28 赤髪の騎士見習い(後)
少し、加筆しました。
(1/29、13:30頃。あとの改稿は、誤字の修正です)
アルムは、片手をあげて給仕の男性に目配せをすると、一つ頷いた。
たったそれだけで、今度もあっという間に檸檬水が運ばれてくる。
エウルナリアは、わが父ながら本当に人を使い慣れてるひとだな…と半ば呆れ、半ば感心した。
* * *
どうやら、アルムは檸檬のスライスを入れて、更に混ぜる派らしい。添えられたマドラーが立てる硝子の音が、カチャカチャ…と響く。
少し心配になったエウルナリアは、子どものように楽しそうに檸檬水を混ぜる父に、おそるおそる聞いてみた。
「…それ、さすがに酸っぱくありません?」
「ん?知らなかった?これ、檸檬の砂糖付けなんだよ。やり過ぎると皮の苦味が出るけど、入れて混ぜるだけなら甘くなるよ?」
(え!嘘っ…もっと早くに知りたかった…!!)
――ものすごくショックだ。
目に見えてしおしおとするエウルナリア。
アルムは、悪戯っぽく笑いながら、そんな彼女に魅力的な提案をする。
「それ、直接食べても大丈夫だよ。口に入れた瞬間、ものすごく甘いけど」
途端に喜色満面となった少女はもちろん、ものすごく甘い檸檬のスライスを指につまむと、一口目をはむ、とかじる。
(~甘い!幸せ!ありがとうお父様!)
周りに花が一斉に咲いたかのような喜びようである。
人気のない、昼下がりの船上のテラス席は、ほんの少し賑やかな雰囲気になった。
* * *
「…ところでエルゥ、少しは休めた?」
娘が檸檬の砂糖付けをおいしく食べ終わる頃、アルムはごく自然に問いかけた。
「あ、はい。そんなつもりはなかったのですけど…昼食のあと、いつの間にか眠ってしまいました。
その間にキリエが騎士の方にお願いしたようで、目が覚めてからはこちらのグラン様が付き添って下さっています」
レインのことは伏せておく。おそらく、既に折り込み済みだろう。
要点を踏まえた娘の言葉に、華やかな容貌の父はにこりと微笑んだ。
「そうか。ちなみに、君を寝台まで運んでサンダルを脱がせたのは私だから安心して。
…いやもう、あの時のエルゥときたら、羽根のように軽くて可愛らしい寝顔だった。父親というのは役得だよね」
話している間に思い出したのか、実に楽しげにくすくす笑っている。
(お と う さ ま …!)
たちまち、エウルナリアの薄桃の頬が赤く染められた。目の前にグランがいなければ、拳で何度か殴っておくところだ。きっと、それすらも笑って受けとめるのだろうが…
アルムにとって娘の真っ赤な睨み顔は、心地良いそよ風と大差ないらしい。涼しい笑顔で「ご褒美、どうも」と宣い、まだもう少し残っていた檸檬水のグラスを傾けている。
因みに、目の前で繰り広げられるバード家の父娘のやり取りに、同席のグランはひたすら沈黙を通していた。――正面に座るエウルナリアの赤面した様子にはそっと目を逸らし、笑いそうになる口許を誤魔化していたが。
それを見咎めた少女からは、流れ弾が着弾する。
「…グラン様。思うことは仰っていいんですよ?」
「いえ、まぁ…お父君と仲が良いんですね。楽しそうでいいなぁ、と拝見していましたよ」
しれっと答えるグラン。
エウルナリアは、自分の睨み顔には全く迫力がないのだと悟り、諦観のため息をついた。
「まぁまぁ。君はどうなの?グラン。先日うちに来たときは、随分お父上と楽しそうだったじゃないか」
アルムから父の話題を振られ、グランは苦い顔をする。元々の目がきついので更に不機嫌そうだ。
――迫力があるのも、得なのか損なのかわからないな…と、エウルナリアはこっそり思った。
「あれは、父が一人で楽しく突っ走っただけですよ。バード卿にも、エウルナリア様にも、あの日は本当にご迷惑をおかけしました…父に代わり、お詫び申し上げます」
深々と、椅子に座しながらではあるが頭を下げる少年に、黒髪の少女はぎょっとする。彼女の中であれは、そんなに謝られることではない。実際、よくあることなのだ。
「あの…グラン様?お父君のシルク男爵は、確かに少しだけ強引な方でしたけど、末のご子息である貴方を案ずる気持ちがとても強く伝わりましたわ。
言われたことも、貴方と友達になってほしいと、その一点だけですし…」
ね?と小首を傾げるエウルナリア。
グランは何とも言えず、彼女の愛らしく整った顔を見つめている。
――眉尻を下げ、きつい紺色の目に戸惑いの色を浮かばせる彼は、ちょっとだけ年相応の少年に見えた。
それらを興味深そうに眺めていたアルムは、軽い調子で口を開く。
「へぇ。君に対してはそんな話だったんだ…なら、いいんじゃない?」
「え?」
あまりの軽さに、グランの赤髪がぴょん、と勢いよく跳ねる。
当のアルムは、騎士見習いの少年の驚きには一切構わず、いつも通り提案という名の決定事項を告げてゆく。
「シルク男爵は確か、楽器商を営んでいたね。君も楽器は好きだろう?
うちの離れには、一通りの楽器が揃ってる。手入れがてら、遊びに来たら演奏して行くといいよ。吹くのも、弾くのも、鳴らすのも、何でもあるから……グラン?おーい、グランくーん?」
グランは口を開けたまま硬直していたが、アルムからの呼び掛けで「…はっ?!」と意識を取り戻した。
彼は、視線の焦点をゆっくりアルムに合わせると、やや前のめりになって言葉を紡ぐ。
「ほ…本当に宜しいんですか?《バード邸の離れ》といえば、楽器を触るものにとっては、宝の山ではありませんか…!」
意志の強い眉の下で、紺色の瞳がとても嬉しそうにきらきらとしている。両手に握りこぶしを作っての力説なので、どうやら世間では本当にそのような認識らしい。
――宝の山を思い描いたグランは、間違いなく無邪気な十歳の男の子の顔をしていた。




