手でエウルナリアの肩をそっと、優しい強さで抱き寄せた。
「…ありがと、レイン。あの…節度は?」
ふと、腕の中で響いた主の声に、従者の少年は嬉しそうに灰色の目を和ませる。
「範疇です」
きっぱりと、言いきった。




