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楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
十歳篇 南への旅

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29 浮かび上がり、沈むもの

 藍色の星空の下、カンテラの灯りを幾つも(とも)した細長い帆船は大河を下る。

 大河の幅は充分に広く、同じ形の船とすれ違ったとしても、なお余裕がある。


 途中、いくつかの船と行きあった。河を遡れば、辿り着く先はレガート湖。

 彼らは夏の休暇を皇都レガティアで過ごすのかもしれない――そう思った黒髪の少女は、夕方以降にすれ違う船には必ず、手を振って見送ることにしている。

 すると、行き交う船の人々は高い確率でにこやかに、同様に手を振って応えてくれた。中には「良い旅を!可愛いお嬢さん!」と声をかけてくれた猛者もいる。

 旅をしているという実感に、少女は自然と笑顔になった。




   *   *   *




 日が暮れる頃から、甲板の上は再びの賑わいを見せていた。さすがは最高の楽士達の船というべきか、テラス席は数を増やしてほぼ満員。仲間内で和気藹々(わきあいあい)と演奏に興じている。


 今、流れているのは伸びやかな音を響かせるヴァイオリンとビオラ、チェロにコントラバスの弦楽四重奏だ。

 少し、酒場をイメージしているのかも知れない。宮廷よりもざっくばらんで、気取りない陽気なメロディーだった。

 聴いているだけで心が浮き立ち、口ずさみたくなる気分をやり過ごし、エウルナリアはテラス席とは逆方向――船頭(せんとう)の部分へと歩を進める。


 舳先にも吊るされた灯りは、船の進む先を申し訳程度に照らしていた。

 確認できるのは、昼間と違って真っ暗な水と、西側の対岸のぼんやりとしたシルエットだけ。今は、この船の方がよほど暗闇の中で浮かび上がって見えるに違いない。


 仰ぎ見た夜空に散りばめられた見事な星の川と、カンテラの光が黒い水面(みなも)に映って揺らめき、まるでここではない何処かのようにエウルナリアの視線を(いざな)った。


 明け方には辿り着く、セフュラの王都キウォン。


 レガートと一番違うのは、陽射しの強さはもちろんのこと、川の上であることを差し引いても高く感じる湿気だ。肌に(まと)う空気に少し重みがあるような、じっとりした感触がする。声や音の通り方も、からりとしたレガートとでは全然違う。


 川霧を避けるための、さらりとした長めのマントを胸の前できゅっと掴み合わせて、エウルナリアは船の前方を見据えた。


「…緊張なさっているんですか?」


 沈黙を守っていた従者の少年が、後ろの演奏と周りの水の音をわずかに上回るだけの声量で、主にそっと話しかけた。


「うん、多分」


 返す言葉は少ない。なんというか、気恥ずかしい。

 ――レインがエウルナリアの元に戻ったのは、夕食の後だった。


 以来、なかなか普通に顔を見られない。声もかけづらい。まだ十歳でしかない少女は、内心で叫びながら途方に暮れている。


 (おかしい。どうして、私が恥ずかしくなるの…!)


 ふぅ、とため息をついて斜め後ろを振り返る。

 ――そこには、甲板を照らす灯りを背に受けて、思案げな顔をしたレインが佇んでいた。

 彼の後ろでは賑やかな音楽と人の声がするのに、ここだけは切り離されたように静かだ。


 居たたまれなさに耐えきれず、少女は俯いたまま、従者の少年との会話を試みる。――静かすぎる船室で聞く勇気がなくて、ここまで来たのだから。


「あの、レイン…昼間のこと、まだ本気?」


「ずっと本気でなければ、言いませんよ」


 即答された。しかも軽く予想を上回った。

 あんなにグラグラ揺れてたレインは、どこに行ったんだろう…


「フィーネやキリエから、いっぱい怒られなかった?」


 これも、気になっていたことだ。

 俯き加減の顔のまま、青い目だけでちらり、とレインの表情を確認する。

 ――なぜか、すごく優しい目で微笑まれた。


「…姉上は、ほぼエルゥ様のお察しの通りですけど。母には、呆れられただけですよ。

 要約すれば、『節度を守ってお仕えしなさい』と、それだけです」


「えぇ…意外。けっこう自由なんだね。従者を辞めさせられるんじゃないかって、心配だったのに。

 …お父様は何か言ってた?」


「秘密です」


「何それ。気になる」


 杞憂が晴れて、エウルナリアの表情は少し和らいだ。

 父の秘密は、きっともっとたくさんあるはずだ。故に、言うほど気にはならない。

 今は、目の前の従者の少年との関係をどうすればいいのか?が、最優先事項だ。


 少女は、ぐっと決心して、青い目をまっすぐに少年へ向けた。


「レイン。私、まだ誰のことも《好き》じゃない。大切な人はいっぱいいて、レインのことも、とっても大事。

 …でも、まだわからないの。だから、お父様にも婚約者の件は保留にしてもらってる。

 …だけどね、《好き》って言ってくれたレインから嫌われたくないの。…それが、今の私の本当の気持ち。……がっかりした?」


 最後に、小さく首を傾げて問いかける。


 レインは、灰色の目を大きく開いて、目の前をすごく素早い何かが通りすぎた後のような――驚きを反応に表せないまま、固まってしまった時のような顔をしていた。


 ――長い、長い一拍分の呼吸のあと、ようやく我に返った少年は、今までで一番幸せそうな。けれど、どこか大人びた表情で主のことを見つめる。


「…不意打ちにも、ほどがあります…」


「え?なに?」


 ずっと、やきもきしながら少年の反応を待っていた黒髪の少女は、聞き取れなかった声を慌てて訊ねた。

 そんな一生懸命なところも好きですよ、という言葉は呑み込んで、レインは優しい笑みを浮かべる。


「がっかりなんて、するわけありませんよ。エルゥ様。

 僕は、これからも貴女の専属従者です。貴女が必要としてくれる限り。…僕はまだ、お側にいてもいいですか?」


 『当たり前でしょ!』という言葉は、少女の胸でつよく響き過ぎて、声にならなかった。

 代わりに、嬉しい気持ちのままに目の前の少年に抱きつく。

 少しだけ、高い位置にあるレインの首に華奢な腕を回してぎゅっとしたエウルナリアは、それこそ溢れる気持ちのまま、ささやいた。


「ありがとう」


 すぐに、ぱっと身体を離して輝くような笑顔を見せる主に、レインは久しぶりに真っ赤な顔で、囁かれたほうの耳を押さえながら――撃沈した。


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